
広間が近づくにつれてどんどん大きくなっていく賑やかな声は、彼らのいる部屋の襖を閉めているのにも関わらず廊下にまで大きく響き渡っていた。まるで修学旅行にでも来ているかのようにはしゃいでいるらしい彼らに白石くんは「五月蝿くしてほんますんません」と申し訳なさそうな顔をしてくる。だから私も「そんなことないですよ」と笑って返したいのに、どうしてもうまく笑えず頬が引きつった妙な顔になって不自然になってしまう。だからどう反応したらいいのか分からずとりあえず首を左右に振るしか出来ない。だけどそんな私にも時よりおばあちゃんの楽しそうな声はしっかりと耳に入ってくるものだから、ますます表情がこわばってしまう。そしてそれを彼に悟られまいと、ずっと俯いてばかりいる。
…告白しよう、実は私の心は今、もやもやと曇り始めている。つまるところ私はどこまでも子どもで独占欲が強くてさみしがりやで、でもそんな本心口にすることも出来なくて、だからどうしたらいいのか分からないというのが本音だった。曇りのち雨。それが今の私だった。
「(どうしよう)」
私の代わりに大量のコップを運んでくれている白石くんの背中を見て、思う。まさかおばあちゃんを取られたみたいで個人的にはあまり気分がよろしくありませんだとか、見知らぬ男子ばっかりだから、オサムちゃん早く来ないかなあって思ってますなんてこと言えるはずもないけれど。そもそもこんなの単なる私のわがままなのだけれど。…白石くんはすごくいい人で、だからきっとほかのテニス部の人もいい人なんだろうなって分かってはいるはずなのに。…私、心が狭いのかなあ。
「…」
「は、はい!」
あまりにもタイミングの良すぎるところで声を掛けられ思わずびくっと肩を震わせ顔を上げれば、振り返った白石くんの目が合ってしまう。慌てて少し視線を外して「えっと…な、なんでしょう、か」とどぎまぎと答えるけれど、まさか心の声が聞こえてしまったんじゃと内心は気が気じゃない。だけど勿論そんなこと彼に出来るはずもないから、白石くんは挙動不審な私の反応に小首を傾げた。
「襖開けてほしいんですけど、お願い出来ます?」
「え?…あ、ふすま。襖。…あ。はい…!」
そういえば、コップを持って手が塞がっているから自分の代わりに襖を開けてくれと言われていたこと、すっかり忘れていた。どうやらうじうじと考え込んでいたらいつの間にか広間の真ん前についていたらしい。…ど、どおりで四天のみなさんの声がよく聞こえると…。なんだかぼーっとしていた自分が急激に恥ずかしくなって、かああっと顔が熱くなった。思わず俯いて「す、すみません」と上の空だったことに謝ると、逆に白石くんは「…大丈夫です?」と声を掛けてくるものだから、やっぱり彼は私の心が読めるのかとびくびくしてしまう。「えっと、な、何がですか…?」おどおどしながら聞き返すと、彼は「何かっちゅーか…」とどこか遠慮しがちに口を開いた。
「俺の勘違いかもしれんのですけど、なんやさっきからぼーっとしとるみたいですし…。疲れてます…?それとも具合悪いとか。東京から来たばっかんやし、俺らに気ぃ遣わんでくださいね。長居はせんようにしますんで」
「…え?あ、あの!えっとその、私、だいじょうぶです。そんなこと、全然ないんで」
とか口では言いつつ実際は、やっぱり元気ないって気付かれてた!と内心大慌てになってしまっていた私は背中にダラダラと嫌な汗を掻いてしまう。ど、どど、どうしよう。白石くんは優しくて気遣いが出来るだけじゃなくて勘もよくて、更に初対面の相手でも様子を伺える人だったみたい。どこまで出来た人なんだ。同い年なのに。…でも白石くん、あのね、ごめんなさい。確かに東京から大阪への移動で疲れているのも事実だけれど、まさか白石くん達に嫉妬してなんだかしょんぼりして元気がなかったんですなんて、そんなの口が裂けても言えないの。だから必死に誤魔化すしか私には選択肢は残っていないはずなのに、白石くんは目ざとくそれを見破ってしまうものだから困ったものだった。
