上映時間100分の映画は、予想を裏切る展開の連続だった。
例えば特別な盛り上がりはないゆったりとしたスローテンポストーリーかと思っていたのにぽんぽん拍子で物語が進んで行ったところとか、主人公は幼馴染と結ばれるとばかり思っていたのに彼女は最後まで彼が昔の想い人だと気付くことなく婚約者と結婚してしまったところとか。最後の20分に起こった怒涛のどんでん返しの嵐にあれよあれよと言う間に引き込まれ、いつの間にかスタッフロールを迎えていたところとか。
「まさか序盤で出てきた回想がキーになるとは思ってもみませんでした」
チーズオムライスを頬張りながらぽつりと映画の感想を呟くと、安室さんは、ほんとですねと相槌を打った。まるでミステリー映画でも見ていたかのように伏線が気付かないうちに複数張られ、かつそれを綺麗に回収して行った脚本に舌を巻いた私達は、映画館のひとつ上の階にあるオムライス専門店で向かい合って食事をとっている。可愛らしい外見とは裏腹にとろけるような半熟卵とチキンライスがたまらない。安室さんが頼んだオムライスもデミグラスソースが掛かっておいしそうだ。
テーブルに運ばれてきたとき、チキンライスの上に薔薇の花びらのように重ねられているオムレツが乗っているのを見て、開口一番「どうやってるんだろう」と真剣な目でまじまじと眺めていた彼を思い出してこっそりと笑った。
「なんだかいつの間にか引き込まれたって感じがします。ちょっと切なくなる所はあったけど、面白かったです」
「そうですね。さん、泣いてましたもんね」
安室さんの何気ない指摘に一瞬にして顔が熱くなってしまった。
確かに中盤でしっとりとしたBGMの相乗効果も相まってうっかり目頭を熱くしていたのは事実だけれど、隣に安室さんがいることを思い出してなんとか踏み止まっていたというのに、まさか気付かれていたとは。どうにも気まずい。
「な、泣いてないですよ。ちょっとうるっときただけで」
「じゃあそういうことにしておきますね。……ああ、今日はハンカチ、いりますか?」
「安室さんっ!」
私が泣くイコールハンカチを貸すという展開が半ば定番となってしまっていることを引き合いに出す安室さんに、咎めるような強い口調で抗議した。しかし確かに2回も泣き顔を見せているとなるとそういう認識になるのは仕方ないことなのかもしれない。
しかしだからとは言っても、“自分は涙腺が弱い”と容認することとは別の話だった。眉間に皺を寄せていると、それに気付いた安室さんはまるでなだめるような柔らかい口調で言う。
「すみません、怒らないでください。お詫びにデザートでも奢りますから」
「……うーん」
デザートという甘い響きに分かりやすく心揺らいでいると、安室さんはこらえきれず口を押えて震えている。それを見つけて、はっと我に返った。
「べ、別に私、食い意地が張ってるわけじゃないですから!」
きっと甘いものひとつで機嫌を直すだなんて単純な奴だと思ったに違いない。その証拠に「分かってますよ、分かってます」なんて口にする彼は、ちっとも笑いを隠しきれていない。これならやけだと開き直り、テーブルの左端に立てかけられたメニュー冊子を手に取りページをめくった。
「じゃあもういいです。この店で、一番高いものを奢ってくださいね」
しかしどうしたことだろう。嫌がらせつもりだったのに、安室さんは止めることも焦ることもなく、むしろ「ええどうぞ」なんて勧めているからどことなく居心地が悪くなる。彼の反応に逆に戸惑った私はデザートを探していた右手を止めて、顔を上げた。
「……あの、一応冗談のつもりだったんですが」
「そうですか? でもせっかくだから食べましょうよ。僕も食べたいな」
なんだか最後、かわいい言い方をされた。
独り占めするように両手で持っていたメニューを覗き込まれたものの、安室さんは正面にいるのだからろくに見ることが出来ない。つまりこれは、僕にも見えるようにしてくださいねというメッセージだった。それに従ってテーブルの中央に冊子を広げようにも、まだお互い肝心の主食を食べ終えていない。にも関わらず食後のデザートを考えようとしている辺り、きっと私達は気が早すぎた。
テーブルに何も置かれてはいない通路側に冊子を立てるように広げ、お互い片手で倒れないように支えながらメニューを覗き込む。デザート欄のトップバッターを飾っていたパンケーキやパフェは流石に重いなとためらっていると、「クレープもありますね」と声が掛かった。
