鼻歌を歌いそうになるのを必死に我慢していた。そんなゴールデンウイーク前日のことだった。今日は学校が終わったら、そのまま1人で大阪のおばあちゃん家に行くことになっている。それが朝からずっと楽しみで仕方がなかったのだ。白石くんと話して会話した夜、オサムちゃんからメールが入って大阪行きが決定した。実は今日、おばあちゃんの誕生日だったりする。交通費半分出してやるから、それを祝いに来いという内容だった。勿論即オーケーを出したのは言うまでもない。 前に大阪に行ったのはいつだっけなあなんて上機嫌に考えていると、ふと「さん、聞いてる?」と男子の声が耳に飛び込んできた。そこで初めて今は家庭科の授業中だったと思い出し、慌てて返事をする。そういえば、調理実習のことをグループで話し合ってるんだった。

「ご、ごめんなさい…!あの、ぼーっとしてました!」

向かいに座る不二くんに素直に頭を下げると、彼は「いや、体調が悪いわけじゃないならいいんだよ。さんがぼーっとしてるなんて珍しいから」と優しい返答をしてくれた。うう、なんだか申し訳ない。話し合いやすいようにと机の向きを変えてくっつけたため、6人グループはおもむろに家庭科の調理ページを開きながら実習用のプリントを埋めている作業中だった。そ、それなのに、私…っ!恥ずかしくて顔に熱を集中させながら俯いていると、隣に座っていたコッコちゃんが「まあまあ」とフォローをしてくれた。

「今日からおばあちゃん家に行くんでしょ?おばあちゃんっ子だもんね、仕方ないよ」
「おばあちゃん家?」

きょとんと不二くんが復唱しながら私を見るから、慌ててこくりと頷く。「う、うん。えっと、あのね、お、大阪にね、あるの…」そのまま徐々に俯いて、シャーペンを持つ右手に視線を集中させながらぎこちなく答える。男の子を直視することがどうしても出来ない。なんでかそわそわしてしまって。わ、私の話はいいから調理実習の話を進めようよと心の中で叫んでみるけれど、そんな声を送信することはやはり出来なかったらしい。大阪と聞きなれない地名が出てきたからか、菊丸くんは目を輝かせて食いついてきた。

「へー、大阪!いいないいなーっ!俺行ったことないんだよねえ。不二は?」
「僕もないな。一度行ってみたいとは思ってるんだけど。…さん、楽しんできてね」
「…えっ?あ、はい…!」

まさか私に話を振られるとは思わなくて一瞬テンポが遅れてしまった。慌ててぎこちなく頷く。そしてこの話はもう終わりかと思いきや、菊丸くんはよほど大阪に魅力を感じたのか、テンションを上昇させながら話しかけてくる。こんなにも彼と絡むのは初めてだ。

「ねえねえちゃん!いっぱい写真撮ってきて写真!そんでもって、ついでにお土産よろしくーっ!」
「あ、う。はい」
「…こら英二」

苦笑しながら咎める不二くんに、菊丸くんは「冗談だってー」と笑う。この2人は仲がいいなあとぼんやりと思っているとふと、そういえば2人ともテニス部だったことを思い出す。しらいしくんと同じだなあなんて考えながら、私の中でも随分しらいしくんが浸透したものだと自分自身に苦笑した。

でも楽しみだなあ、大阪。おばあちゃんとオサムちゃんの3人で誕生日会。わくわくする。ケーキや料理はオサムちゃんが買ってくるって言ってたし、やっぱり楽しみだなあ。ケーキはいちごのだったらいいなあなんて考えたところではっとした。私またぼーっとしてる!だ、だめだめ…っ!今は授業中!確かにこれが終わったら一目散に家に帰って荷物持って東京駅でそのまま大阪だけど…! ぶんぶんと首を振って邪念を振り払っていると、まるで猫のような赤毛のクラスメイトが「それじゃ皆様お待ちかねの材料じゃんけーん!待ったは抜きだからねっ!」と右手を高々と上げた。調理実習で使う食材は、基本的にすべて自分達で用意しなければならないのだ。

