
それにしても、ザイゼン…ザイゼン…聞いたことないなあ。…うん、やっぱりおばあちゃんとの話を思い返してみても、ザイゼンくんという響きは覚えがない。いつもおばあちゃんが話す四天の人は、白石くんとか金ちゃん(実際に口にすることは出来ないけれど、心の中ではそう呼べる)がほとんどだし。あ、ヒカルちゃんの話とかも時々あるなあ…。…そういえばヒカルちゃんてどの人なんだろう?ヘアバンドしてた子かなあ。…あれ?でもさっき違う名前で呼ばれてたような…。じゃあ髪が明るかった人とか…。でも髪染めてるのはケンヤくんだって聞いたことがあるようないような…。うーん…じゃあ誰なんだろう。それらしい人なんていなかったように思うのだけれど。もしかして今日は来てないのかな。うん、きっとそうだ。
「姉ちゃん!はようー!はようー!」
ふと自分が呼ばれた気がして廊下からひょこりと広間を覗き込むと、ぴょんぴょんと飛び跳ねるようにはしゃいでいる金ちゃんが腕をブンブンと大きく横に振っていた。目をキラキラ輝かせるその様はまるで主人を待ちわびる子犬のようで、それを見た白石くんは、「金ちゃん、に懐いたみたいですわ」と笑う。でも、懐くって言われるほどお話してないような気が…その、するんだけど。なんだかどう反応したらいいのか分からなくて「そ、そんなこと…」と遠慮しがちに返事をすると、白石くんはそれを察したのかまた小さく笑って、まるで念押しするかのように言った。
「仲良うなりたいやと思います」
その言葉にふと、隣の彼を見やる。だけど彼の視線は私には向いておらず、広間の賑やかな部員達を眺めていた。「……なかよく…?……わたしと…?」自信なさげに復唱すると、白石くんは同意の短い返答をしたのちこちらに視線を向け綺麗に微笑む。びっくりして慌てて俯いてしまう私にも、彼は不快感を出すことなく優しい声を差し出した。
「──俺もですよ」
一瞬何を言われたのか理解出来なくて、妙な間が開いてしまう。おれも、って、私と仲良くなりたいって、こと…?それとも私がぼんやりしてただけで、何か聞き逃してたのかな。それとも私の突っ走った勘違い?白石くんの前じゃ私、いつも慌ててばっかりだから。真意探ろうとおそるおそる横目で彼を見上げてみるけれど、どうやら彼はずっと私に視線を注いでいたらしい。こちらは盗み見るような弱々しい視線だったにも関わらず、しっかり目を合わせられてしまった。そして慌てて目を逸らそうとするのを見透かしたかのように言う。
「俺も、と仲良うなれたらええなあって思ってます。…きっと、他の奴らも」
そんなことを言われたら、目を外すのが気まずくなってしまう。見事に先手を打たれてしまった。大人しく、中途半端に下ろしていた視線をゆっくり上げてみる。白石くんは男子が苦手な私に恐怖心を与えないような温かい笑みを浮かべてくれているというのに、どうしてだろう、やっぱり妙に背中が熱くなってしまって、見られるのがひどく恥ずかしくて耐えられなくて、だからやっぱり俯き無言のままこくんと頷いた。そんなことくらいしか出来なくて。でも、だって。…なんか、なんかね。
「(い、言われるこっちが恥ずかしい…)」
こんなこと面と向かって言われたことのない私には、どうもむず痒くなってそわそわしてしまう。どうにかならないものかと唇を軽く噛みながら台所から持ってきた布巾をぎゅうっと握りしめてみるけれど、一向にこの照れは引いてくれそうにない。にも関わらずその原因を作った彼はそんな雰囲気を微塵にも感じさせないから、私はますます羞恥に火をつけた。…私、またひとりで勝手に恥ずかしがってる。ひとりでいっぱいいっぱいになって、おろおろして。そもそも白石くんは深く考えず場の流れで言っただけなのに過敏に反応して。…恥ずかっている自分が一番恥ずかしい。
「(でもこんなんじゃ、だめだよ)」
