「(ど、どうしよう。私は一体何をすれば)」

小さい頃から慣れ親しんでいる渡邊家の広間なのに、こうも初対面の男子が溢れかえっているとどうしたらいいのか分からなくなってしまうというか、まるで初めての場所のように違う風景のように見えるのはどうしてなのだろう。自分の居場所が分からない。私は一体何をすべきなんだろう。まるで迷子になった子どものようにおろおろと辺りを見回している間にも、彼らはぱぱっと手早く動き始めている。相変わらず笑い声が絶えないし、一見そうには思えないのだけれど、どうやら彼らはスイッチのオフとオンを切り替えたようだ。

金ちゃんが競うように拭きあげたローテーブルに、どうやら帰りに大量に買い込んで来てくれたらしいお寿司やらのフライものやらのお惣菜の数々を、まるで大きなお坊さんのような風貌の人が並べ始めているかと思いきや、取り皿がいるのではないかと気を利かせたらしい短い髪を立たせた男子が私の横をすり抜けようとする。慌てて「あ、私が行きます」と声を掛けようか迷って、やめた。泳ぐ視線ですれ違った男子生徒を何度も見やったものの、肝心の言葉が喉につっかえて出てこなかったのだ。お陰で彼は背中を見せたまま振り返ることなく広間を出て、もう姿が見えなくなってしまった。お客様なのに申し訳ないとしょんぼり俯く。白石くんに引き続き、これで2人目だ。言いたいことが全く言えない。

せめて自分も働かねばと、きょろきょろ辺りを見回してみる。すっかり手ぶらになった私も何か手伝うことが出来ないだろうか考えてみるけれど、なんだかどこも手は足りているように見えているというか、逆に私が入り込む隙間なんてないような気がした。そもそもそんな度胸があるなら最初からこんなことにはなっていないし、もっとまともにコミュニケーションが図れているように思えてならない。でもこのまま突っ立っていると言うのも…と考えていると、白石くんは金ちゃんによって賑やかに拭かれたテーブルの横に腰を落とし、お盆に乗った大量のコップ達を机上に並べていた。その後ろ姿をぼんやりと眺めていると、まるでその視線に気付いたかのように白石くんは唐突に振り返る。慌てて視線を落として目を逸らしてしまった私に、彼は相変わらずの優しい声で話し掛けてきた。

「良かったら、お茶入れてもろてもええですか?ペットボトルの買うてきたんで」

そんな台詞が聞こえてきたものだから、私は「えっ?」と間抜けな声で聞き返す。びっくりして彼を見やるとうっかり微笑まれてしまった。だけどどう反応していいのか分からず反射的にすぐまた俯いてしまいそうになったのを我慢して、私は慌てて返事をする。だけど「あ、はい…!」とうっかり裏返った声になってしまったものだから全く進歩がない。

ふとローテーブルの上を見やると、なるほど確かに2リットルのペットボトルが3本並んでいる。しかしどれも同じ伊右衛門ばかりで全くバリエーションがない。こういうのってジュースを含めて2種類くらい用意しそうなものなんだけど、とぼんやり考えつつ、でも入れるとき各自にどれが良いか聞かなくて済んだからいっかと自己完結してみる。初対面の男子と、しかも複数名コミュニケーションしろというのは流石に難易度が高すぎた。

「(でも…)」

ごくりと息を飲む。お茶を入れるなんてことは動作もないことだけれど、注ぐガラスコップは運んできてくれた白石くんの目の前で展開されている。そしてお茶はその斜め右上。つまりどう転んでも彼の近くで作業しなければならないというわけだった。詳細まで言うならばおそらくそこは彼の右隣を意味している。私が白石くんと並んでお茶を入れる光景を想像して、思わずくらりと倒れてしまいそうになった。これは一体どんな拷問ですか。

『俺も、と仲良うなれたらええなあって思ってます』
『わ、わたし、も……、えっと、あのね、その…み、みなさんと、そ、そうなれたら、いいなあって………』

ふと、先程からやけに脳内を駆け巡っている台詞を唐突に思い出してみる。どうやら頭にこびりついて離れてくれないみたいだ。…は、恥ずかしい。やっぱり私、恥ずかしいこと言っちゃった!なんだか耳の下が熱くなって全身がぽかぽかと温かくなる。やっぱりあんなこと言うんじゃなかったなんて悔やんでいると、白石くんは「あっ」と思い出したように口を開いた。心を読まれたのかと思わずにはいられないタイミングでの反応に、思わずびくりと肩を震わせながら顔を上げる。

「なんや俺、こき使っとるみたいで偉そうやんな。すんまへん」
「えっ?あ、いえあの別にそういう意味じゃないのであの本当大丈夫ですむしろどんどんこき使っちゃってくださいっていうか大歓迎ですっていうか」

しまった違う間違えた私何言ってるの!