「『でも』やのうて、遠慮せんといてください。…俺、さっきも言うたでしょ。の話よう聞かされて、ずっと会うてみたい思っとったて」
「…は、はい…」
「せやからあんま初対面って感じ、せえへんのですわ。今まで会うたこともなかったし話したのやって電話で一瞬だけやし、だからこんなこと言うのもおかしい思われそうですけど。…せやから、遠慮せんといてください。…な…?」
「(えっ…!)」
思わず心臓を鷲掴みにされた。そんな感覚に陥ってしまった私の胸は、きゅううっと締め付けられて仕方がない。だってそんな、ちょっとさみしそうな目で、そんな、小首傾げられるとか。こ、こいぬみたいで、なんていうか、えっと。「え、あの、あ、あの、その……」明らかに動揺してますということが丸わかりの間抜けな声しか出てこない私は目が泳いで仕方がなくて、白石くんの顔をもう直視出来ない。どんどん火照る頬は熱さと一緒に重さを伴うようで、どんどん俯いてしまう。「……は、はい…」斜め下の床の木の目を無意味にじっと眺めたまま、私は小さくこくりと頷いた。
「うん、ええ返事や」
白石くんはどこか満足気にまるで独り言のようにそう言ってくれるものだから、なんだか同い年のお兄ちゃんを持った気分になってしまう。そんな彼を盗み見るようにこっそり見上げては、思う。…しらいしくん、やっぱりやさしい。じんわりと彼の優しさが身に染みてきて、なんだかほかほかしてきてしまった。だって、おばあちゃん取られたって逆恨みみたいなこと思ってる私にもこんなに気を遣ってくれるなんて。……な、なんだか自分がひどく惨めに思えてきちゃった。急に罪悪感を覚え始めた私は、恥ずかしいとかそういう感情以外の理由で白石くんの目を見ることが出来ない。
「(…むしろ、なんか見ちゃいけない気がする)」
あまりにも白石くんが優しすぎて。というか色々眩しすぎて。自分がちっちゃいなあって思っちゃうというか、恥ずかしくなってきちゃうというか。にもかかわらずついつい彼を見やる私は矛盾した行動をとっているに違いない。そんな私の視線に気付いたのかタイミングが合ってしまったのか白石くんとうっかり目が合って、多分男子が苦手と自称する私に不安を与えないためか優しく微笑まれてしまったものだから、やっぱり慌てて俯いてしまった。び、びっくり、した。どきどきと高鳴る心臓はどうも小心者でいけない。じわじわと涙目になってしまう私に、白石くんはやっぱり優しく声を掛けた。
「あの。男子がいっぱいおってもうあかんーって思たら、俺に言うてくださいね」
「…えっ?あのあの、でも、その」
「、やっぱ男子苦手やっちゅーことはよう分かりましたんで」
「えっと、えっと…」
「一応俺部長やっとるんで、多少はあいつら制御出来ると思いますし、頼ってええですから」
「えっと、あの…」
「…あ。もしかして俺のことも怖いです?」
「そ、そんなことは!…あ、えっと、ない……です……けど……」
「そか。ほんなら良かったわ」
安心したように笑う白石くんに、私はまた俯いて顔を隠してしまう。いや、彼と一緒にいると緊張するってだけで怖いわけでもないし嫌いでもないから、言っていることは全て事実なのだけれど、なんとなく恥ずかしくて。そもそも男子が苦手っていうのは別に男子自体がすごく嫌いというわけではないから、時間を掛けてゆっくり接してもらえれば普通にお話出来る私にとって、きっと彼のこの申し出はありがたいのかもしれない。だって小学校のクラスメイトで今も同じ学校通っている男の子もいるけれど、その子とは普通に話せるし。…うん、白石くんには申し訳ない気もするけれど、万が一のときはお言葉に甘えることにしようかな。
「(…でも、ほんとにいいのかなあ。めいわくじゃない…?)」
