白石くんが、渡邊家にやってきた。だから私の脳は今、凄まじい勢いで混乱している。ビービーッと激しいサイレンが鳴り響き、緊急事態発生と言わんばかりに赤いランプが点滅している。気分的にはそんな状況だと表現するのが一番近い気がしてならない。脳内に判断を司る小人たちがいたとしたら、きっと今頃彼ら全員が慌てふためき無意味にあちこちを走り回っていることだろう。要するに今私は、混乱のあまり一切の判断が出来ないでいる。

だってだって、どうか想像してみてほしい。渡邊家の人間独特のチャイムの鳴らし方をされて玄関へ出迎えたら、そこにはおばあちゃんでもオサムちゃんでもない人間が立っていたときの衝撃を。正確に言うと、まさか想い人がいたときの驚きと動揺を。なんだか似たようなことが前にもあったような気がするけどいつだっけ、なんてぐるぐると回る頭で考えてみるけれど、一向に解答は思い出せない。よっぽど混乱しているようだ。

「えっと、こ、こんにちは白石くん」

どきどきしながら声を掛けると「うん、こんにちは」と優しい微笑みと一緒に返してくれた白石くんは今が8月上旬だということを忘れてしまうくらい爽やかで、私は思わずほにゃっとだらしない笑みしか浮かばない。どうしよう。白石くんがそばにいると、私いつもだらしないくらい頬が緩んじゃうのだけれど。だめだ、だらしなくてまぬけな子って思われちゃう。慌ててコホンと咳払いをして気を引き締めた。

「えっと。あのね、白石くん。せっかく来てもらってあれなんだけど、おばあちゃん今お出かけしてるの。ごめんなさい」

だからこの家には私しかいないというわけなのですけども。ふと白石くんの格好を見やると、なるほど肩に大きなテニスバッグを下げ、私も見慣れている四天宝寺中の夏服を身にまとっている。左手には小さなコンビニ袋をぶら下げていた。…察するに、部活帰りと見た。おばあちゃんの一番のお気に入りである白石くんは、広い渡邊家に一人で暮らしているおばあちゃんを気遣って時々こうして学校や部活帰りに立ち寄ってくれているらしい。そのまま玄関先でお話するだけなのらしいのだけれど、電話口でそれを教えてくれるおばあちゃんは随分と喜んでいた。だから多分今日もそうなんだろうなあと導き出したのは当然の成り行きだったのに白石くんは笑って「ちゃうちゃう」と否定してくるからさっぱり訳が分からない。

「今日はばあちゃんに用があったんとちゃうねん」
「え?えっと…じゃあなんで?あ、オサムちゃんも来てないよ?まだ学校にいるんじゃないかな」
「いやオサムちゃんでもないねん。…今日はな、に会いに来たんや」
「…えっ!」

思いもよらなかった台詞に一瞬にして顔に熱が集中して、思わずぼんっと音を立てて爆発しそうになってしまった。えっえっえっ、なんなんだろうこの展開は。私の聞き間違いか何かだろうか。そう思わずにはいられない。でも言った。確かに言った。私に会いに来たって。別に約束してたわけでも借り物を頼んでいたわけでもないのに会いに来てくれたって、も、もしかして白石くんも私のこと。どきどきしながら続きを待っていると、白石くんは笑顔でコンビニの袋を見せつけるように差し出してきた。…?

、パピコ食うたことあらへんって前言うとったやろ。見つけたから買うて来たわ」
「(……………………)」

……あ。えっと。……そ、そういう……。なんだかもう全力で脱力してしまった私って、は、恥ずかしい。さっきとは違う意味で恥ずかしくなって、でもそんなこと表に出すわけにもいかず、必死に笑顔を張り付けて「ありがとう」と礼を言って袋を受け取るしかない。白石くんは満足そうに「どう致しまして」と頷いた。

ガサガサと袋の中を覗いてみると、確かにパピコとアルファベットででかでかと書かれた文字とそのビジュアルがプリントアウトされたアイスが一袋寝ていた。取り出してまじまじと見てみると、その赤い商品名のすぐ下にチョココーヒーと書いてある表記を発見する。……私コーヒーまだ飲んだことないんだけど、大丈夫なのかなあ。苦くないかなあ。そんなことを考えていたら顔にも出てしまったのだろうか、白石くんはそれを察したらしく「あ、コーヒーって書いてあるけど、ほとんどチョコ味やから大丈夫やで」と付け足した。

「…あ、そうなんだ…よかった」
「うん」
「…あ、そうだ。お金…」
「ええよええよ。100円やし。ばあちゃんにはいっつも夕飯食べさせてもろとるし」
「ご、ごめんね、ありがとう。えっと…じゃあお言葉に甘えて、頂ます」
「うん」
「…………………………」
「…………………………」

な、なんだろうこの沈黙は。どう対処したらいいのか分からない。わざわざアイスを買って持ってきてくれた彼に「はい分かりましたありがとうじゃあさよなら」なんて口が裂けても言えるわけないし、そもそもせっかく来てくれたのだから、いっそ「上がっていって」と言いたくて言いたくて仕方がない。だって少しでも一緒にいたい。だけど今おばあちゃんいないし…!だからなんか変な感じするし口実がないし…!そもそも「アイスのお礼にお茶でも」って誘い文句はおかしすぎるしじゃあどうすれば…! またぐるぐるぐるぐる回り始めた私の頭はどう考えても正常に動いてはくれていない。し、白石くんも何か言ってー!とすがる思いで彼を見てみると当然なのだけれど視線がぶつかって思わず動揺のあまりぐしゃっとアイスを握ってしまった。…あ。

「ご、ごめんなさい私あのちょっとなんていうか」

せっかく買ってきてくれたパピコを(袋とはいえ)ぐしゃぐしゃにするなんて何やってるんだろう私…!まあ未開封だからそこまでじゃないけどでもなんかあれだよあれなんだよう…!慌ててアイスの無事を確認しようと若干皺の寄ってしまった袋に目をやると、左の隅に小さく赤い文字で「二本入」と書かれていることに気が付いた。…にほんいり?1本じゃないの?

