気になっている人がいる。同い年で、おばあちゃんの家から徒歩5分圏内にある四天宝寺中学テニス部の部長をしているらしい男の子。名前はシライシくんというらしい。どうやら部長をしているというだけあってしっかりしていて、口調も落ち着いている、らしい。らしいというのは、私が彼と直接会ったことは一度たりとも、はたまた話したことすらないからだ。じゃあどこでシライシくんのことを知ったのかというと、情報源はたったひとつ。大阪に住む祖母とも電話でのやりとりでだった。

『ほんま、白石くんはよう出来た子やでー。ばあちゃん感心したわあ』

最近おばあちゃんは口を開けばシライシくんの名を登場させるものだから、彼に会ったことのない私もすっかり覚えてしまった。どうやらシライシくんというのはおばあちゃんいわく、随分な好青年らしい。そういえばイトコのオサムちゃんは今年の4月から男子テニス部の顧問になったとか言ってたっけ、なんてことをぼんやり考えながら、受話器越しに「そうなんだあ」と頷くのが私の常だった。

そうして相槌を打ちながら話を聞いていけば、おばあちゃんがそのシライシくんを知ったきっかけはなんてことない、本当にささいなことだった。祖父が他界し1人暮らしをしているおばあちゃんの家からオサムちゃんの職場の四天宝寺中学校は近いという事で、オサムちゃんは以前より増してちょくちょく顔を出すになったらしい。そこでテニス部の顧問に赴任したこと、その生徒の癖が強い奴ばかりだのと話すようになったのは自然の流れだったのだろう。そんな日々が繰り返されたある日、おばあちゃんはぽつりとその部員たちに会ってみたいと口にし。その結果今では今では彼らの部活後に家に寄らせて夕飯を振る舞っていることも度々あるほどまでに交流を深めているらしかった。

おばあちゃんはよほど彼らのことが気に入ったのか、電話をすると高確率でテニス部員達との出来事を話してくれる。そしてそのほとんどがシライシくんのことだ。そのたびに私は、恋心とはまた違う色の好奇心が疼いてそわそわした。おばあちゃんがそこまでべた褒めするシライシという人は、一体どんな人なのだろう。純粋に興味があった。だっておばあちゃん、いつもシライシくんのことばかり話す。初めてシライシくんと会ったのだけれど、こんな好青年初めて見たわあ・だとか、玄関に散らかってた部員の靴もな、うちはなあんも言わへんかったのに、1人で綺麗に並べ直してくれてたんやで・とか、周りをよく見てくれとるわ、流石部長さんやね・とか。

そんなことが起こり続けるわけだから、どうやら四天宝寺テニス部員のみんなすきらしいけれど、シライシくんは群を抜いておばあちゃんのお気に入りらしいということは誰に言われるわけでもなく気付くことが出来た。最初は、ふうん・そうなのと相槌を打っていただけの私も、流石にこれが何度も繰り返されるうち、シライシくんの名前を覚えるようになってしまったのは自然なことだと言えよう。

だけどシライシくんは私の中では半ば空想の人物に近い存在で、いまいち実感がわかないおとぎ話か何かの登場人物のようで、自分とは遠い存在で、つまり一線を引いた無縁な人だった。人はそれを他人と呼ぶけれど、他人とは違う親近感が確かに存在する。何度も何度も会ったことのない人の話を、まるで擦り込まれるように聞かされ続けて来ただろうか。私にとって彼は完全に他人で顔も声も何もかも詳細が分からない人のはずなのに、どこか友人のような距離感がある不思議な存在だった。でもまあきっとその線が交わることなんてないだろうなあとのんびりと他人事のように思っていたある日、その思い込みの崩壊は何の前触れもなく訪れた。彼の名前を初めて聞いてから10ヶ月が過ぎた中学3年生の春。4月の2週目に入った頃の出来事だ。

ちょうどVS嵐が始まる時間だったから多分午後7時を回った頃、そのおばあちゃんから小包がひとつ届いた。そういえば一昨日、近所の人からお菓子を貰ったから送ると電話で言っていたのを思い出す。小さなダンボールを開けてみると、予想通り箱に入った菓子たちが3つほど入っていた。包装から察するに、結構なお値段のもののように思う。ひょこりと箱を引っくり返して商品名が書かれているシールを何気なく見てぎょっとした。…うわあ、これテレビでよく見る有名なカステラだ。あ、こっちはマカロン。

ほんとに貰っていいのかなあなんて考えるけれど、でも確かにこんなに大量にあっても1人暮らしのおばあちゃんは食べきれないのかもしれない。でもその中にチョコパイが入っていたのは明らかに私仕様だ。わざわざ買ってくれたのかな、なんて考えながら家電を手にする。お父さんもお母さんも仕事でまだ帰ってきていないけれど、お礼の電話は早いほうがいいに決まってる。いつの間にか暗記してしまった祖母宅の電話番号を押して耳に当てた。トゥルルル、と電子音が聞こえる。