俯いたまま、そんなことを思った。私は男子に少し苦手意識を持っているけれど、でもきっとこのままじゃだめだってことくらい、ほんとはずっと前から分かってた。もっと余裕のある人になりたい。だって私、いつだって男の子に話し掛けられただけで怖がって、挙句の果てには恥ずかしがって俯いてばかりで。いつも女の子のグループにいるからそれでもいいやって思っていたけれど、でも、こんなにも優しく気遣ってくれて、なかなか自分から打ち解けようとしない私に話しかけてくれて。そんな彼にまで俯いてばかりでいいのかなって。私、ほんとはずっと思ってた。
…出来ることなら、いつも堂々としてあったかい優しさをあげられるような人になりたいのに。どんなに小さなことも拾い上げて気を遣ってくれる白石くんみたいな人に、私もなりたいのに。…なれるかな。…でも白石くんは受け答えもしっかりしてるから、どんな人にだって俯いて無言のままなんて、きっとしない。…私。私も。私だって。きゅっと目を瞑って、息を吸い込む。そうしてまたそっと瞳を開けて、決死の思いで口を開いた。
「わ、わた、し……っ、」
だけどどうしたことだろう。震える声を必死に掻き出してみたら、案の定細々とした小さな音になってしまった。なんだか頼りない。自信なさげで不安定で、まるで今の私をずばり表しているようだった。おまけに涙腺も緩んで視界までもが滲んでくる。
「わ、わたし、も……、えっと、あのね、その…み、みなさんと、そ、そうなれたら、いいなあって………」
い、言えた!顔はやっぱり上げられなくて、時よりちらちらと白石くんを見上げるだけで精一杯だったけれど、それでもちゃんと言えた…!安堵は引き攣ってばかりだった頬を緩ませる。だけどこんなことを面と向かって口にすると言うのは照れ臭いことに代わりはないわけで、すぐにその達成感は羞恥心に色を変えてしまった。…なんだかとんでもないことを言ってしまったような気がする。何お前言ってんのとか、今の本気にしたのとか笑われたらどうしよう。そんなことを考えたらいてもたってもいられなくて、かああーっと全身を熱くなる。そして白石くんが何か言う前に、慌てて口を開いた。
「や、やっぱり!なんでもないです…っ!」
そう早口で告げると、逃げるように白石くんに背を向けて広間へ飛び込む。そこはそこで男子ばかりの世界だけれど、金ちゃんが「姉ちゃん!やっと来てくれたなー!」と人懐こい声を掛けてくれたからなんだか救われた気がした。子犬のようにはしゃぐ1年生の周りは明るく楽しい雰囲気で、だから私もそれに隠れることが出来るに違いない。だって、だって。…四天の人達と仲良くなれたらとか、白石くんみたいな人になりたいだとか。そんな大それたこと願っても、きっと今の私じゃ叶いっこないもん。現実と理想の自分を描いては、しょんぼり俯いた。
「あっ!ワイテーブル拭くで!任しとき!」
だけどそんな私とは対照的に明るく弾む声で話し掛けてきた金ちゃんは、私の右手に握りしめていた布巾を見つけたらしい、任せろと言った言葉のとおり、目をキラキラさせて手を差し出していた。どうやら寄越せと言っているらしい。でもお客さんなわけだしこんな雑用をやらせるのが申し訳なくて「でもあの」と口籠っていると、「ええからええから!」と言って、まるで遠慮するなと言わんばかりの笑顔で否定する。そこでふと、白石くんの言葉を思い出した。
『仲良うなりたいんやと思います』
…信じちゃって、いいのかな。甘えちゃって、いいのかな。手元の布をじっと眺めた後、目の前の少年にゆっくりと差し出してみる。けれどいつの間にか緊張し硬直し始めていた私の体は、布巾を渡す動作すらぎこちない。にも関わらず金太郎くんはそんなの全く気にしないようで、むしろ嬉しそうにぱあっと明るい笑顔をまき散らす。
「おおきに!」
