出来の良い兄を持つ弟は、高確率でひねくれ者になると思う。 少なくとも、俺はそうだった。 幼い頃から比較され続けても慣れることはなく、むしろより一層反発を強めるだけらしい。 世間は俺ではなく、兄さんを求めているように思えた。 現に妹のエイミーも俺よりも兄さんに懐いていた。 だから俺がすきなあの子だって、きっと例外じゃない。
「ねえニール!これで良いの?合ってる?」
それは、ある冬の日のことだった。
ディランディー家のリビングのテーブルは、1人の少女の手によって広げられた教科書やノートが散乱している。 ちらりと覗き込んでみると、そこにはハイスクールで出された課題だと言う数学の解答が羅列されていた。 は随分と長い間頭を唸らせていたようだが、兄さんの助言もあってようやく答えに結びついたらしい。
こんなふうに彼女が兄さんを家庭教師代わりにすることは昔からしょっちゅうある光景で、特に珍しいものではない。 つまり隣に俺がいるにも関わらず向かいに座っていた兄さんの名を呼んだのは、そういうことだったのだ。 と、頭では分かっているつもりでも、どうせ俺は兄さんみたいに頭が良い訳でも教え方がうまい訳じゃありませんよと、嫌味を口にせずにはいられない。 …例えそれが、誰にも聞くことのない小さな声だったとしても。
とは親同士が学生時代の友人ということもあって、エレメンタリースクールに入学する前からの付き合いだった。 同い年だったから、その頃は兄さんとの3人でよくつるんで遊んでいたのは今も覚えている。 それが「遊んでいた」と過去形になってしまったのは、俺が兄さんから逃げるために寮に入り、2人とは違う学校へ進学したからだ。 だから兄さんとは相変わらず同じ教室で勉学に励んでいるらしい。 俺は一度もと同じクラスになったことはないのに、何故兄さんは簡単に成就させてしまうのだろう。 俺の不機嫌メーターは上昇していくばかりだ。 しかもそんな俺の心中を尻目に2人は実に仲良さ気に会話を弾ませているのだから、余計に。
「ああ、合ってる。な、言ったろ。はやれば何でも出来る子なんだよ」
「ううん、ニールの分かりやすい説明のお陰だよ!課題も無事に終わったし、ありがとね!」
何2人の世界作っちゃってんだか。 なんかもう「ライルはお邪魔虫」みたいな雰囲気じゃん。 あーあ。休日とは言え、なーんで家に帰って来てしまったんだろう。 何が嬉しくて想い人と兄が楽しそうに話しているのを見てなきゃいけないんだよ。 いや、それはこの間が「今度の休み、絶対帰って来て!」って電話して来たからなんだけど。 こんなことは初めてだったからもしかして…と、ちょっとでも期待した俺が馬鹿だった。 きっと彼女は俺を呼んだことすらもう記憶の彼方に違いない。 課題のためとは言え、兄さんとばかり構っている。 人を呼んでいるのだから、せめて事前にしておくかして欲しかったものだ。 …いや、でもと兄さんが2人きりでっていうのは良い気分しないから、やっぱり良い。
「じゃあ課題も終わったことだし、紅茶でも淹れてるよ。
母さんが茶菓子も作ってくれたんだ。一緒に食おうぜ」
…やっと課題とやらが終わったのか。 正直そんな感想だった。 ちなみにこういう準備役は、いつも兄さんがやっている。 (なんだよ大人ぶっちゃって) そしてはいつも「自分も手伝う」と名乗り出る。 最初は兄さんも断るのだが、なんだかんだで2人でやることになって、俺1人がぽつんと取り残されて待っている、というのがお決まりのパターンだった。 だから多分今日もそうなるんだろうと思っていたのに、一向にから声が上がらない。 …おかしい。 なんだかいつものリズムが狂ってしまう。
「じゃ、ちょっと待っててな」
そう言ってリビングを去り、キッチンへと姿を消した兄。 依然と隣に座っている。 いつもと違う状況に困惑している俺。 それまでいた人物が1人いなくなっただけなのに、妙に空気が変わったように感じてしまった。 なんだろう。本当に、調子が狂ってしまう。
「…ね、ねえライル。寄宿舎はどう?楽しい?」
