「あっ!買い食いはあかんて言うとるやろ!」
「げっ、白石…!」

なんてことだ。下校途中こっそり寄ったコンビニで肉まんを買ってほくほくしていたというのに、店を出てすぐに見慣れた1つ歳の離れた幼馴染兼彼氏にその姿を発見されてしまうとはなんたる不幸。思わず反射的に顔を歪ませてしまった。彼氏ならば会えて嬉しいとなるのが世の乙女の理論だと思うのだけれど、状況がまずい。(まずいの意味は後で分かるから説明は省かせていただくことにして)

ウイーンとどこか間抜けな音を微かに出して閉まった自動ドアに締め出された私は、白石と同じ冬空の下、半ば呆然に立ち尽くすしかない。手の中にすっぽり収まる熱々の肉まんを、出来ることなら今すぐ「すみませんやっぱり返します」と言って店員に押し戻したい気分だ。そんな、絶対出来るわけがないことを真剣に考えてしまうほど動揺する頭で必死に言い訳を考えていると、やけに顔の整ったその白石は「げ、とはなんや失礼なやっちゃなあ」と言って、そんな失礼な私と似たような顔をしながら距離を縮め目の前にやって来た。…折角の器量良しが台無しだよ白石先輩、とでも言って和ませてやろうか。…いやしかしそんなことを言ったら最後、「そうさせたのは誰や」と返されるのに決まっている。間違いなく。よってここは何も言わないのが吉だ。

しかしどうしよう、逃げたい。今猛烈に逃げたい。白石は小学校からの長い付き合いで、小さい頃からよく知っている。だからだろうか、お前は私のおかんかとツッコミを入れたくなるくらい何かと世話を焼いてくる。それは中学生になっても変わらないらしく、そういえば前はスカートの丈が短いだとか髪がはねてるだととかなんでハンカチ持っとらんのやとかなんとか言って自分のを持たせてくれたこともあったように記憶している。だから白石はきっと親馬鹿になるタイプに違いない。ほら、今日もお説教が始まった。

「ちゃんと家帰って着替えてから行かなあかんやろ。そもそも今食べたら夕飯食べれんようになってまうやん」
「ほら、あれだよこれは。ほら、えっと、買い食いじゃなくて」
「ほなその手に持っとる豚まんはなんやねん」
「これは別にあれだもん。お母さんに買ってきてって言われたから買っただけだもん」
「ほほう…?」
「すみません嘘です私が食べたいと思って買いました大変申し訳ありませんでした白石先輩」
「最初から素直にそう言えばええんや」

そう言って溜息をつく白石に、私はなんだか肩身の狭い気分になる。いつだって白石は私のお節介を焼いてきて、無論それは学校内だって例外じゃない。体育が終わって教室に帰るべくやってきた階段の踊り場でばったり鉢合わせたときだって「ちゃんと汗拭かな体冷えてまうやろ」と注意してハンドタオルを奪い、まるで体を洗った犬にするかのようにわしゃわしゃと髪やら顔を拭いてきたし、昼食時食堂で綺麗に大嫌いな野菜を皿の隅に外していたときだってそれを偶然見つけた白石が「好き嫌いしたらあかんていつも言うとるやろ」と母顔負けの指摘をしてのけたことがある。そんな白石ママはもちろん今日も例外でなく健在で、今だって半ば呆れ顔で溜息をついている。

「まったく、ほんま放っておけんやっちゃなあ。…ああほら、マフラーもちゃんとせな風邪引いてまうやん」

そう言ってうっかり首に掛けていただけになっていたマフラーを指摘され、そういえばコンビニはやけに暖房が付いていて暑かったことを思い出す。しかも外に出た直後に白石に出くわしたものだから、寒いとかそんなことを考えている場合ではなかったのだ。すっかり忘れてた。いわゆるうっかりってやつだ。忘れてただけだもんと減らず口を叩くべく口を開いたその瞬間タイミングよくびゅうっと冷たい風が吹き込んできて、思わず身を縮めてしまった。それを見た白石は、やっぱり「仕方ない奴だ」と言わんばかりの顔をする。