最近足腰が悪くなったというおばあちゃんは、いつも電話に出るのが遅い。おまけに家がただっ広いので、どんなに短く見繕っても15秒は待機せねばならないのが常だった。だから私はのんびりとリビングのソファに腰掛け、通話しやすいようにとリモコンで無音ボタンを押したまさにそのとき、電子音が途切れた。今日は応答がやけに早いけれど、電話のすぐそばにいたのかな、とぼんやりと考える。しかし「あ、おばあちゃん?だけど」と声にする前に受話器から聞こえてきたのは、なんと見知らぬ男の子の声だった。

『はい。渡邊です』
「えっ?あ。すみません。間違えました」
『ああ、はい。ほな』

おばあちゃんに電話をしたつもりだったのに、まさか間違えてしまうとは。びっくりして思わず切ってしまった。ツーッ、ツーッと終話を知らせる音に、間違い電話は間違い電話でもまさか同じ渡邊だったなんて、随分縁のある間違い電話をしちゃったなあなんてどこかズレたことを考える。今度は間違えないようにしなきゃと念には念を押して、テーブルの上に置いていたケータイを手に取った。そうしてアドレス帳を開いて右手に持っていた子機で押しなれたボタンを器用に押していく。…よし、大丈夫。

小さな画面に表示された番号を見比べて間違っていないことを確認してから通話ボタンを押す。家電から掛けたほうが通話代が安いのだ。私、実はちゃっかりしてる。そうして耳に当てれば、トゥルルルルと呼び出しのコールが鳴り始めた。だけど3秒もしないうちに途切れたと思ったら先程と全く同じ声で『はい、渡邊です』と言われたものだから、私は思わず叫んでしまった。どちら様ですか! 

『誰言われましても…むしろそちらがどちらはんです?』
「そ、それはこっちの台詞です…!お、おばあちゃんは!?おばあちゃんはどこですか!オサムちゃんは!?あ、あな、…っ、あなた一体誰なんです!?」

もしかして泥棒とか!と思って慌てたら、誰ですかって2回も言っちゃった。ていうか噛んじゃった。思わずぼっと耳が熱くなる。だけどパニックになって早口になってしまう私とは対照的に相手は妙に落ち着いていて、彼は「もしかして」とぽつりと呟くように言った。

『…もしかして自分、「」とちゃいます?』
「え?」

なんで私の名前知ってるの。そういわんばかりの反応をしていると、受話器越しの彼は『やっぱそうやったんかあ』と、まるで独り言のように言った。彼は何やら納得したような雰囲気だけれど、当の私はちっとも展開についていけない。だけど、どうやら彼は私のことを知っているらしいということはかろうじて分かった。だって「やっぱり」って言ってる。…え?誰?誰?私、大阪に男の子の知り合いなんていないのに…!

『俺、白石言いますねん』
「シライシ…」

私にシライシなんて知り合いはいない。だから初めて聞く声なはずのに、初めて聞く名前のはずなのに、なんだか聞き慣れた響きがして頭に引っかかる。どこで聞いたんだっけ、その名前。「…えーっと…」明らかに思い出せません、というニュアンスをばしばし出していたからだろうか、それを察したらしいシライシと名乗る彼は少し笑いながら言う。

『四天宝寺中の男子テニス部の部長やっとります、白石蔵ノ介言いますねん』
「…あっ」

しらいしくんだ。おばあちゃんからよく話を聞かされ続けてきた、あのしらいしくんだ。初めて声聞いた。こんな声だったんだ。じわじわと胸の奥が疼いて、よく分からないテンションになってくる。「えっと、本物のしらいしくんですか」「はい。ほんまもんの白石くんです」しらいしくんは笑いを含んだ声で答える。確かに偽物も本物もないだろうし、そもそもこんなところで嘘をついても仕方がないという話だ。なんせ私達は会ったことがない。今も姿は見えぬまま、電波に乗ってくる声しか分からないのだ。

「あ、祖母がお世話になってます。孫のです。しらいしくんのお話は、いつもおばあちゃんから聞いてます」

別に目の前にしらいしくんがいるわけではないのに、ぺこりと頭を下げてしまう。初めて話すのに初めて話す感じがしないのはなんでだろう。なんだかわくわくしてしまう。まるで久しぶりに旧友と電話しているみたい。ずっと彼の話を聞いていたからかな。じわじわと上がってくるテンションを押さえきれずにいると、しらいしくんは『それは俺もですわ』と答えてくれた。