なんだか真意を確かめるべく彼の様子を伺いたくてついつい顔を上げてしまいたくなるけれどそうしたらまたさっきと同じことを繰り返してしまいそうで恥ずかしくて、でもやっぱり白石くんを見てみたくて、だからどうしようもなくそわそわしてしまう私に、彼は笑いながら「そんな緊張せんでも、皆ええ奴ばっかですよ。まあちょっとお調子者ですけど」と言う。…そ、そういう意味じゃ、なかったんだけどな。でもそこを「違うんですそういう意味じゃなくて」と説明するのも違うし、むしろ恥ずかしいから、白石くんの察したとおりでしたということにしてもらおうと自信なさ気に頷いておく。
…しらいしくんの前だと私、いっぱいいっぱいだなあ。やっぱりかっこいい子の前だといつもに増して緊張しちゃうのかな。…あ、じゃあ白石くんには私、変な子だって思われてるかもしれない。…な、なんかそれはそれで切ないなあ。…あ、そうだ。襖。広間の前に着いているというのにいつまでも廊下のど真ん中で立ち話するわけにもいかない。また忘れてた。いっぱいいっぱいすぎて。わ、私、もっとしっかりしなきゃだよ。
「あ、あの。えっと、じゃあ襖。開けますね」
早口でそう伝えると白石くんは律儀に「頼んますわ」とさり気なく一言返してくれるものだから、やっぱり白石くんはできた人なんだなあなんて改めて実感してみる。それに引き替え、そんな彼を直視することは出来ない私はやっぱり俯き加減で無言のまま、手の塞がっている白石くんの代わりに襖を開けるしかない。…わ、私、さっきから薄々感じてはいたけれど、白石くんに比べるとすごく無愛想で失礼な人間にしか見えない。
「(…ど、どうしよう、なんかよく分かんないけどすごく恥ずかしい)」
半ば溜息をつきそうになりながら襖を開けふと中を見やり、そこで固まった。…え、この展開、何。ぽかんと呆気にとられている私は、きっとひどく間抜けな顔をしているに違いない。今日はなぜか驚くことばかりが起こってしまうものだから反応に困ってしまう。ここに来たときだってまさか四天宝寺の人達が来るだなんて知らなくて度肝を抜かれて、白石くんに初めて会ったら会ったらですごく気の利く人で人間力も高すぎて本当に同い年なのかななんて驚いていたばかりだというのに、挙句の果てに広間の襖を開けたら何故か目の前にはどこから持ってきたのかキンキラキンに光り輝く金色の背広と目元にマスクを装着していたり、おそらく顔の横の長さとほぼ同じ大きさであろうドピンクのリボンを坊主頭にまるで帽子を被るかのようにゴムで固定しつつやっぱりそれと同系色の派手なふりふりなワンピース衣装を身にまとう意味不明な男子2名の姿が私達を出迎えて来たのだから、これは思考回路が完全停止しても仕方のないことだと言わせていただきたい。
…本当にここは渡邊家なのか。本当におばあちゃんの家なのか。おろおろと辺りを見回すと間違いなく私の祖母がほのぼのと微笑んでいる姿や見慣れた室内の光景を発見し、やっぱりここは間違いなく私のおばあちゃんの家、らしい。けれどあまりの突拍子のない展開を繰り広げる彼らに、思わず「どちら様ですか」と尋ねたい衝動に駆られてしまう(いや、間違いなく四天テニス部の人なのだろうということは分かりきっているのだけれど)。そういえばさっき玄関で、まるで波打ち際の砂浜でキラキラとまばゆいオーラを放ちながら追いかけっこしてるような2人組がいたような、気がする、けど。あの。でも、えっと。…どうしよう、予想の遥か斜め上を行き過ぎて対応が出来ない。お調子者が多いって言ったって、これは流石に度を越えていると思うよ白石くん。
「(…な、なに、これ)」