「ほれ言わんこっちゃない」
「むう…別に寒くないけどね」
「そこ別に強がらんでもええやん。…ほんましゃあないなあ」

苦笑気味にそう言った白石は首から垂れ下がっていたマフラーの裾を拾い上げ、くるくるとやけに丁寧な手付きで私に巻き始めた。そのせいで接近した白石の顔が妙に照れ臭くて目を見ていられない。なんだか気まずくなって斜め右下に視線を落とした。どうしよう。ちょっとだけ、ちょっとだけだけれど、心臓が主張し始めてしまった。だけどそんな私とは対照的な白石は相変わらずなんでもない顔でもくもくとマフラーを巻いてくるものだから、困る。

「(………絶対慣れてる)」

そんなことをなんとなく察して、ますます目が合わせられなくなった。柄にもなく泣きそうになる。目の前の幼馴染はこんな外見をしているし勉強もスポーツも出来てしまうから、「積極的な子は苦手」とかなんとか言いつつもこれまでだって数えられないくらい愛の告白とやらをされてきて、だからきっと私の知らないところで彼女ができたことだって何回もあるんだろう。そんなことを考えたらまるで心臓が鷲掴みでもされたように胸が苦しくなって、だから私はこんなときいつも考える。…私はちゃんと、白石の彼女をやれているのだろうかと。

「ほら出来た」

そう言って離れた白石に目を逸らしたまま「…うん」と小さく頷いた。マフラーの尻尾が見当たらないと思っていたら、どうやら後ろで結ばれていたらしい。目の前にいる白石と同じマフラーの巻き方でなんだかお揃いみたいで嬉しい。けど、ちょっとだけ恥ずかしい。おまけに「ありがとう」なんて可愛くお礼も言えない私は、どう転んでも素直にはなれない。白石の前ではいつだって捻くれ者で、ついつい反発してしまう。

「…白石もさ、お母さんじゃないんだから」

マフラーで口元を埋めながら、そんな小言のような返しをしてしまう。…またやってしまった。気が付いたときにはもう遅い。背中に嫌な汗を掻いてしまった。可愛くない子だと思われてしまうかもしれないと若干今更なことを本気で悩んでいると、白石は「ほんまやなあ」と笑って言った。白石はお母さんみたいで、でもお兄ちゃんみたいで、だけどほんとの家族じゃなくて、だから私は時々白石のおせっかいがよく分からなくなる。彼はよく私に「家族みたいや」と口癖のように言ってくれるから、もしかしたら私は白石にとって彼女ではなく妹のようなものだとインプットされているのだろうか。そんなことを考えるたび、嬉しいような悲しいような、よく分からない気分になる。彼女と家族、どちらが貴重で喜ばしい存在なのか、私にはどうも分からなくて。

どうしたものかと無意味にマフラーを弄りながら考えている。…だめだ、やっぱり今日も答えは出ない。なんだかなあと思いつつ買ったばかりの肉まんに手を付けることにする。底についている紙を外して半分に割ってみるとほこほこと湯気が立ってくるから、なんだか急にお腹が減ってきた。どうやら私は色気より食い気らしい。

「はい。買い食い口止め料」

そう言って半分にした肉まんを差し出せば、白石はきょとんとした顔で私を見やった。「なに。ええの?」不思議そうにそう尋ねる白石に無言でこくりと頷いた。「ていうか今日のごはんハンバーグだから、こんなにいらない」だから半分あげる。そう照れ隠しに口にして肉まんを半ば強引に押し付けると、その勢いに負けたらしい白石は「おおきに」と綺麗に微笑んでそれを受け取った。そのとき指が触れ合って思わず肉まんを地面に落とすところだったなんてことはきっと白石は気付いていないし、想像したことすらないに違いない。…別にいいけれど。