「…あ、でもちゃん、ゴールデンウイーク中ずっとばあちゃん家なんだよね?買いに行く暇ないだろうし、今回はなしにしたほうがいいのかなあ」
「えっ」

ふと思いついたように口にしたらしい菊丸くんの発言にびっくりして顔を上げると、ちょうど「そういえばそうかもね」なんて同意する不二くんの姿が目に入った。え、あの、あの、えっと。わ、私…!おろおろとグループメンバーを見回すと、なんてこの人達は優しいんだと思わずにはいられないほど異論者が出てこないものだからどうしたらいいのか分からない。あの、えっと!慌てて口を開いた。

「だ、大丈夫だよ…!ほら、コンビニとかあるし!だからあの、そんな気を遣ってくれなくても…!」
「大丈夫大丈夫!その代わりお土産よろしく!俺甘いやつがいいな!」

にかっと人懐こい笑みを浮かべた菊丸くんに、もう私は何も言えない。きょろりと他のメンバーを見ると、やっぱり優しい人達ばっかりで反対の顔をしている人がやっぱり見当たらない。私はまた俯いて、こくんっと小さく頷いた。







「少年たちー。今日はスーパーまで買い物やー。ついでにそのままばあちゃん家にきいや」

イコールパシリになれということか。ゴールデンウイークという名の5月の大型連休前日の、しかも練習後にそれを言うのか。疲れ切ったレギュラー達に平然とそう声を掛けて来たオサムちゃんの発言に顔をしかめた部員はちらほらと見られる。ばあちゃん家に行くのはええけども、何が嬉しくて練習で疲れているのに更に監督の手足となって働かなあかんねん。レギュラー部員達の表情が語っていた。それ要するに食品やら買い込むから持てっちゅーことやろ。俺と全く同じ思考回路にたどり着いたレギュラー達は、案の定ええーと不満気な声を挙げた。

「なんやお前ら。ばあちゃん家行きたくないんか」
「ちゃうやろ。俺らがブーイングしとるんはそこやのうて、なんでオサムちゃんの買い物に付き合わなあかんねんっちゅー話や」

謙也が代表してみんなの心の声を音に変換し、ユウジや小春がそうやそうやと深く頷いていた。そもそもオサムちゃんのばあちゃんと言うのは、正真正銘俺ら四天宝寺男子テニス部顧問の渡邊オサムの祖母のことを意味する。じいちゃんは既に他界し一人暮らしをしていることや、家が学校から5分で着くということも相まって、2年の6月ほどから家に遊びに行かせてもらったりご飯を食べさせてもらったりと何かと世話になっていた。

大所帯で押しかけるのも申し訳ないと思いつつ、ほのぼのしていて時間がゆっくり流れるようなばあちゃんの家の空気を自分自身気に入っていた。そう感じていたのはどうやら俺だけではないらしく、特にボンタクレの1年ルーキーはまるで自分が孫のようにばあちゃんに懐いているし、2年の天才くんは普段こういう付き合いに乗らない割に、ばあちゃん家に行くとなると即座に二つ返事をする。

当のばあちゃんも無駄に広すぎる家に1人でいるのも寂しいし、大勢でわいわいしてくれると楽しいし助かるといつも嬉しそうな顔をしてくれるから、いつも俺達はその言葉に甘えている状態なのである。…で、ばあちゃん家。ばあちゃん家ねえ。行くのはいっこうに構わないが、なんでわざわざ遠回りをしてスーパーに行かねばならないのかが分からない。ばあちゃんから買い物を頼まれているのだろうかと首を傾げていると、オサムちゃんは重大事項をさらりと暴露した。

「今日、ばあちゃんの誕生日やねん」

なんでそない大事なことを当日に言うねん!えええええと大きなレギュラー陣の大合唱がコートに響く。「まじでかオサムちゃん!」「嘘お!」「あり得へん!もっと早う言うてくれっちゅー話や!」慌てた様子で真実を問う部員達に、オサムちゃんは「なんや言うとらんかったか」とけろりとした顔をした。どうやら本人は既に俺達に伝えたつもりでいたらしい。困ったなあと、明らかにそうは思ってなさそうな顔で頭を掻いて呟くように言った。

「ばあちゃんにはお前らが来ること、もう言ってしもてん」
「えっ」

それもう行くしか選択肢ないやん!部員一同顔を見合わせ、慌てて制服に着替えるべく部室へ走った。


20120104 クラスのみんなが優しすぎる件