探してみると確かに右ページに、バニラアイスをひとつ乗せ扇形に折られたクレープが、いちごのソースの上に鎮座している。そこに生クリームといちごのスライスがトッピングされたそれは、写真の上に「春限定!」とピンクの吹き出しの中に書かれていた。
「……ちなみに、どう思われました?」
「うーん、やっぱり春はいちごかなって。このクレープいいですね」
「いえ、そっちの話ではなくて」
相変わらず限定商品に釘づけになっている私に、安室さんは否定する。もしかしてクレープの隣に載っているぜんざいの話だっただろうかと顔を上げると、彼はデザートの一覧に視線を落としたまま、まるで気まぐれな世間話とばかりの口調で言った。
「映画の話です。主人公と幼馴染の話。彼らの結末を、さんはどう思ったのかなと思って」
ちょっとした興味ですよ。そう補足した安室さんは、メニューから視線を上げて私の瞳を捕らえた後、にっこりと微笑んだ。もしかしたら彼は、もう少し映画について語りたいと思っているのかもしれない。私は深く考えず、「そうですね……」と考える時間稼ぎの繋ぎを口にした。
「絶対彼女とくっつくと思ってました。間違いなくフラグは立ってたし、そもそも男女の幼馴染はくっつくものって相場が決まってるじゃないですか。あんなに仲が良くてすきだった相手なのに、彼女、なんで幼馴染だって気付かなかったのかなあって」
「相場って」
苦笑する安室さんは、そんなもの初めて聞いたと言っているように見えた。私が夢を見すぎなのだろうか。しかし現実はともかく、ドラマや映画、それこそ少女漫画ではよく聞く設定のような気がするのだ。それとも男性と女性とは注目すべきところが違うのだろうか。私の感想に対する意見を尋ねてみると、安室さんは遠慮がちに答える。
「昔すきだったからと言って、自動的に今もすきになるわけではないかなと。今と昔は違う。人は、外見も中身も変わっていくものですから。そして記憶は曖昧になって消えていく。だから20年ぶりに会って分からなくても不思議ではないと思ってますし、主人公もそれを理解しているから自分のことを言わなかったのではないでしょうか。両親が離婚されて変わった苗字しか彼女には伝えていませんでしたし、おそらく出来ることならまたゼロの状態から、自分のことをすきになってもらいたかったんですよ」
そういう深い所まで考える映画だったのか。完全に表面上しかなぞっていなかった自分がなんだか恥ずかしくなってくる。しかし安室さんは目を伏せてまるで何かを懐かしむように言い聞かせているようだった。私はそれが気になって、彼から視線を外すことが出来ないでいる。
「逆に一目見て昔の想い人だと分かり、そしてまた恋をした彼は、きっと自分が思っている以上に彼女のことがすきだったんだなと印象を受けましたよ。しかし、彼女にはすでに婚約者がいて、約束された幸せがありましたからね。彼女もまた好意を持ってくれたことは分かっていても、自分が入り込むことで彼女が失うものがあると知っていたから、それを壊すことは出来なかったんでしょう。彼も彼女ももう出会った頃のような子どもではありませんし、がむしゃらに突っ走ることだけが美徳とは限らない。想いを伝えず身を引くことも愛ですよ」
「……なんだか意味深ですね。経験談か何かですか?」
「ふふ。ありがとうございます。でもこれはただの妄想。戯言ですよ。ところでデザート、シェアしませんか?」
突然話を切った安室さんにどこか引っ掛かりながら遠慮しがちに頷くと、彼は「ではオムライスを食べ終わったらこのクレープを頼みましょう」とメニュー表を閉じた。まるで「もう映画の話はおしまい」と言っているように聞こえる。
黄色い薔薇にスプーンを進めていく彼をなんとなく見つめた後、私もオムライスを口に入れた。なんだか、誤魔化されたような気がする。そんな印象を押し込むようにまた一口頬張った。……多分、私の考えすぎだろう。そう自分に言い聞かせながら。
◆
数十分後テーブルにやってきた季節限定のクレープに目を輝かせたのは、何を隠そう私だった。胃袋の隙間を考え店員さんに取り皿をもらったのはやはり正解だったかもしれない。しかしオムライスを食べて満腹だと思っていたはずなのに甘いものは別腹とはこのことか、いちごの甘酸っぱいソースがフォークを持つ手を進めた。
「おいしい……」
誰に言うでもなく自然と零れたデザートの感想を、安室さんもきっちり拾い上げ同意した。その声に顔を上げ、緩んだ顔で満足そうに頷いてしまった私は、これでも食い意地が張っていないと言い切るのだろうか。ちっとも説得力がない。現にもう、あっという間に平らげてしまった。