そのまま自然の流れで一緒に帰路につくことにした私達は、肉まんを頬張りながら並んで歩く。私の歩幅に合わせゆっくりと歩いてくれる白石をちらりと盗み見してみると、なんで肉まんひとつでこんな絵になるんだと怒りたくなるような綺麗な横顔で頬張っていて、なんだか女としての自信がちりぢりに粉砕されてしまった気がした。…私、生まれ変わったら白石になってやる。そんなことを心に決めて私も肉まんを一口かじった。おいしい。やっぱり私、生まれ変わったら肉まんになる。そんな小学生のようなことを一瞬本気で考えてみた。

「…あ。そういえばはもう進路決めたんか」

ふと唐突に思い出したように口を開いた白石に、私はきょとんとしながら左隣の彼を見やった。進路。今は2月。3月になれば白石は卒業、4月になれば高校生。私は中学3年生。お別れ。普段はノロく弱いはずの私の頭は、こんなときに限って素早く回転してしまう。どんな顔をしたらいいのか分からなくなって、「あー…」とよく分からない返事を口にしつつ目を逸らした。

「えっと…うん。まあ、ぼちぼち」
「ふうん。どこ行きたいん?」
「別に、どこでもいいじゃん」

しまった、また可愛くない言い方をしてしまった。ほんとは白石と同じ高校に行きたいと思ってるって、素直に言えたらよかったのに。ずっと白石のことすきだったから離れたくないのってたった一言なのに、どうして言えなくなっちゃうんだろう。頭の中で何度シュミレーションしてみても、全然効果は表れない。

なんだか急に気まずさを感じてしまって、「あーっと、その」と口籠る。どうしたらこの空気、誤魔化せるのだろうか。若干凍りついたのはいくら私とて気付いている。コホンと咳払いをして、ちらりと左隣の白石を盗み見た。彼は一見なんでもないという顔を繕っているように見えるけれど、実際のところはどうなのだろう。…………。

「…あのさ、もしも。もしもだよ。もしも、万が一なんだけど、白石と同じ高校に行きたいと思ってるって言ったら、その…えっと、どうする?」
「え?なんや突然」
「いやなんとなく」
「ふうん」

せやなあと独り言を言いながら夕焼け色に染まる空を見上げる白石の手には、もう肉まんは存在しなかった。どうやらもう食べ終わってしまったらしい。なんて早いんだ。…なんてどうでもいいことを考えていなければ私の心臓はもちそうない。だって私。…い、言ってしまった。一緒の高校行きたいって思ってるって。素直じゃない言い方だったけど。むしろ「別に本心からじゃなくてふと思いついたから聞くんだけどねいや別にあくまで仮定の話なんだけど」って言い方だったけど。全然可愛くない聞き型しちゃったけど。ツンデレかって話だ。

それでもどきどきとせわしなく全力で働き続けるこの胸は、まだもってくれるだろうか。寿命が縮まったように感じるのは私が小心者の証なのだろう。そうこうしているうちに白石のまっすぐな瞳は私を捕え、心拍は最高潮に達してしまう。そして何食わぬ顔でけろりと言い放ってきた。

「結婚してくれって言うんちゃう?」
「ごふっ」

不意打ちすぎて噴き出しそうになってしまった。慌ててそれを防いだけれど、逆にそれがたたって変なところに入ってしまったらしい。ゴホゴホとむせ返る私に白石は驚いたように「大丈夫かいな」と声を掛け、慌てて背中をさすってくれた。だから、そういうことを平気でやってくるから私の心臓は持たないんだってば。随分と長い間を置いてようやく落ち着いてきた私の器官は、どうも「白石このやろう」と恨めしく思っているに違いない。

「白石のギャグってさ、全然面白くないよね」

大きな溜息をつきながら、そんなことを言ってみる。まあ確かに驚いたという意味ではピカイチだったけれど面白くはなかったよ。そもそも白石は笑いのセンスが良くないというかずれている気がする。そんなことを口にしてみると白石は「そうか?」ときょとんとした顔をしてくるものだから、こいつは自覚がなかったのかと苦笑しながら頷くしかない。