…あ、しまった。人を「これ」と称してしまった。失礼極まりないことだけれどそれは私の心の声で彼らには聞こえなかったことや、むしろそれくらい動揺しているということで許していただきたい。しかしそんな私の心境ももろともせず、むしろようやく来たと言わんばかりの表情の彼らは、まるで漫才でも始めるような口調でぱちぱちぱちっと自ら拍手をしつつ「はいっ、どーもーっ!」なんて誰にしているのか分からない挨拶で話し掛けてくるものだから、私の体はガチンと完全に凍りついてしまった。そういえば今更だけれど、彼ら2人の間に挟むように置かれているあのマイクはどこから持ってきたんだろう。しかもマイクスタンド付きで。
「え、あの…えっと…っ、あ、あの…っ。あ、あの………っ!……っ、」
どうしよう、この世界観ついていけない。頭がぐわんぐらんしてきた。泣きそうになりながら一歩後ずさりするけれど、目の前の彼らはなんのそのらしい。相変わらず明るい声のまま、マイペースにコント(と思われるやりとり)を開始し始めてしまったものだから、私はもはや硬直するしかない。…ほ、ほんとになに、これ。しかも漫才芸人2人組は時よりチラチラとこちらの反応を伺うように目をやってくるものだから、私はますます緊張を増してしまう。
「──っちゅーわけなんよーっ!」
「あ、あ、えっと…えっと……。えっと……っ、」
「…あー…ほれ、こういうときはなんでやねん!って突っ込むとこやで、お嬢ちゃーん…」
「!ふええ…っ」
リボンで眼鏡の方に話しかけられた!どうやら2人でボケたから私に突っ込んでほしかったみたいだけどごめんなさい、漫才見る余裕なかったですだからよく分かんないんです…!…ど、どどど、どうしよう。彼らは気さくに私に話を振っただけなのかもしれないけれど、そんな、わ、私、あの、わたし。じっと集中する視線に半泣きになりながら必死になって対処方法を探し出すけれど、パニックに陥った私の脳はうまく働いてくれない。こんな展開、玄関のときを入れてもう二回目だ。ど、どうすれば。ぐるんぐるん世界が回りショート寸前になる一歩手前で、はっと先程の白石くんの言葉を思い出した。
『頼ってええから』
今となっては、まるで救世主の言葉のように思える。まさか本当にどうにかしてもらうときがくるとは思ってもいなかったけれど、ここはもう白石くんしかないよ…!だから白石くんお願いどうにかして!という願いを込めて半ばすがるような思いで彼の右腕を掴みながら彼の背中の後ろに隠れる。白石くんは一瞬少し驚いたような視線を私に向けたけれど、すぐにその意図を察したのか目の前の2人組に声を掛けた。「…何やっとんねんお前ら」その声は呆れているのか叱りつけているのかよく分からない色をしていた。私の心臓はばくばくと騒がしくしているというのに、白石くんはまるで普段どおりと言わんばかりの対応の落ち着きっぷりを披露していた。
「ユウジに小春。急に漫才始めたらあかんやろ。驚いてもうたやん。なんや涙目になっとるみたいやし」
「なんで…なんでウケへんのやー!今のは最高傑作やっとろ!?今のボケ最高やったろ!?」
「ユウくん…このままやとウチ…っ!ウチもうユウくんとコンビ組めへん…っ!!もっとええボケ探しや…!」
「小春ううううう」
「自分ら俺の話聞いとるか」
「(う、うう…)」
頭がこんがらがって訳が分からない!あと白石くん、さっそく頼っちゃってごめんなさい!…そんな混乱と罪悪感が混じりに混じってなんだかもう本当に事態を呑み込めないのだけれど、これは私だけなのかな。おばあちゃんはまるで「みんな仲良しやねえ」と言わんばかりに見守っているし、むしろおばあちゃんに泣きつこうにも目の前の漫才コンビをすり抜けて行かないといけないし。私にそんな度胸ないし。だからやっぱり白石くんに頼るしか道は残されていない。彼の背中にすがつく私は、まるで母親に頼りきりの子どものように思えた。…訳の分からないへんてこりんな展開すぎて、なんかもういっそ泣きたい。だからオサムちゃん早く来て!
20120320 ちなみにリボンしてたのが小春で金色のスーツ着てたのかユウジですよ念のため