緊張のあまりうっかり訳の分からないことを口走ってしまった。これじゃ完全に頭おかしい子だよどうしようとあわあわ震えていると、案の定白石くんは一瞬きょとんとして、笑った。どうやら彼は笑うときは一瞬真顔になるタイプの人らしい。…どうしよう、もう泥沼だ。もつれた糸を解こうともがけばもがくほど逆に絡まってしまうあの現象に良く似ているような気がする。沸騰でもしてしまったかのようにすっかり熱くなってしまった顔を隠すように俯いた。…はずかしい。絶対ドン引きされたような気がするもん。で、でも私、本当変な意味で言ったんじゃないんだけど。なんだか色々訳が分からんくなってじわっと滲んできた目に、慌ててストップをかける。こんなところで泣き出したらもっとドン引きだ。ここは耐えなければいけない。大丈夫、白石くんは優しい人だから、きっと緊張しなくて大丈夫。だいじょうぶ。だいじょうぶ。そう自分にひたすら言い聞かせていると彼は、うっかり「大歓迎」と口走ってしまった私の言葉をさらりと流したらしかった。

「ほんまですか?頼りになります。ほなお願いしますわ」
「えっ。あ、あのその…っ!………は、はい…。………」

今のは違うんです本当は言うつもりなんて微塵もなかった言葉でいえお手伝いは大丈夫なんですけどこき使われるの大歓迎じゃないんです勿論変な意味でもないんですよ。…と本当は伝えたかったのだけれどまた喉がきゅっと引き締まった感覚になって音にすることが出来ない。それにこんなこと言ったらまた逆に余計にこんがらがって解けなくなりそうだしと自分に言い聞かせて、諦めてしまったのだ。オサムちゃんとかになら思ったことをそのまま口にすることが出来るのに、他の人だとどうもうまく行かない。

出来ることなら今すぐに砂となって、さらさらと消えてしまいたい。そんなことを考えながらうな垂れた。やっぱり私、小心者なのかなあ。ひょろひょろと自信なさげにテーブルに近づき、少し距離を置いて白石くんの右隣に腰を落とす。緊張だとか恥ずかしいだとかそんなこと言ってばかりで失礼なことばかりしてしまっているから、せめてお手伝いだけはちゃんとしよう、そう自分に言い聞かせながら。大丈夫、白石くんは優しいっておばあちゃんも言っていたし、顔さえ見なければ大丈夫。うまく出来る。そう思っていたのだけれど、どうしたものだろう。

「(き、緊張、する)」

ただ隣にいるだけでうっかり手が震えてしまうものだから、器量良しというのはおそろしい。ただでさえ男子というハードルがあるというのにそんなプラスアルファは荷が重すぎる。これは粗相をしないようにしなければと身構えつつペットボトルの蓋に手を掛け、そのまま反時計回りに回転──させようとしてそのまま停止した。固すぎてびくともしない。

「…あ、あれ?えっと…」

左手でしっかりとペットボトル本体を押え回らないようにし、そのまま右手をぐいっと回転させればキャップは簡単に取れる仕組みになっているはずなのに、どうしてか全く回転する気配がない。それどころかキャップは手の中でつるつると滑るように掴みどころがなかった。もしかしてちゃんとペットボトルを押さえられてないのかなと考えて左手に力を入れてみるも、今どき流行のエコペットボトルを採用されているのか素材が薄くて柔らかく、そのせいでいまいち力を入れることが出来ない。渾身の力を振り絞ってぷるぷる震えながら必死に格闘してみるも、頑固者らしいキャップはなかなか心を開いてくれない。お陰で右手がすっかり痛くなってしまった。手の平がじんじんと痛む。…だめだ。ちょっと休憩しよう小さく溜め息をついてテーブルの上に戻し、じーっと2リットルのお茶と睨めっこを始めてみる。

