「顔合わせへんかったら普通に話せるし、笑ってくれるんやな。よかった」

悪戯っ子のような声でそう言った白石くんの言葉には、きっと嫌味だとか、そういう類いのものは含まれていないんだろう。優しい声が逆に恥ずかしくなって、思わず頬を手で覆った。そういえば私、今笑ってたかもしれない。も、もしかして笑うところじゃなかったのかな、と変なところでマイナス思考に走っていると、そんなことを考えているとは微塵にも思っていない白石くんはマイペースに言った。

「けど外に長いことおると風邪引いてまうし、中入っとったほうがええと思うで。俺はもう行くけど、もしまだ気まずいようやったらばあちゃんや他の奴らには適当に言っとくし、オサムちゃんと一緒に来るとええよ。…な。みんなものこと待っとるから」

待ってるから。その一言が妙に響いて、私は俯いてしまう。や、やさしいけど、やっぱりそういうこと言われるのはくすぐったいよ。思わず身をよじらせていると、ふと頭上で網戸が閉まるような音がした。そういえば白石くん、もう戻るって言っていたような気がする。慌てて立ち上がった。

「待っ!…っ!?」

──瞬間、頭部にこれ以上ないと言う衝撃を受け、声にならない声を出して思わずうずくまってしまう。頭を押さえながらぷるぷる震えていると、予想外の音が聞こえて驚いたらしい白石くんも戻って来てくれたらしく、すごい勢いで網戸を開けた。

「ど、どないしたん!今、えらいでかい音聞こえてきよったんやけど!ゴンッて何!?」

珍しく慌てた口調で事態を尋ねる白石くんの声が上から降ってくるけれど、私は激痛のあまり「あああ、あの、あの……い、いた、いたい……っ」と涙声で答えるだけで精一杯だった。どうやらすっかり忘れていたけれど私は出窓の下に座っていたのだから、そのまま立ち上がればそのサッシの底面に直撃するのは当たり前の話だった。い、いたい。ずきずきとかそういうレベルの次元ではなくぐわんぐわんする鈍い響きが今も頭を駆け巡っている。

「(ま、また白石くんの前で粗相を…!)」

色んな意味で泣きそうになりながら震えていると、体を乗り出すように私を覗き込んだらしい白石くんは、頭を両手で押さえながらうずくまる私を発見して全てを察したらしい。大丈夫かと心底驚いた声で尋ねてきた。本当はちっとも大丈夫じゃないけれど、必死にこくこくと頷く。

「コブ出来てへん?ちょ、見せて。立てます?」
「う、うう………いたい…いたい……」

完全に半べそをかきながらのそのそと立ち上がる私に、白石くんはまるで保健の先生のように「どこをぶつけたんだ」と尋ねる。今日初めて顔を合わせた男の子に後頭部を見せる日が来ようとは思わなかったけれど、若干彼の有無を言わさない雰囲気とあまりの激痛に、拒否するという選択肢は浮かばなかった。じわりと滲む涙にぐすりとしゃくりながらかがむ。でもこの状況、なんとなく恥ずかしい。

「…うーん。血も出てへんし、コブとかはできてへんみたいやけど、一応冷やしといたほうがええかもな。吐き気とか眩暈とかはないです?」
「う、うん大丈夫です…ありがとうございます…」
「ならよかったわ」
「うう…」

やっぱり恥ずかしい。なんなんだろうこの展開。ゆっくり顔を上げながらも目は合わせられなくて、やっぱり視線は上げられない。視界にかろうじてはいる映像から、白石くんが出窓に肘をついているのが分かった。左手には相変わらず包帯が丁寧に巻かれている。さっきは怪我じゃないって軽く流されたけれど、そうじゃないというのなら何故こんなものを巻いていると言うのだろう。こちらではそういうファッションが流行っているのだろうかと見当違いなことをぼんやりと考えてみる。なんとなく本人には聞けない。

ただ真正面に立ちながら頭を未だに押させる図というのはいささかどうなのかと思い立ち、おそる手を下げた。それでも完全に下ろしきることはなんとなく出来なくて、無意味に毛先を直す素振りをする。すると唐突に白石くんが口を開いた。