当のはでやっと話し掛けて来たかと思ったら、なんだそりゃ。 話の振りがぎこちないし、何より久しぶりに会った親戚か何かかと思わずにはいられない。 まさかそんなこと聞くためにわざわざ呼んだのだろうか。 だったらメールか電話で良いじゃないかと思ったが、とりあえず質問には答えておこう。 まあ捻くれたことを言わない保障は出来ないが。
「別に…普通だよ」
「うーん。返しにくい答えだなあ」
「普通なんだから普通としか言いようがないさ。
そういうお前はどうなんだよ」
「え?私?」
しまった。 兄さんとは同じクラスだったんだ。 学校生活の様子を聞くということは、嫌でも兄さんの話が出てくるに違いない。 そんなの聞きたい訳ではないのに。 また兄さんばかりの傍にいれてずるいとつい羨ましがってしまうが、逃げ出したのは自分の方だったと思い出す。 …人生って、難しい。
「うーん。私も、普通だよ」
「…そう」
「うん。普通」
どうやら兄さんの話は聞かないで済むようだが、が俺と同じ答えを返して来たのが意外過ぎて、ちょっと拍子抜けしてしまう。 いや助かったけど。 しかし話の種が尽きてしまった。 この日初めてしんと静まり返るリビング。 キッチンの方からはかすかに食器の音やら湯を沸かしている音やらが聞こえて来ている。 どうやら茶の準備はまだ掛かるらしいが、キッチンはリビングから少し奥まった所にあるため、ここから様子を伺うことすら出来ない。
ちらっと隣に座る少女を盗み見してみると、彼女はどこか落ち着きのない様子で、視線をあちこちに泳がせている。 (こんなの兄さん相手では絶対にない。そんなに俺と一緒にいたくないんだろうか) しかしそういう俺も、平常を装っているものの、どうも隣が気になって仕方がない。 無意識にちらちらと見てしまう。 なんで隣に座ってしまったんだろうか、妙に緊張してしまう。 …早く来てくれ。 そうキッチンにいる人物にテレパシーを送ってみるも、当然ながら双子だからと言ってそんな便利な能力は持ち合わせていない。 通じるわけがなかった。
「え、と。おばさん何作ってくれたのかな!」
が苦し紛れに振ってきた話で、ようやく沈黙に終結を迎える。 しかし、生憎俺は母さんの菓子が何なのか知るよしもなかったので、「さあ」としか答えられなかった。 そんな冷たい反応が返ってくれば、も黙るしかない。 せっかく場を盛り上げようと話題を提供してくれたのに申し訳ないと心中で謝っておく。 言葉に出来ないのが難点だ。
「…そ、そういえば今更だけど、母さん達は?エイミーもいないみたいだけど」
「あ、エイミーは友達ん家に行ってる。
おばさん達は映画でも見てくるって行って出掛けたよ。3人共、夕飯までには戻るって言ってたけど」
「そう」
あれ。ここ俺の家なのに、なんでの方が知ってるんだろうそんなこと。 普通逆じゃないか? それともはディランディー家の一員と認識されているんだろうか。 あれ、ちょっと待て。 俺が帰ってきたのは今から30分前。 そのときすでに母さん達はいなかった。 つまり俺が来るまで2人きりだったのか…って、さっきから俺こればっかじゃん。 他にないのか、俺。 「そ、そういえばライル」 え、何。
「彼女とか…出来た?」
「…へ?」
それはあまりに唐突な質問だった。 しかも今までの話とまるで関係ないし。 驚いてを見てみると、「いや、別に深い意味はなくて」と訂正して来る。 (なんだ深い意味って) …彼女、ねえ。 まさかからそんな恋愛話を聞かれる日が来ようとは思いもしなかった。 長い付き合いだけど、そういう話は全くしたことがなかったから。 …余程話題に困っていたのだろうか。 しかしそういうことに真面目に答えられるほど俺は素直ではなかった。 そもそも言えていたら苦労はしない。
「…もう毎日ラブレターの嵐で困るね。だから男子から顰蹙(ひんしゅく)買って、大変なのなんのって」
「ふうん、なんか相変わらずって感じだね。でも結局彼女がいないことに変わりはないんだ」
「うるさいなあ、良いんだよ。俺は高嶺の花ってことになってるから」
「ねえ、高嶺の花って意味、知ってる?」
「喧嘩売ってんのかお前」
