入学した早乙女学園は予想を遥かに上回る広さと設備を誇っていて、下手にひとりで出歩くと完全に迷子になってしまう自信があった。遭難しそうだねえ、なんて新しく出来た友達と笑い合ってたりもしていたのに。にも関わらず好奇心からひとりで探検なんて始めてしまった私はきっと危機感が足りなかったに違いない。…はっきり申し上げましょう。、15歳。学校で迷子になりました。遭難しました。助けてください。
一体ここはどこなのか、はたまた自分は右から来たのか左から来たのかすら分からなくなる。窓から見える空は綺麗な夕焼けに闇が差そうとしていた。どうしよう。どうしよう。寮ってどっちだっけ。辺りが暗くなるにつれて不安になっていく私は、まるで母親とはぐれてしまった幼稚園児のようだった。どうしよう。どうしよう。誰かに寮までの道を尋ねようにも、人っ子一人通らない。人の声すら聞こえない。そもそもここ何階だっけ。しいんと静まり返った廊下の中心にぽつり、私だけが立っていた。まるで世界に私しかいないみたいに。それがひどく淋しく、悲しかった。
だから慌てて電話する。だいすきな幼馴染に。…どうして彼を選んだのか、なんて聞かれても、きっと私は困ってしまう。知り合って間のない友人やルームメイトに連絡するのが気を引けたのかもしれない。けれどただ純粋に、頭が真っ白な状態で真っ先に顔が思い浮かんだのが彼だった。ただただ、それだけだったから。即座にケータイを取り出した私はその流れで電話帳を開き、迷うことなく彼の名を見つけた瞬間通話ボタンを押す。トゥルルルル、トゥルルル。呼び出し音にどきどきした。早く出て。トゥルルルル、トゥルルル。まだ鳴り止まない電子音。早く出て。早く出て。そう願っていたら急に音が途切れた。代わりに聞こえてきたのは幼馴染の声。もしもし?なんて他愛の無いお約束な言葉だったけれど、私を安心させるには十分だった。
「お、おとやあ…っ!」
声を聞いた瞬間急に安心した。もう15歳なのに。そもそも迷子になったとはいえ寮の隣にある校内での話なのに。突然何かがぶわあっとこみ上げてきた。お陰でこの間抜けな声。かっこわるい。何やってるんだろう。本当に、こどもみたい。たかが迷子になったくらいで。それにあまりに私がぐずぐずと泣いてしまうから、おとやを心底驚かせてしまったらしい。『どうしたの!』なんて慌てた声が聞こえてきた。きっと大変なことが起こったのだと勘違いしているのだろう。…そんな中、迷子になりました助けてください、なんていうのは、流石にちょっと恥ずかしい。だけど言わなきゃ何も始まらないことも分かってる。相変わらずしゃくりながらも、もごもごと遠慮しがちに遂に口を開いた。
「……あ、あの…っ!………ま、まいごにね、…な、なっちゃ…っ!たの…っ!」
『迷子!?ひとり?どこか外に出掛けたの?駅?』
「う、ううん…、がっこう…ひ、ひとり…っ。あ、あのね……だから、あの、」
『迎えに行く!』
私が頼む前よりも先に頼もしく宣言した幼馴染にびっくりして、その効果か涙がぴたり止まってしまった。だっていくら小さい頃からの付き合いがあるって言ったって、こんなばかみたいなことした私に。面倒だって言っていいんだよ。子どもじゃないんだからって呆れていいんだよ。何やってんだって怒っていいんだよ。なのにそんな類いのことは一切言わず、ただただ明るい声ですぐ行くからと励ますおとやは、なんだか妹思いのお兄ちゃんみたいだ。
だってひとりぼっちになると私、酷く淋しがること。昔からおとやはよく知っていた。だから今だって寮でのんびりしていたらしいのに、走って私を探しに来てくれるらしい。そしてその間も電話は切らないでいてくれた。彼に助けを求めて随分と時間が経ったけれど寂しくならなかったのは、きっとそのお陰だったのかもしれない。
それでもなかなか出会うことが出来ず、おとやは今どこにいるんだろう?なんて考えていた矢先に『ごめん、俺も迷った!』なんて言われたときは流石に度肝を抜かれたけれど。「えーっ!」なんて言いながらもお互い「どうしようか」なんて笑って言えたのはなんでなんだろう。そうしてお互い迷いに迷って、お互いの声をケータイ越しではなく直接聞くことが出来たのは、それから45分後のことだった。
★
「おとや!ありがとう!ほんとにほんとに助かった!」
調子に乗って、やっぱりおとやだいすき!なんて語尾につけたらどうなるんだろう?なんて思いながらも、それは流石に心の内に秘めておく。そんなことを安っぽい冗談で言えるほど、私の恋心は柔軟ではなかった。それにしても、見慣れた幼馴染の姿を見つけたときの私の喜びようと言ったら。きっと尻尾が生えていたなら高速で振っていたし、ばかみたいに大量の花を散らしたような素晴らしく明るく希望に満ち溢れた顔をしていたに違いない。
けれど隣を歩く幼馴染は「いや、最終的に俺も迷ったからさー」なんて笑う。そんな謙遜しなくていいのに!なんて思ってほにゃっと私も笑ってしまった。おとやはすごーくいいこなのです。「ううん!おとやがいてくれたから、私安心出来たんだよ!」そうして何度言ったか分からないありがとうの言葉も一緒に渡すと、彼は流石に照れくさくなったのか、少し頬を染めて目を逸らした。ちょっとかわいい。
「あ、あれ!俺見たことある!」
まるで照れたことを誤魔化すかのようなタイミングで前方を指す幼馴染に、そんな恥ずかしがらなくてもいいのに・なんて思いつつも、ふと示された方向を見てみる。すると確かに私も見覚えがある看板、SAOTOMEITOとその方向が書かれた矢印マーク。つまりここをまっすぐ進んで右に行けば寮に着くということだった。どうやらゴールはすぐそこらしい。やったあ!