「(…この子意地っ張りだ)」

これだけ頑張っているんだから折れてくれてもいいのにと開き直ったようなことを考えつつひたすらじーっと伊右衛門を見つめていると、それに気付いたらしい白石くんがひょいと右手を伸ばし、私が悪戦苦闘したのち見事に敗北に帰したペットボトルに手を掛ける。突然のことで一瞬驚いた顔をしてしまった私をよそに、白石くんはそのまま自分の手元にお茶を持ってくると、包帯の巻かれた左手でくいっとキャップを回した。さらりと。さくっと。まるで赤子の手を捻るかのようにあたかもなんでもない素振りで。…おかしい。それを目の当たりにして「あれっ」と小さく声が零れてしまう私に、白石くんは「はい」と笑顔で開封されたペットボトルを差し出した。綺麗に微笑まれたその笑顔が眩しいのとなんだか自分が情けないのとで恥ずかしいのとで、もはやトリプルパンチだ。ひょろひょろ視線を落としながら、それを受け取った。目は合わせられない。

「あ、ありがとうございます…」
「いえいえ。めっちゃ固くて開けにくかったですし」

そう言いつつ白石くんは何でもないとでも言うような涼しい顔でさくっと開けてた気がするのだけど。そもそもあれは絶対開かないと思ったのに。器用さの違いなのだろうか。それともペットボトルが白石くんにデレたのだろうか。それとも単純に握力の差なのだろうか。…多分、最後のだ。盗み見るようにおそるおそる見上げてみるけれど、当の本人は「俺も半分入れますわ。2本目開けてもどうせ飲むやろし」と爽やかな声を掛けてくる。慌てて俯いて頷いた。

「あ。自分ら手空いとったら茶ぁ運んでなー。今入れるから」

そう他の部員に声を掛ける白石くんの声などもう聞こえてこない。猛烈に恥ずかしくなって、唇の内側をほんの少し噛んだ。それを紛らわせるかのようにお茶を入れやすいようにコップを手元に移動するフリをしてみるけれど、神経は左側に集中している。ちらちらと視界の隅に入る白いワイシャツにどきどきした。

「(ど、どうしよう。やっぱり白石くん、おとこのこなんだ)」

そんな今更すぎることを改めて実感したらちょっとむず痒くなってきて、どうにもそわそわして落ち着かない。力を入れたとき見えた血管とか引き締まった腕とか、長くてすらっとした指とか。どれを思い出してみても私のものとは全然違ったような気がしてふと自分の手に視線を落として見るも、白石くんのを見た後ではやたら小さく見えるような気がした。…ついでになんかむにむにしてる気がする。同い年なのに男の子とだと全然違うんだ、なんてぼんやりとまた考えたところでまた変に意識して緊張している自分に気が付きはっとした。

だ、だいじょうぶ、だいじょうぶ。

また自分に言い聞かせていると、ふと早速お茶を入れている白石くんの姿に気が付いて、慌てて私もペットボトルを傾けた。ど、どんくさい。私。どうしようと泣きそうになりながらコップにお茶を注いでいると、ふと視界の隅で先程のピアスの少年がおばあちゃんに割り箸──どうやらお惣菜を購入したとき貰ったらしい──を渡している姿が入ってきた。…何話すんだろう。なんとなく気になって、どうしても耳はそちらに向いてしまう。すると相変わらずそっけない素振りをしているもののしっかり準備に参加しているピアスの彼に、おばあちゃんがお礼を言っていた。

「あら光ちゃん、おおきに」

えっなにヒカルちゃんってこの人だったのー!呼び名のあまりのアンバランスさの衝撃で手元が狂いペットボトルを必要以上に傾けてしまった私は、うっかりお茶を溢してしまった。そのせいで拭いたばかりのテーブルにお茶の水たまりが出来てしまう。…や、やってしまった。でもだって、気だるそうに返事をするこのピアスの彼が、白石くんや金ちゃんに次いでおばあちゃんからよく話を聞かされていた「ヒカルちゃん」だっただなんて、誰が想像出来ようか。まさか所狭しと言わんばかりに両耳ピアスだらけの彼が、ヒカルちゃんなんて可愛い呼び名でそんな…!あ、いや、「そういうキャラなの」って、何も知らない私が言うのもなんだけど…って、そんなことより今はとりあえずお茶を拭かないと。布巾はさっき私が持ってきたはず。テーブルも拭き終ったみたいだから、きっとどこかにあるはずだ。

慌てて2リットルのペットボトルをテーブルに置き布巾はどこだときょろきょろと顔を見回していると、ふと左から、私が探していた布で素早くテーブルを拭く手が視界に入ってきた。おまけに白いシャツも見えるものだから、私の脳は凄まじいスピードで結論を叩き出した。…て、テニス部の人だ。反射的にガチンと凍りついた体はどうしたら解凍出来るのだろう。喉の奥がきゅうっと締め付けられるような感覚になりつつも、俯きながら必死に口を開いた。