「けど、来月になったらそんな白石も来月には卒業だもんね。学校で白石と会うのも終わりかあ。なんか変な感じする」

そんなことを呟くように言った私に、白石は珍しく相槌を打たない。珍しいこともあるもんだと思いつつ、でも今のはちょっと独り言に近かったし流されただけかなと思い直しながら交差点に辿り着くけれど、信号の赤色に捕まって停止してしまった。車なんてほとんどいないからいっそ通ってしまいたいけれど、真面目な白石が隣にいるからそれは不可能だ。はうあ。間抜けな白い息を吐きながら、ぼんやりと信号機を眺めながら肉まんの最後の一口を放り込む。もぐもぐと頬張りながらそれが包まれていた紙を小さくたたんでコートの右ポケットに入れた。家に着いたら忘れずに捨てよう。そんなことを呑気に考えていたときだった。

こつん。多分音が聞こえたとしたらそんな効果音だったと思う。私と白石の手の甲がぶつかったのは。びっくりして急に顔が熱くなってしまう私に、けれどそれを悟られまいと必死にマフラーで口元を隠す。思わずにやついてしまう頬を隠しきってしまいたかった。それにしても私は自分でも気づかないうちに随分隣の彼との距離を詰めてたまま立ち止まってしまっていたらしい。こんな肩が触れ合いそうなところに白石がいては、私の心臓は今度こそ爆破してしまう。

「あ、えっと。ごめん」

そう小さく一言呟いて、白石のいない右方向に一歩移動する。これで心臓テロは回避出来たはずだ。…び、びっくりした。白石の顔を見ることなく距離をとったけれど、彼は何も思わなかったのかな。一瞬にして緊張してしまったのは私だけなのだろうか。左手の甲に一瞬触れただけなのに白石の手のぬくもりが伝わってきた気がして、思わず自分の手を抱きしめたくなった。だけど本人が間隣りにいるというのにそんなことは出来なくて、私も白石にならって「なんでもありません」と言わんばかりの横顔でぼんやりと信号が青になるのを待っている。この信号を渡って30メートルほど直進したら私の家だ。

あと1分もしたら白石ともお別れだなあ。なんだか…さみしい。家は歩いて3分もかからないというのにそんなことを考えてしょんぼりとしてしまう辺り、私はちゃんと恋する女の子らしい。なんだかよく分からない気分に浸っていると、左手に触れてくる何かがいることに気が付いた。え、なに。訳が分からず自分の手を見やるとほぼ同時に、ぎゅっと指先を包み込まれえるように握られた。隣にいる、白石の手によって。

「(え。え。え。なに。なんなの)」

信号待ちするときは隣の人と手を繋がなきゃいけない法律でもあったっけ、なんて意味不明なことを考えながら硬直するしかない。先程とは比じゃないくらい全身が熱くなって、急に喉がカラカラになってきた。声がうまく出ない。慌てて白石に目をやると彼は相変わらず涼しい横顔をしており、まるで私の手をとるこの右手は白石ではない別人のものなのではないかと錯覚してしまうほどだった。信号はもう青に変わっているのに、私達は渡れない。足が凍りついたように動かなくて。

「な、なに。あの…っ、ど、どうしたの白石」
「俺はこれからもずっとと一緒におりたいって思っとるよ。だから終わりとか関係ないとか、寂しくなるようなこと言わんといてえな」
「え、何?なに青春スイッチ入っちゃってんの?突然何?か、からかわないでってば。私本当こういうノリだめなんだって。そんなの白石が一番よく知ってるでしょ。だから今までだって名前呼びも、あの、えっと……き、キスだって、してなかったのに」