きょとんとしながら何気なく彼を見やると、ずっと持っていたレジ袋を渡して空っぽになってしまった手をズボンのポケットに突っ込んでどことなく落ち着きのない白石くんを発見した。目を逸らしているけれど彼の視線の先に何もない。…よく分からないけれど、まだ帰る素振りは見せていないように思える。そうぼんやりと認識してからまた手元のパピコが包装されている袋に視線を落としてみる。二本入。やっぱり赤い文字で書いてあった。もう一度想い人に目をやってみる。いつの間にかボケットから出したらしい包帯の巻かれた手で首の後ろをかくような素振りを見せていた。

「(…………………………)」

わざわざアイスを買ってきてくれた白石くん。2本入りらしいパピコ。そして今ここにいるのは私と白石くんの2人。ちょうど2人分だ。数は合っている。えっと、つまりそういうこと?で、いいのかな…?出来ることなら私はそうだと嬉しいのだけれど、これもまたさっきみたいな私の勝手な想像なのかな。

「あの…白石くん」

おずおずと声を掛けると、彼は少し大げさに驚いた素振りを見せた後、「ああうん、何?」とまるで普段どおりのように振る舞おうとしているけれど、少し声が上ずっているのを私は発見してしまった。…白石くんどうしたんだろう。練習で疲れてたからぼうっとしてたのかなあなんて考えながら続きを紡いだ。

「あの、白石くん。もしかして疲れてる…?」
「え?いやもう全っ然。めっちゃ元気やであり余っとるくらいでいやむしろ普段より具合ええくらいやでテニスに調子も良くてバリバリやったわ今日の俺めっちゃエクスタシーやで元気元気」
「ほ、ほんと…?えっと、じゃああの、急いでたりする?」
「全然。むしろ暇でどないしよー思っとったとこや」
「そっか。じゃあの、もしよかったらなんだけど、あの、嫌なら断ってくれていいんだけど、その、えっと…パピコ食べたい気分だったり、しない…?」

言った!私言えた!決死の思いで絞り出すことに成功したお誘いの言葉は、ちゃんと彼の耳まで届いただろうか。随分と小さくて頼りないものだったけれど。でもどうしよう、心臓がばくばくする。アイス一緒に食べようって誘っただけなのに、どうしてこんなにも緊張してしまうんだろう。断ってくれていいよと自ら銘打ったというのに、内心では断られたらどうしようなんて正反対のことを考えているの。だってそんなこと言われたら、まるで自分を拒否されたように思えてしまいそうで。なんだか泣きそうになって俯いていると、「うん」とどこか弾んだ声が聞こえた気がして顔を上げた。潤んだ瞳はどうしても隠しきれなくて、どうしたらいいのか分からない。だけど白石くんがまっすぐ私を見てくれているから、私は逸らしたくなる視線を必死に我慢する。白石くんは言葉の続きをくれた。

「俺も、パピコめっちゃ食べたいかもしれん。えーと、ほら。今日暑いし」
「ほ、ほんと…?ほんと?じゃああの、一緒に、あの、た、食べて、くれる…?」
「うん」

どうしよう、嬉しい。ただアイス食べたいって言われただけなのに、なんでこんなに泣きそうなくらい嬉しくなっているんだろうか。別に私と一緒にいたいって言われてるわけでもないのに。でもやっぱり嬉しさが込み上げてくるのは止まらない。また頬が緩んでまぬけなくらいほにゃっとしてしまうから、そんな口元をパピコで隠すしかない。

「あ。えっと。じゃあ一緒に食べよう…?あ、せっかくだし縁側とかどうかな。さっき風鈴見つけてね、夏だしつけてみたの」
「へー風流やんなあ。じゃあお言葉に甘えてお邪魔します」
「うん!」

あ、私今すごい嬉しいですって声出ちゃった。これは誤魔化せない。慌てて口を紡ぐけれど、靴を脱ぐ白石くんには気付かれていないのかはたまた特に特に思うところがなかったのか何も言わない。…助かった。でもこんなにもはしゃぐ心は抑えきれなくて、だから私は白石くん先行するように廊下を言って背中を見せるしかない。だってこうでもしないと私はまだほわほわと夢見心地で、ついつい頬が緩んでしまうから。

白石くん。この間アイスの話をしてくれてありがとう。つまらない世間話をちゃんと覚えてくれていてありがとう。気を利かせて買ってきてくれてありがとう。おばあちゃんもお出掛けしてくれていてありがとう、ちょっとだけ遅くなってくれると助かります。長居しててね。ついでにオサムちゃんも暫く学校でお仕事しててね、今日はおばあちゃん家に寄ってきちゃだめだよ。

上機嫌な私は、そんな都合のいいことばかりを考えている。ちょっとだけ白石くんと一緒にいられるなんて、嬉しい。もうすぐ全国大会で忙しいって聞いていたから会えるだなんて思っていなかった分、余計に。…どうしよう。えへえへとだらしなく緩む口元が、どうか彼に気付かれませんように。


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20120205 白石は「勝手に出しゃばってもうたどないしょう流石にウザがられてへんやろか」とかぐるぐる考えて変なところで奥手だといい(( ^o^ ))そしてすみませんいつの間にか1万6000字になってたので分割します…!