只今の時刻は午後の3時。 と、くればカステラ1番電話は2番でしょ…ってそんなこと言ってる場合じゃなくって。 水城、今、真面目に困ってます。






受験生






さっきから、ずーっと参考書と睨めっこ。 世間じゃ夏休みだなんだと言われているのに、受験生にはそんなの関係ないのです。 遊ぶな、毎日塾に来いと塾の教師に言われ、その言葉どおり通い詰め。 だから友達とも遊べない。 買い物にも行けない。(…いや、実際は塾帰りに行ったりしてるんだけど) ちょっとくらい羽目を外したってバチは当たらないはずだわ! 大体何のために勉強してるのかさえ分からないのに、「勉強しろ」と言われてもピンと来ないにきまってるのに。 将来とかなんだとか、全然想像できないんだもん。 大学って、何のために行くの?

「そりゃあまぁ、その将来を捜しにだろう?大学に行って知識を増やせば、その分人生の選択肢も増えるってことだし」
「………そんなずばり正論言わないで下さいマスター…」

ぴったり顔をカウンターテーブルにくっつけて、ぐったりと答える私。 周りには、やっぱりこれでもかと散乱している参考書達。 その様子を、妹の夏実も苦笑いで見ていてた。

此処は夏実がバイトしているHONKY TONK。 結構ここらへんは裏新宿に近くて物騒な所だから、夏実がここでバイトするなんて言い出したときには耳を疑った。 だから、バイト初日には私もついて行ったんだ。 でもここのマスターさんはとってもいい人だってことが分かってすごく安心した。 よくこの店にいるという奪還屋さんもなんだか面白い人だし。 なにより、お店の雰囲気もとっても良くて。
そんなわけで、よく私も此処に顔を出すようになった。 特に、こう…現実逃避したいときとかに。

「…でもやっぱりさあ…高校生活最後の青春の1ページが?勉強って言葉で埋め尽くされるって…。 それってどうなのマスター!」
どんっとカウンターテーブルを叩いて、再度マスターに意見を求める。 自分で言うのもなんだけど、その様子はまるで駅前の屋台のおでん屋で愚痴言っているサラリーマンそのものである。 「勉強しときなよ。きっと人生で最後だよ?こんなに勉強するの」
ぐさっと頭に突き刺さる。 うう…一応形だけでも同意してほしかったな…。

「別にしたくなきゃしなくていいんじゃねぇの?溜め込んでたらストレス溜まって悪循環になるだけだぞ」
そう左隣の席から言っていたのは、先程言った奪還屋の1人の蛮くん。 で、さらにその彼の隣にはその相方である銀ちゃんがこくりと頷いている。 あーあ…。

「私…2人みたいになりたかったよ…」

私がぽつりと言ったならマスターは、「それだけはやめておいたほうがいいよ」と真剣な顔して言ってくれたけど、2人を見てるとつくづくそう思うんだ。 別にツケと称した借金で飲食したいとか、危険な橋を渡したいとかそんなんじゃなくて。 自分のやりたいことやって、毎日を過ごしてるっていうのが凄く羨ましい。 私はそれさえも見つかってないから。 …中途半端なんだよなあ。

「ていうか…全然わかんなーいっ!何この長文!意味わかんないよ! 私は生まれも育ちも日本なんだ!英語なんて世界に羽ばたこうとしてる人だけやってりゃいいじゃん! 第一、こんな暗号みたいなの使わないで、言いたいことあるならそのままずばっと言いやがれってんだー!」

心の叫びを思いっきり吐き出して、またばたりとテーブルに寝る。 いきなりだったから、隣にいた蛮くんはかなり驚いてたみたいだけど。 あーあ…なんかいいことないかなあ…。

カランッ

ベルの音。 そして静かに響くは鈴の音。 どうやらお客さんらしい。 …今の…聞こえてなかったよね…?大丈夫だよね? それだけが心配だ。 そういえばこの店、私と蛮さん達意外のお客が来てるの見たこと無いんだけど、これって店としてどうなの? 利益あるの? どっから夏実の給料は出てるのさ? …と、言ったら怒られそうなことばかり考えていた。

「あ!カヅっちゃんだ!珍しいね、此処に来るの!」

明るい銀ちゃんの声。 なんかよく分からないけれど、とにかく今のお客さんは銀ちゃんの知り合いらしい。 …気になる。 起き上がらないでちらりとその人物に目をやると、私はその人物に思わず見とれてしまった。

綺麗な人。 とにかくそれが第一印象だった。 容姿端麗って、こういう人のことを言うんだろうか。 優しい顔立ち。 そしてそれを際立たせる綺麗で長い髪。 その右側には鈴を付けている。 どっかのモデルさんか何かなのだろうか? うわあ背も高いなあ、銀ちゃんとほとんど変わらないや…っていやいやいやちょっと高すぎるじゃないか…? 175はありそうなんですけど。 これは一体…?