「わー!遂に迷路脱出だね!おとやのお陰だよありがとう!」
あれっ流石にお礼言いすぎかなあ。でもほんとに感謝してるからいっか!帰り道が分かって嬉しくなり、おとやの前に出て小走りで看板に向かう。こんなにもサオトメイトが心強い存在になる日が来ようとは!
「!あ、あのさ…!」
唐突に背中から聞こえてきた幼馴染の声は、どことなく必死そうな色を出していた。不思議に思って足を止めて振り返って見ても、やっぱり聞こえてきた声と同じような顔をしているおとやの姿がある。「?どうしたの?」きょとんと首を傾げると、おとやは「なんていうか、そのさ」と歯切れの悪い返事を寄越してくる。らしくないなあ。どうしちゃったんだろ。疑問は疑問を呼ぶばかりで、とりあえず呼ばれた手前離れた距離を縮めて彼の前に立ってみる。…なにやら百面相してるけど、ほんとにどうしたのかなあ。
「おとや、どうしたの?具合悪いの?…あっ!それとも迎えに来てくれたお礼!?ご、ごめん全然考えてなかった…!サオトメイトもあることだし、何か奢るよ!…あっ、でも私今お財布持ってなくって…!あっ、ここでは全部カードで払うんだっけ!でもそれもお財布の中で!」
「や、そうじゃなくてさ!その…」
あれっ、お礼の話じゃないの?じゃあ何?何か相談事?それとも何か課題で手を焼いているとか?私で良ければ話聞くよ!でもアドバイスは頼りにしないでね!でもなんでも教えちゃうよ!私がおとやをすきってこと以外はね!なんて心の声で返してみる。勿論おとやには聞こえない。私はひたむきにおとやへの想いを隠しながら、何事もなかったかのように「なあに?」なんて尋ねる。するとおとやは少し言いにくそうな仕草を見せた後、何か決意したかのように口を開いた。
「…い、今までどおりだよね!?」
「え?」
「クラス違って話しにくくなってもさ!俺らずっと友達だよね!?」
ずっとともだち。ずしんっと大きな重石(おもし)のようにのしかかって、急に体が重くなってきた。私達、ずっと友達のまま発展出来ないんだ。だけど目の前で何やら必死そうに尋ねてきたおとやにそんなこと言えるわけなくて、言いたくなくて、込み上げてくる感情を飲み込んで無理矢理白い歯を見せて笑った。
「うん!当たり前だよ!ずっと友達!」
「…そ、そっか…。…うん、そうだよね!なんかごめんね!俺なんか変なこと聞いちゃったかも!」
「ううん!ぜーんぜん!」
ぱあっと明るい花を咲かせたような笑顔を見せて安堵しているおとやの姿に嬉しく思う反面、胸がきゅううっと押し付けられてしまう。くるしい。だけどそんなこと目の前の彼に絶対悟らせちゃいけない。だってそんなことしたら、ぜったいぜーったい壁が出来てしまう。おとやは優しいから、きっと私が自分のことがすきだと知ったら、今までより更に優しくしてくれる。迷子になった私を迎えに来てくれた以上に。そしてきっと私はそれを嬉しがる。だけど私がほしいのはそんな作られた優しさじゃない。きっと虚しくなっちゃうもん。だから気付かせない。気付いて欲しいけれど、気付かせない。隠し通すしかないのです。
「でもなあ…」
「え?なに?」
「ううん!なんでもない!」
にこっと笑って誤魔化せば、おとやは不思議そうな顔をしながらも追求はしない。代わりに私につられてか笑い返してくれた。その笑顔を見て思う。やっぱり私の気持ち、知ってほしい。ちっちゃい頃はあんなにお互いすきって言い合ってたのに、どうしてそれが出来なくなっちゃったんだろう?あの頃と変わらず、こんなに近くにいるのに。
20110730 相思相愛なのにもどかしい幼馴染設定がすきです(…)