「あ、あのあの。あ、ありがとうございます…えっと、す、すみません…!」
「ええですよ。気にせんといてください」
「(──あれ?この声…)」

なんだか聞き慣れている声に、ほにゃっと緊張していた体が緩んだ気がした。慌てて顔を上げると、そこには色素の薄い髪の彼の姿が合った。あ・と、思わず声が漏れる。そっか、今私の左にいるのは。

「(白石くんだ)」

…彼の前髪から時より垣間見る白石くんの綺麗な瞳をぼんやりと眺めるだけで一向に何もしようとしない私はお怠けさんなのだろうか。なら本来ならば私がやるべきであろう失態の後始末をまるで当然のことのようにさらりとやってのけてしまう白石くんは、どれだけ出来た人だと言うのだろう。気が利くだけでなくてきぱきとフォローすらもやってのけるだなんて、一体彼に死角は存在するのかと思わざるをえない。

うっかり白石くんを観察していた私の視線に気が付いたのか、ふと白石くんが私を見やる。ぶつかった視線が先程の廊下であった至近距離での出来事や妙に意識してしまった男の子イメージを連想させていてもたってもいられず、慌てて俯いてしまった。…わたし、感じのわるい子だ。そう頭では分かっているのだけれど。

姉ちゃん。どないしたん?」

きょとんとした金ちゃんの声にはっとする。どうやら先程の白石くんの声掛けのとおり、お茶を運ぶのを手伝いにやってきたようだ。なるほど、じゃあ先程のは金ちゃんが布巾を持ってやってきたのを貰い、白石くんがすかさず拭いてくれたらしい。全然気付かなかった、なんて見当違いなことを考えている間にも、金ちゃんは相変わらず不思議そうな顔をして首を傾げている。

「あ、えっと…」

しかしどうしたことだろう、うまい言い訳が思い浮かばなくて狼狽してしまう。まさか白石くんに緊張してるんですなんて口が裂けても言えるはずがない。何かないだろうかと必死に考えていると、ふと気づいてしまったのは遥か右側の位置から注がれてくる、とある人物からの鋭い視線。そのせいで私の体は再び氷河期に突入してしまった。「ひっ」と小さく声が漏れる。思わず肩を震わせてしまった私に、金ちゃんはまた心配そうに声を掛けて来た。

姉ちゃん、ほんまにどないしたん?目ぇ潤んどるで。なんや顔青いし…」
「う、ううん…っ、だ、だいじょう、ぶ…!」

こくこくっとぎこちなく頷いてみるけれど、背中が汗でじんわりと滲み始めたところからみるにきっと私大丈夫じゃない。間違いなく。ひ、ヒカルちゃん、こわい。先程から私に痛いほどの視線を送ってきていたのは、何を隠そうピアスの少年だった。彼は確か2年生って聞いてた気がするけれど、この妙な威圧感はなんなんだろう。ピアスかな。ピアスのせいなのかな。だってあれ何個開いてるんだろう。ふ、不良?不良なのかな…。あ、でもおばあちゃんにお箸渡してたし…ってことはあれ?優しいのかな。そういえばおばあちゃんもそんなことを言っていた気が…?まあ、だからこそ妙なイメージ像が出来上がっちゃってたんだけど。で、でもでも、じゃああの鋭い視線はえっとえっと……。

「(わ、わかんない…!)」

ぐるんぐるんとひたすら回る頭を抱えながら、いつの間にか俯いていた顔を何気なく上げてみると、またタイミングが合ってしまったのかなんなのか、両耳に大量のピアスを施した2年生とぱちっと目が合ってしまったものだから、私はもう生きた心地がしない。また怯えたような声がうっかり漏れてしまった。頭が真っ白になる。

「あっ、わ、私!ふきん洗ってきます!白石くん、ありがとうございました…っ!」

そう言い放つと半ば無理やり白石くんからお茶を吸った布巾を奪い、慌てて立ち上がる。水分を余計に吸ったせいでびちゃびちゃして、ちょっと気を抜くとそのまま水滴が垂れてしまいそうだった。すると突然の行動にどこか呆気にとられている白石くんは、それでも「あ、俺が行きますよ」と声を掛けてくれた気がしたけれど、もう私はその声を拾い上げて的確に返事をすることなんて出来ない。逃げるように広間を飛び出した。


20120707