いやそんな、まさか。 そう笑って返すだが、どうも笑顔がぎこちないように思える。 何かあったのだろうか。 不思議に思いつつも、本人はそのことにまるで気付いていないようだったので、俺の勘違いだということにしておく。
「そうだね。ライルは一見軽そうに見えるけど、本当は優しいもんね。
言い寄ってくる女の子を断るのが申し訳なくて、そのまま放置してるタイプでしょ」
「…余計なお世話だよ。そもそも一言多いんだよ、お前」
「……で、でも、私はライルのそういう誰にでも優しい所…す、すき、だな。…うん」
「え、あ。そ、そう」
「うん…」
「………………」
「………………」
沈黙。 いや、だってすきって何。 深い意味はないんだろうと分かっていても反応してしまう俺は餓鬼か。 別には恋愛対象として「すき」って言ってるんじゃなくて、性格がって話だ。 しかしそういう意味だったとしてもに「すき」なんて言われたこともなかったし、褒められることに慣れてないからか、なんだか照れくさい。
「そ、そういえば、お前はどうなんだよ」
「え?な、何が?」
「ほら、彼氏とか」
「い、いないよそんなの!」
「…そうなんだ」
「あ。う、うん。…そうなの…」
「そ、か………………………」
「………………………」
な、何故黙る。 やっぱり話の振りが急過ぎたのだろうか。 でも他の話題もなかったし…て、今更だけど俺は一体何てことを聞いたんだ。 そう気が付いたときには、すでに先程とは違う妙な静けさが到来してしまっていた。 なんだろう、ものすごくそわそわする。 どうしたら良い。 「………あの、ライル」 え、何。そんな改まって。 驚いてを見てみると、彼女は膝の上で強く手を握り締め、俯いていた。 「私、私ね。もうすぐ…」 顔はよく見えないが、彼女の必死な様子は嫌と言う程伝わってくる。 俺は茶化すことすら出来なかった。
「私…!」
そう言った同時に、はまるで決意を決めたように顔を上げ、瞳をこちらに向けた。 こんなふうにちゃんと目を見たのはいつぶりだろう。 しかし久しぶりに見たの表情は、なんだか今にも泣きそうなもので。 ただごとじゃない。 そう察すことが出来たのは時間の問題だった。 だから口を挟まずじっと言葉の続きを待っていたというのに、次に聞こえてきたのは「…や、やっぱり、なんでもない」という中断の言葉だった。 ……おい。
「お前、そこまで言っといてやっぱりなしって、逆に気になんじゃん。
言えよ」
「…う、ううん。やっぱり後でにする…」
「別に今でも後でも変わんないだろ。なあ、なんだよ。言えよ。なあってば」
は先程とは違う意味で気まずそうにして、挙句の果てには俺に背中を向けるように座りなおしてしまった。 今思えば、そのとき彼女がどんな気持ちでそうしていたのか気付けなかったのは、俺が子供な証拠だったのかもしれない。 彼女が拒否しているにも関わらず、相変わらずしつこく問いただし続けていたから。 しかし彼女は一向に口を割ることも体勢を変えることもしない。
「…じゃあその前に、聞かせてライル。 …なんで私のこと、『』って…名前で呼ばなくなったの…?」
──あ。 気付いてた。 気付かれてた。 1番気付かれたくなかった奴に。 「最近私のこと、『お前』とか『なあ』とかそればっか。今だって」 …なんで。 なんでいつもそういうところには敏感に気付くんだよ、お前。 俺の気持ちには一向に気付かないくせに。
ライルは不器用だよな。 そう兄さんに言われることがある。 器用な誰かさんと違うさと反感を抱くが、確かに彼の言うとおりで、ずばり的を得ている。 例えばすきな子に対しても優しく出来なくて、そっけない態度ばかり取ったり。 しまいには、前までは当たり前のように呼んでいた名前すら呼べなくなって。
「ねえ、なんで?」
「な、なんでって。それは、その、…………」
なんて言ったら良いんだろう。 ようやく振り返ったの言葉に、思わず言葉に詰まった。 恥ずかしくて呼べないだなんて、お前一体いくつだよって話だ。 もうすぐ14になるくせに、中身はまるで初めて恋をしたエレメンタリー生みたいだ。 口篭った俺に痺れを切らしたのか、彼女は再び開口した。 彼女はまっすぐに俺を見ている。