お礼を言うのはむしろ私の方だと言うのに、彼はそんなこと微塵にも思っていないようだ。「ワイ、テーブル拭くのめっちゃ得意なんやで!見ててや!」そう上機嫌のまま布巾を受け取りローテーブルを拭き始める金太郎くんはなんだか小学生のようにはしゃいでいる。そもそもテーブルを拭くに得意も不得意もあるものなのかというツッコミは、時よりこちらに目をやって「な!うまいやろ!」と妙に自信満々に尋ねてくる金太郎くんを前にしては口が裂けても言えるはずがない。にも関わらず、なんだか心がほっこりしてくるのはなんでだろう。妙に頬が緩んでしまう。不思議な子だなあと思いつつそのままこくりと頷くと、金太郎くんは嬉しそうに笑った。
「お。金ちゃんめっちゃやる気やん」
そんな声が真後ろから聞こえてきたような気がして慌てて振り返ると、そこには大量のカップが乗ったトレーを運ぶ白石くんの姿があった。どうやら彼も私に続いて広間に足を踏み入れたようで、妙に張り切る金太郎くんを眺め笑っている。なんとなく白石くんの横顔をじっと見つめてみるけれどなんだか色々なことが起こりすぎて、彼を眺めるのは妙に照れ臭くなってしまったものだから、私も白石くんの視線の先を追って見る。どうやらきゃっきゃとはしゃぐ1年生は周りの人間をも巻き込んでしまうようで、ただテーブルを拭いているだけだというのに妙に明るい雰囲気を作り上げていた。
時より「浪速のスピードスターに比べたらまだまだやっちゅー話やで金ちゃん!」という声が聞こえてきて何やら競争のようなことに発展したかと思ったら、「金ちゃんも謙也も拭き方が雑や」だとかいうツッコミも聞こえてきて、なんだか一種のカーニバル状態になっている。たった1枚の布きれでここまで盛り上がるなんて凄すぎる。
「…俺ら、いっつも全力なんですわ」
ぽつりと白石くんが漏らした言葉はまるで独り言かとも思ったけれど、私に向けて発せられたものらしい。ゆっくり彼を見やると、彼はやっぱり綺麗な横顔のまま部員達をぼんやり眺めていた。
「テニスも遊びも、いっつも馬鹿みたいに全力なんですわ。せやからもしかしたらもついていけんって思うことあるかもしれませんけど、それでも俺ら全力で絡むと思います。笑かしたもん勝ち、楽しんだもん勝ちなんで」
まあそれで時々周りが見えなくなることがあるんですけど、と苦笑しながら付け足す白石くんをじっと見てから、ふといつも全力投球だという彼らに視線を移してみる。長年慣れ親しんできた渡邊家の広間は私の知らない男の子達が所狭しと言わんばかりにはしゃいでいて、だからか笑い声が絶えない。明るくていい人ばかりなんだと分かってはいるけれど、でもどうしても、それに慣れない私はびくびくしてしまう。遠目から見る分には構わないのだけれど、あの輪の中に入る自分がどうしても想像出来なかった。
…それに、どうしてそこまでして私に構ってくれるんだろう。どこにそんなメリットがあるというのだろう。いくらテニス部の監督のいとこだからって、どうせ一度限りの顔合わせなのだし適当にやり過ごすという選択肢だってあるというのに。なのに、どうして彼らは私に話し掛けてくれるのだろう。
場を盛り上げようとコントをしたり、まるで弟みたいに慕ってくれたり、不安定な私を見守って優しくしてくれたりしてくれて。でも私、特別可愛いだとか明るいだとか、テニスが出来るだとかそんな要素、一切持っていないと言うのに。にも関わらず仲良くなりたいと言ってくれた白石くんの言葉は照れ臭かったけれどすごく嬉しかった。例え社交礼儀だったとしても。…私、少しでも楽しいって白石くんに思ってもらえること出来るのかな。
「……わ、私も、その……がんばり、ます…」
ひょろひょろと不安定に目を泳がせながら呟くように口にしたその言葉だったけれど、しっかり白石くんの耳にも届いたらしい。少しきょとんとした後、彼はどこか嬉しそうに笑った。
20120430 そろそろ白石視点を書かないと、ヒロイン視点じゃ色々見えないところがありすぎてもどかしい…!あとヒロインが白石白石言うようになったことに気付いてほしいだなんてそんなそんな(←)