「…あ、ちょっと待って」

別に私はどこかへ行こうとした訳ではないから、この待ってというのは手を止めてという意味なのだろうか。訳が分からずそのまま制止したまま何気なく顔を上げると、先程目にした包帯の手がこちらに向かって伸ばされる。え、なに、なに。驚いて反射的に目を瞑ると、ふと髪に風が吹いた気がした。おそるおそる目を開くと、彼の細い指が梳かすように髪に触れているものだから訳が分からない。

「あ、あの」

突然のキャパオーバーに全身を熱くしながらも決死の思いで口を開こうとするけれど、なかなか震えて情けない声になってしまった。けれどそんな一言でも何を言わんとしているか察したらしい白石くんは、何でもない顔で「あ、すんません。髪がちょっと乱れとったから。ちょっとそのまま待っとって」と言う。どうやら頭をぶつけたときにぼさついてしまったらしい。注意せず白石くん自ら直すほどだから、きっと相当だったんだろうなと予想する。

「そ、そうです、か…」

情けない声は相変わらず弱々しくて、行き場を失った両手を爪を立てて握りしめる。…オサムちゃんにはよく頭をわしゃわしゃと撫でられるけれど、身内以外で男の子に髪を触れられるのは初めてだ。どこを見たらいいのか更に分からなくなってしまった私は、せめて何か気の利いた世間話でもと考えるけれど、一向にネタが思いつかない。無意味に左下に目をやりながら必死に頭を働かせてみるけれど、どうしても視界の隅に白石くんの腕がちらついてどきどきする。あまり彼を見ないようにしよう、考えないようにしようと思えば思うほど意識してしまうから厄介だ。

…白石くんはこういうの、慣れているのかな。だからなんでもない顔で触れられるのかな。そんなことを考えてまた下を向く。…顔を熱くしている私とは、大違いだ。

「もう大丈夫です。突然すんません」
「い、いえ、そんな」

ふるふると小さく首を横に振りながら直して貰った髪を何気なく触れてみる。毎日触っているというのに、なんとなくいつもと違う触り心地がしたような気がした。だけど急に会話が無くなって静まり返ってしまうこの空気はちょっと、耐えきれない。言葉に困ってとりあえず礼を言うと、少し間を開けた後白石くんは笑って言った。

「今の、セクハラすんなって怒ってもええとこやと思いますけど」
「えっ」

その発想はなかった。けれど、もしかして言った方が良かったのだろうか。何やら四天の人はお笑い体質らしいとおばあちゃんから聞いたことがあるし、もしかして広間であった漫才の2人組のときと同じように、ツッコミのパスをされていたのだろうか。だとしたら見事なボケ殺しをしてしまったような気がする。空気が読めないと思われたかもしれない。とっても今更なことかもしれないけれど。ど、どうしたら。どうしたら。さっきまで熱かったのが嘘のように全身血の気が引いてしまった。

「あ、あのあの」
「ん?」
「く、空気を読めなくて…す、すみません…!」

がたがた震えながら懺悔すると、白石くんはきょとんとした顔をしたのち、顔を逸らして噴き出した。どうやら妙なところで彼のツボにヒットしてしまったらしく、「ちょ、ごめん」と笑いながら謝りつつぷるぷると震えている。…全く謝られている気がしないのはなんでなんだろう。

「あの、白石くん」
「堪忍な、俺、あの、ツボ入ったら、あの、なかなか、ぬ、抜けだせな、」
「いやあの、今のどこにそんなヒットを飛ばすポイントが」

白石くんはとっても優しいけれど、時々よく分からないみたいだ。ツボのハードルが低い笑い上戸なのだろうか、相変わらず彼は落ち着くことを知らずまだ震えている。どこか幼い子供のような笑い顔を見ながら、白石くんもこんなふうに笑うんだな、なんてぼんやりと考えて我に返る。あまりにも見すぎてしまった。慌てて目を逸らして唇を薄く噛む。

本当はすごく恥ずかしいんだよ。白石くん。白石くんがそんな風に優しくしてくれるたびにすごく恥ずかしくなって、本当はありがとうって言いたいのに、そんな一言すら言えなくなっちゃうんだよ。こんな自分も恥ずかしくなって背中が熱くなって、何も言えずに俯いて、その繰り返しで。…きっと今だって、そうだ。


20121015