『俺ものこと、ようばあちゃんから聞いとります。東京に中学生の可愛い孫がおるんやーって』
「そっ、そんなこと…!」

世辞や社交辞令だとしてもここで可愛い、という単語が飛んで来るとは思っていなかったから、急に恥ずかしくなって過敏に反応してしまう。そんなふうにおろおろしてしまうものだから、ますます自分が恥ずかしく思えて仕方がなった。…それにしてもおばあちゃん、私にしらいしくんの話をしていると同じように、彼にも私のこと話してたんだ…。ど、どんな話をしていたんだろう…。変なこと話してないと良いんだけど…。…………。

「あ、あの!…えっと、おばあちゃん、どんなこと言ってたんですか」
『んー?…せやなあ…』

すると考え込むような声が聞こえたと思ったら、しらいしくんは『まあ、色々ですわ』となんともまあ非常に気になる返答を寄越してきた。い、いろいろ…。なんだろう。嫌な予感しかしない。

『果物とか送ったらいつも電話やら可愛い手紙くれるんやーとか、部活楽しんどるらしいわーとか、いちごがすきなんやでーとか。そういう話しとはりますわ』
「あ、そっか。なんだ」
『まあオサムちゃんは、小さい頃夜ドアの調子が悪かったらしくてがトイレに閉じ込められてあいつわんわん泣いとったわーとか、小学生のときジャンプ買いに遣いにやったらすぐそこのコンビニだったのに迷子になったさかい、あいつ方向音痴の才能は人並み以上やんなーとか言うとりましたけど』
「オサムちゃん…!」

何勝手に人の過去を暴露してくれているの!しかもなんか残念なやつばっかり!なんだか無性にイトコを殴りたくなってくる。すると遠くから『おーー。白石と青春は出来とるかー』と若干アルコールが含んでいるような声で聞こえてくるから、余計にその衝動を増徴させた。(ていうか青春ってなにー…!)しかしその瞬間、受話器越しに向こうの空気がざわっと変わった、ような気がした。

えっ、もしかして殺気が受話器越しに伝わったのだろうかと驚いて耳を澄ましてみれば、『白石―。って、ばあちゃんのお孫さんの、あのなん?』と言っている男子の声が聞こえてきた。え、え。なに。なに?あのって、何?訳が分からずまたおろおろしていると、その男子(おそらく他のテニス部部員だろう)の声にしらいしくんは『せやで金ちゃん』と肯定する。ますます訳が分からない。おろおろとうろたえた声を出していると、それに気付いたらしいしらいしくんは、丁寧に解説してくれた。

『あー…。えーっと、一応説明しておくと、自分、俺らの中じゃちょっとした有名人なんですわ』
「えっ?な、なんでですか?」
『ばあちゃんやオサムちゃんがよう話しとるから、皆すっかり覚えてしもて』
「…え」

色々絶望した。つまりはこれって、さっきみたいななんか残念な過去話を暴露されているということなんだよね。会ってもいない人に第一印象をばかな人と思われるって何これなんてイジメ!…なにこの残念な人展開。なんだか恥ずかしくなって、かあっと顔に熱が集中した。思わず俯いてしまう。

『せやから俺、ずっとと話してみたいわー思っとったんです。なんや、やっぱ話に聞いとった通りの人です。安心しましたわ』
「そ、そうですか…?」

これは褒められているのか、それとも遠回しに貶されているのかどちらなのだろう。聞いてた通りって、いい意味で?それとも悪い意味で?どっちなの?でもきっと、「やっぱりあほな子やろなと思っとったけどそのとおりやね」ってことなんだろうな。…それはなんだか泣きたい展開だ。 初対面の相手──いや、実際には会ってはないのだから初対面と形容するのはおかしいのだけれど、ほかになんて表現したらいいのか分からないからそう言うしかない──にそんなこと思われたくはない。しかも身内に知り合いがいる人に…!そう思ったらいてもたってもいられなくて、私は慌てて口を開いた。

「あ、あの!私!あほな子じゃないですよ…!」
『え?』
「…え?」

爆笑された。きっと腹抱えて笑われているんだろうと思うほど、しらいしくんは爆笑していた。すんまへん、けど自分、予想以上におもろいですわ・なんてことをそんな笑いながら言われてもちっとも嬉しくないです。うう、と顔を熱くしながらやっぱり俯いた。これが電話で本当に良かったと心から思った。まあ実際に目の前にいたら会話どころか目すら見れないのだけれど。オサムちゃんじゃないけれど、もっと男子に免疫つけたほうがいいのかなあ、なんてなんだか泣きそうになりながら考える。だけど今そんなことを考えてもしかたないから、恥ずかしくて死にそうになりながら、どうにかして話題替えを出来ないものかと頭をフル回転させて半ば無理やり突拍子な話を始めた。


20120104 今まで話でしか聞いていなかった白石と直接話したので、カタカナから平仮名発音になりました