キスなんて照れ臭くて言い慣れてない単語に、思わず気恥ずかしくなって俯いた。それにしても久しぶりに呼ばれたという響きに、いや、それ以上に左手が白石によって握られているという展開からしてついていけないのだけれど、これは私だけなのだろうか。嬉しいけれど、逆に嬉しすぎてどう反応していいのか分からない。慌てて振りほどこうとするけれど全くもってびくともしない白石の右手は、まるで離すものかと言っているかのように思えた。

「…こういうことは本人の意思で選ばなあかんと思て言わんかったけど、やっぱ言うことにするわ」
「へ?な、なに…」
「俺と同じ高校、受験しいや。とまた同じ学校通いたいねん」

どこか寂しげな目の中に私を映し出した白石に、私は一瞬時が止まったかのような錯覚にすら陥ってしまう。なに、そんな、急に。そんなこと言われたら、私。「…な、あかん?」や、あの、そんな子犬みたいな顔しないでほしい。…この人は本当に年上なのだろうか。そんな、そんな顔されたって私、乗せられないっていうか。私、あの、私、私は、

「……………い、行く」
「うん、おおきに。よう出来ました」

空いていた左手でくしゃくしゃっと無造作に頭を撫でる白石に、私はびっくりして思わず目を瞑ってしまう。髪がぼさついているだとか寝癖がついているだとかそんなことは逐一指摘してくるくせに、自分からその原因を作ってどうするんだか。矛盾してやしないか。…そもそも。

「ねえ、子ども扱いしないでってば」
「してへんて。俺はいつだってのこと彼女扱いしとるがな」
「絶対してない。じゃなきゃよく出来ましたなんて言わないもん。ていうかいつまで撫でてんの」
「なんや。嫌なん?」
「……どきどきするから、やだ」

むっと不機嫌な声でそう言ってみたら白石は「そうなんか」と嬉しそうに笑って、またぽんぽんと頭を撫でた。…だから、そこが全然分かってないって言うの。だから私はいつだって不貞腐れて、白石に甘えられないんだから。意地を張って「白石」って無愛想に呼んじゃうんだから。だから素直になれないんだから。だからちゃんと同等の立場で扱ってよ。じゃなきゃ私、いつまで経っても白石のこと蔵ノ介って下の名前で呼べないよ。

チカチカと点滅した信号機はあっという間に赤になる。これじゃまた渡れない。ちらりと左隣りの彼に目をやってみる。いつまでも私を子ども扱いする彼はいつだって私の頭を撫でて、そしてひたすら世話を焼き続けるのだろう。前者はともかく構ってくれるのは嬉しいよ。だけどたまには彼女らしく扱って。私だって女の子なんだから。

「ねえ」

空を見上げながら、なんの前振りもなく声を掛けてみる。隣から「何?」と短く返事が聞こえて来たから、私は意を決してぎゅっと手を握り返す。「あの、えっと。その。…あのね」だけど出て来るのは歯切れの悪い言葉ばかりで、どうも自分が嫌になる。いつだって私を子ども扱いするというのなら、私がそうさせなければいいだけの話じゃない。そう自分に言い聞かせながら、決死の思いで口を開いた。これから紡ぐ台詞に、心臓がフライングでばくばくと五月蝿く鳴り始める。

「あの、もし、もしもだよ。万が一、その……き、キスしたいって言ったらさ、どうする…?」

白石の手がぴくっと動いた。ような気がした。そんな些細な反応も敏感に感じ取ってしまった私は、やっぱり言うべきじゃなかったのかもしれないと今更ながら後悔する。どうしよう、どうしよう。人生にも巻き戻し機能が付いていればいいのになんてSFのようなことを考えてみるけれど、いくら技術が進歩しているとはいえそんなこと出来るはずがない。そんなこと分かってる。

「…うーん、せやなあ…」

だけど呑気に考え込む声が聞こえてきたものだから、人の気も知らないで!と半ば八つ当たりのようなことをぐるぐる考えるしかない。だけど一向に答えは返ってこないから、私は遂に痺れを切らしてしまった。