「ニールは私のことちゃんと、『』って呼んでくれるよ」
にいる。 またその名前だ。 口を開けば兄さんのことばかり。 ああ、イライラする。 「私、自分で気付かないうちに、ライルに何かしたのかな? ニールに聞いてもね、適当に誤魔化されて、結局何も答えてくれないの」 うん、現在進行形でしてるよ。 お前の口から兄さんの名前を呼んで欲しくない。 聞くだけで、心になんとも形容しがたいものが積もっていくのを感じるんだ。
「…じゃあ俺も聞くけど、お前、兄さんのことすきだよな?」
「え」
気がつけば動く口。 きっとこれは、別の誰かのものに違いない。 だって止めようにも止められないから。 こんなことを言いたいなんてこれっぽっちも思っていないのに、無情な言葉ばかりが次々と溢れてくる。 は心底動揺しているようだが、そんな反応は、もう肯定してるようなものだった。
「違うよ。私別に、ニールのこと、そんな。それに私、ニールじゃなくて、」
「でもさっきから、ずっと兄さんのことばかりだろ。
口を開けばニールニールって。
今日だってお前から呼び出したくせに、さっきまで俺のこと放って兄さんとばっかり。
どうせお前も、俺のこと片割れの落ちこぼれだと思ってるんだろ。
俺のこと見てない奴を名前で呼びたくなんかないんだよ!」
…またやってしまった。 俺はこれまで「後の祭り」を何度経験したんだろう。 これから何度繰り返していくんだろう。 その度に落ち込むくせに、いざとなるとそんなことすら忘れてしまう。 はっと気が付いたときには少女は顔を伏せ、声をか細く震えさせていた。 「……なんで私の話、ちゃんと最後まで聞いてくれないの…?」 そんな台詞が聞こえて来たとき、俺は心臓を鷲掴(わしづか)みされたような感覚に囚われていて、息をすることすら忘れてしまっていた。 謝ることすら出来ない。
「もう良い!」
そう言い放ったと思いきや、は素早く自分のコートとマフラーを持って、勢い良く家を出て行ってしまった。 あまりに予想外だったの突然の行動に、俺は何をするでもなくただぽかんと彼女の後ろ姿を見送っていた。 …何だよ。 何が「もう良い」んだよ。 訳分かんねえ。 そりゃ俺も悪かったけどさ、何もあんな怒んなくても良いだろ。 それとも、俺のこういう捻くれた性格が悪いんだろうか。 ていうか課題、忘れてってるし。 何やってんだよもう──…。
『もう良い!』
…怒ってたか、な。 いや、怒っていたというより、なんだか泣いているように見えたけど。 あれ。てことは俺、を泣かしたのか? え、なんで。 俺がこういう性格だって、が1番知ってんじゃん。 確かに俺、はそんなこと思ってないってちゃんと分かってる癖に、酷いこと言ったさ。 でもこれ、今日に限ったことじゃないだろ。 いつも俺の一方的な思い込みが火種になって喧嘩をするけれど、はいつも否定して、俺が「分かった」って言っても「そんなことないからね」って何度も何度も言ってくれるじゃないか。 どうしたんだよ、お前。 らしくないよ。 そういえば今日のはどことなくいつもと違ったかもしれない。 全体的に落ち着きがなかったっていうか。 …うまく説明は出来ないけれど。
「なーにやってんだよ。お前」
それまで姿を消していた兄がようやくキッチンから出て来たらしい。 手には紅茶が入ったティーカップやらオーツビスケットやらが、それぞれ3人分乗ったトレイを持っている。 …今じゃもう、1つ余分となってしまったけれど。 ていうか遅いんだよ、お前。 紅茶なんてすぐ準備出来るだろ。 そう言ったなら兄さんは、心底呆れたという顔をしてのけた。 な、なんだよ。
「馬鹿言え。茶なんてとっくの昔に用意出来てたっての。 折角人が気を利かせてたっていうのに、誰かさんはそのチャンス台無しにしちゃうんだもんなあ。 途中までは良い感じだったのに」
なんだ。 ということは、最初から聞き耳を立てていたということか、この兄貴。 うわ趣味悪い。 だから嫌いなんだ。 じろっと非難するような目で見てやると、兄さんはそれに気付いたようだが逆に大きな溜息をついた。 なんてわざとらしい。
「お前さ、さっきから自分のことばっかりだろ。