「…夏実」
「?なぁにお姉ちゃん?」
手っ取り早く妹に詳しい説明を求めた。 今のお客さんも、きっと何度か来たことくらいあるのだろう。 なら夏実とも顔見知りのはず。

「あの綺麗なお客さん…て…夏実、知ってる?」
「ああ、うん。あの人ね、花月さんって言って、銀ちゃんの友達なんだって。だからここにも何度か来てるよ。 あと、お姉ちゃん、絶対誤解してそうだから言っておくけど、花月さんは男の人だよ」

「………………………はい?」
「私も最初はびっくりしたけどねー」
あはは、と笑う妹をぽかんと眺めるも、しばらくして再び彼女──じゃなくても彼、花月さんを見た。 やっぱりどっからどう見ても女の人にしか見えないんですけど…。 でも夏実が私に嘘つく筈ないし…てことは…え?本当に? 「……あ。ニューハーフさ」
「違うと思うよ」
言う前に塞がれた。

「おや、こちらの方は…」

花月さんが私の存在に気が付いたらしい。 見慣れない顔だったので、不思議に思ったのかな。 私は、と名乗ろうとして、ふと自分の周りの状況がようやく視界に入ってきた。 カウンター席が参考書類でそれはもうすさまじいことになっているのだ。 参考書の、ビッグウェーブでもありましたかって程に…。 慌ててそれらをかき集めて適当に積み上げた。 これで、まだまし…になったろう、多分。 そしてまた髪もくしゃくしゃで。 大雑把にではあるけれど、やらないよりはマシだろうと、手櫛で整え、 「…………み…水城……です…。初めまして…」 と、なんともまぁ情け無い挨拶をした。

「初めまして、風鳥院花月です。えっと…水城ってことは夏実さんの…?」
一方の花月さんは、凛として。 何なの?人間として、この差は…。
「あ。姉です。一応…」
もっとハキハキ喋りたいのに、出来ない。 夏実から、「一応って…」と、小さくツッコミが聞こえたけれど、夏実には悪いけど、お姉ちゃんはそれどころじゃないんです! てんぱってるんです!

「あ、やっぱりお姉さんだったんですか。…で、さん?は、受験生なんですか?」
どうして分かったんですかって言おうとして、やめた。 私のすぐ隣には、高校3年生を対象にした参考書が目に入ったから。 だから、返したのは返事のみ。 すると花月さんは、ああやっぱりって顔をして言った。

「では今は大変でしょう?追い込み時期ですから…」
「あ、まあ…。」

他の子はそうなのかもしれないけれど、私は塾に行って説明聞いて、でも右から左へ抜けていくって事繰り返してる。 はっきりいって、無意味。 そんなわけだから、頭になんて全然入ってこないわけで。 そして自宅でもやってないんだけど…そんなこと言えないし。 とりあえず適当に相槌を打っておこう…うう、まともに目が見れない…。

「僕で良ければ教えましょうか?」
「…………………え?」

予想外の展開に、思わず耳を疑ったのは言うまでもない。 しかし、どうやら聞こえたままが真実らしい。 いまいち状況を理解していない私をよそめに、花月さんは淡々と理由を述べる。

「ほら、分からないことって、分かったらやる気が出てくるでしょう?」
ああ、なるほど。 それは否定しないよ、しないけど、やっぱり、さあ…。
「で…でも初対面の方にそんな迷惑を…」
「僕は構いませんよ。さんさえ宜しければ」
いえ、私は宜しいんですけど、むしろ御光栄承っているんですけど!(あれ?日本語が…) でも勉強に集中なんて絶対出来ませんて…それに私本っ当に馬鹿なんだから! だから初対面の人に幻滅されるような真似したくないです、花月さん! お願いします、どうか察してやって下さい!

ちゃん、教えてもらいなよ!カヅっちゃん頭良いんだから!」
躊躇している私を見かねてなのか、なんなのか、銀ちゃんまでも勧めてくる。 「頭良い」って…それは見た目からして、教養溢れてます!ってことくらい私にも分かるよ銀ちゃん…。

「ね!」
引き続き、眩しい笑顔を向けてくる銀ちゃん。 これで断ったら「なにあんた?」的なムードになってしまうじゃないか…。 もはや選択肢はひとつだった。

「えーっと…じゃあ、本当にご迷惑じゃなければ…お願いします…」
「はい」
にっこり笑った花月さん。 やっぱ綺麗だなこの人…。 でも男の人なのか…これを詐欺と言わずしてなんと言う…。

「えーっと…じゃあ英語から始めましょうか」
ぐるぐると私の中で何かが回りに回っている中、さっきと同様の優しい声を掛けられた。 そしてその発声場所を見てみると、いつの間にか花月さんは隣の席に腰を下ろしており、先刻私が慌ててまとめた参考書を手にとって、ふわりと笑いかけている。

「あっお願いします!」

ぺこりとお辞儀をし、早速開始。 と言ってもやっぱり花月さんが気になって、予想通り全然集中できなかったけど。 (だってあんな綺麗な人が隣にいるってどうよ?) でも花月さんと勉強出来るなら、勉強も悪くないかなって思えてきた。 また、会えるといいな。 また、こんな風に、貴方の隣に座りたい。 何かが始まった気がした、高3の夏休み。



060819