「……もーいいよっ」

せっかく人が勇気を振り絞ったというのに、なんということだ。ぷいっと顔を背けると、白石は「そんな拗ねんといてえな」と苦笑する声が聞こえてくる。…拗ねさせたのはどこの誰だ。そう心の中で吐き捨てながら、「拗ねてなんかいません」と不機嫌感たっぷりの声でお返しする。全くもって説得力がないことは自分でも分かっている。

「なあ
「…知らない」
「なんでや。俺まだ何も言っとらんやろ」
「今言ってるじゃん」
「あ、ほんま?のことめっちゃすきやってテレパシー、聞こえてもうたんか」
「何それ寒い。これだから白石のギャグはつまらないって言うの」
「うわー、ほんまは手厳しいわあ」

はは、と笑う白石の手をぎゅーっと握りしめてみる。せめてもの仕返しだ。白石のばか。そう小さく呟いてみたら、彼は「せやなあ」と大して気に留めていないような声で返してきた。私はキスがしたいって言ったの。そんな心の声をふんだんに込めてもう一度言った。くらのすけのばか。

「うん、せやなあ」

だけどやっぱりさらりと流してしまう白石には何の効果も得られない。地味に勇気を出して名前で呼んだって言うのに。思わず泣きそうになってしまった。「…せや。夕飯食べ終わったら俺ん家に来おへん?迎えに行ったるから。な」私の心情なんて知りもしない白石は、相変わらずぽんぽんと頭を撫でながらそんなことを言う。私は俯いたまま不機嫌そうにマフラーを弄りろくに返事もしないでいると、そのままぐいっと左手を引っ張られてしまう。は?なにこれと展開についていけない頭が思考回路停止していると、そのままぽすんと抱きしめられてしまった。え、なに。なにこの少女漫画みたいな展開。せっかく落ち着いたと思っていた心臓がまた驚いてしまったじゃないか。

なに、なに、なにやってんの白石公衆の面前でだってここ交差点だってば。いや私もそんなところで「キスして」なんて遠回りとはいえ口にした身だから人のこと言えないんだけどでもあのこれは一体。大体前、人前でいちゃつくの嫌いやねんって言ってたじゃん。ついでにTPOがどうのとか言って。なのにこれは一体どういうつもりです白石さん。

「あ、ああああの、あの、」

ろくに瞬きも出来なくなるくらい緊張が極限状態に達してしまった私は、もううまく舌が回らない。体はガチンと凍りついてちっとも動かないし、だけど繋がれたままの左手を握りしめることだけは一丁前に出来てしまう自分自身の体の構造がどうなっているのかちっとも分からない。どうしよう。私、死ぬ。だって心臓が「もう限界です」と言わんばかりに全力疾走してるから。そもそもこんな、彼氏彼女って言ったって、今までこんな、だ、抱きしめるとかそんなこと、本当滅多になかったのに。

「し、しらいし…、」

震える声で奏でた彼の名は、白石に届いただろうか。「…うん」と小さく返事をしてくれたけれど、何に対しての「うん」なのか分からない。聞こえてるよってことなのだろうか。それとも「何?」っていう意味なのだろうか。だけど白石の名を呼んだ私も、改めて何用かと聞かれても困ってしまう。そのまま何を言うでもなく黙り込む私に、白石はそっと耳元で囁いた。

「せやからキスは、そんときまで待っとってな。俺も楽しみにしとるから」

私の中で、何かが爆発した音がした。かあああああーっと熱が全身を駆け巡って、いっそ蒸発してしまうのではとしか思えない。だから信号が青になったって、私達はまた渡れないままでいる。恥ずかしくて硬直してるっていうのと、またすぐ会えるって分かっていても、もう少しだけそばにいたくて。










20120220 白石はお兄さんぶってなかなか恋人らしいことが出来なくて、ヒロインはいつも強がってつい可愛くないこと言っちゃうちょっと不器用な彼氏彼女。だからなんだか照れ臭くて名前で呼び合ったりできなかったの。そんな感じ。あと個人的な趣味でヒロイン関東人設定にしましたなんてこったい