少しはの言葉も聞いてやれよ、だから喧嘩なんてする」
「……………………うるせえよ」
あまりにも正論だからか、ぐうの字も出ない。 くやしいが、兄さんの言うとおりだった。 「お前らって本当不器用だもんなあ。 見てるこっちがかゆくなるくらいじれったいっていうか」 そう言って兄さんはトレイをテーブルに置き、ティーカップを俺と自分の前に移動させた。 そして兄は久しぶりに腰を下ろし、紅茶をすする。 (今度は先程と席を変えて、俺の真正面に着席していた) それから一拍開けた後、彼は小さく呟いたのだった。
「さ、もうすぐ引っ越すんだって」
彼はとても冷静だった。 落ち着いていた。 おそらく大分前に聞かされていたのだろう。 多分、本人から。 一方の俺はその発言の意味すら理解出来なくて、まるで時が止まったかのように動けなくなった。 え、引っ越すって、何。 なんで。
「ほら。軌道エレベーター建設で、世の中物騒になってんだろ? ここはまだ平和だけど、いつどうなるか分からないからって。 なんでも親戚にAEU関係の人がいるからって、そっちに行くらしいぜ。 イタリアがどうのって言ってたけど」
どうやら電車で行ける距離とかそういうレベルではなく、本格的に転居するらしい。 今じゃ交通手段が豊かになったし、国境を越えても逢いに行こうと思えば出来る。 時間もそう掛からないだろう。 しかしそういうことが問題なんじゃなかった。 今まで喧嘩をしてもいつの間にか仲直りしたり、俺が寮に入っても今日みたいに会えたのは、俺達が同じ故郷で住むという共通点があったからこそ出来ることだった。 それがなくなろうとしている今、全てがガラガラと大きな音を立てて崩壊していくように感じた。
「本当は1番にお前に伝えたかったんだろうけど、やっぱり言いにくかったんじゃねえの。 でもそれじゃ駄目だって言って、決死の思いでお前に電話掛けたんだよ、。 で、さっきも頑張って言おうとしてたのさ、なんだよ、お前。 性格変えろとまでは言わないけど、もっと視野を広く持て。 自分でばっかり突っ走るな」
頑張って言おうとしてたって、いつだよ。 そんな引っ越すなんてこと、一度も…。
『あのねライル。私、私ね。もうすぐ──』
もしかして。 あれは、そのことを言おうとしていたのだろうか。 ……なんで。 なんでそういうこと早く言わないんだよ! 「あ、おいライル!?」 気が付いたら家を飛び出し、我武者羅に走り出していた。 後ろから聞こえてきた兄の声にいちいち振り返っている暇も無い。 勿論目指すはの家。 そんなに遠くじゃないからすぐに着くだろう。 …逢ったら、なんて言おう。 やっぱり、「ひどいこと言ってごめん」だろうか。 そうこうしているうちに、前方に見慣れた少女の後ろ姿があることに気がついた。 とぼとぼと元気なさげに歩いている。 間違いない。あれは、 「!」 久しぶりに口にした名前。 なんだか懐かしい響きがした。 驚いて振り返った彼女。
「ラ、ライル…どうしたの?」
は心底驚いた目で俺を見ていた。 が、それが見えたのは一瞬だけで、情けないことに、俺はすぐに膝に手をついて肩を上下させていた。 苦しい。 しかもこの寒い中コートも着ずに走ったからか、手や耳が冷たくなっていた。 ジンジンする。 でも今はそんなことどうでも良い。 上がった息を整えて、ようやく顔を上げた。
「馬鹿!」
「な!?」
「引っ越すとか、なんで早く言わないだよそういうこと!」
「…ご、ごめん。なんか、言い出しにくくて…」
こんな相変わらずの口しか叩けない俺だけど、言って良いのだろうか。 ずっと抱いてた想いを伝えたら、彼女はどんな反応を見せるのだろうか。 でもその前に、やっぱりさっきの謝罪でも述べておこう。 しかしそれより先に、彼女が「…でも、やっと私の名前、呼んでくれた」とあまりに嬉しそうに笑うから。 言葉にするより先に、思わず抱き締めてしまった。
きっと大人にはなれない
(それでも子供のように、ただひたすらに君を想っているから)
090215 (14歳ライルは不器用な優しさ+反応がいちいち鈍感純情ボーイだったらなお良いなという妄想の産物)