「ごちそうさまでした」
すっかりテーブルの上が綺麗になった頃、手を合わせてしあわせに浸っていると、ふと向かいの彼が興味津々と言わんばかりにじっと私を見つめていることに気が付いた。な、なんだろう。何かおかしなことでもしでかしてしまったのだろうか。それとも口周りに食べこぼしが付いているとか。そわそわしつつ尋ねると、安室さんは妙に嬉しそうに目を細めて言った。
「さんて、いつもおいしそうに食べるなあと思って」
これはつまり、やっぱり食い意地張ってますねと言われているのだろうか。褒められているのか貶されているのか分からなかったものの、安室さんはやっぱり優しく微笑んでいるから一応は前者のつもり、なのかもしれない。
……そんなに顔に出ていたのだろうか。
意識したことがないから分からないけれど、彼が言うならそうなのかもしれない。しかし子どもじゃあるまいし、そもそも食べているところは見られていたことに対してどうにも気まずくなって、曖昧な返事をしつつ視線を泳がせてしまった。
「す、すみません。褒めてるつもりだったんですが」
どうも進まない様子の私を見て察したらしい。安室さんは少し早い口調で謝罪した。
「おいしそうに食べてる人って、素敵でしょう? そういう話です」
「本当かなあ……」
まるで見定めるようにじろっと見つめてみると、彼は「本当ですって」とバツが悪そうに苦笑した。勿論私はおいしそうに食べることが素敵か否かを疑っているのではなく、私のことを褒めているつもりだったというフレーズに疑問を持っているのだ。
本当かなあ。本当です。だって嘘っぽいです。そんなことないですよ。埒が明かないそんな会話を淡々と繰り返していると、突然安室さんは爆弾を投下した。
「だってさんのそういうところ、ずっといいなって思ってましたから」
まるで愛の告白のような台詞に、一瞬息をするのを忘れてしまった。お陰でテンポよく返していた反応も間が空いて、どうにも不自然になってしまう。まるで水の上に絵の具を垂らしたように一気に全身へと広がる熱は、とどまることを知らない。
安室さんは決して“そういう”つもりで言った訳ではない。そう頭では分かっていても、つい結びつけたがる頭が嫌になった。
そんな自分に気付かれたくなくて、首に手を添えてわざとらしく咳払いをした。まるで喉の調子が良くないですと言わんばかりに眉をひそめて、水を一口分喉へ流し込む。するとそれを見かねた安室さんは容体を尋ねてきた。優しい彼なら間違いなく聞いてくると分かっていての行動だとは知らずに。
「すみません。実はさっきから、少し喉の調子が悪くて」
「そうだったんですか。じゃあ今日はもう遅いですし、お開きにしましょう」
今日顔を合わせてから初めて左手首の腕時計に視線を落とした彼の提案に、遠慮しがちに同意した。まだ心臓は大きく飛び跳ね続けている。本当はまだ話していたかったけれど、この動揺を悟られるわけにはいかなかった。だけどどうして顔が熱い。安室さんに嘘をついてしまったことへの罪悪感と混ざり合って、今日はもう彼の目も見れそうにない。
本当はまださよならしたくなかった。出来ることならもう少し一緒にいたかった。しかし私のプライドがそれを許さず、だから戸惑ってばかりいる。
今この瞬間、気付いてしまった。私は安室さんに好意を持っているということを。
気付かないまま楽しく過ごせたら、どれだけしあわせだったろう。だって私は求めるばかりで、きっと自分から行動に移せない小心者なのだから。
店を出てすぐに「家まで送る」と言ってくれた彼の愛車に乗り込んで、どれくらいが経過しただろうか。安室さんといるときは時計を見たくなくて、だから私には具体的な時間は分からない。珍しくラジオ音源だけが響き渡る車内で窓の外をぼんやりと眺めるばかりの私は、ちっとも口を開こうとしなかった。
「今日はもう、あまり話さない方がいいかもしれませんね」
喉の不調を偽ったときすぐにそう申告してくれた彼の言葉に、完全に甘えていた。だから私は時より思い出したように首に触れる。もちろん喉に痛みなど存在するはずがなかった。そんな私を気遣ってか、安室さんも何も言わない。
あんなに安室さんとのお喋りがすきだったのに、何を話せばいいのか分からなくなってしまった。
思えば昔からそうだった。好意を自覚した瞬間何も話せなくなる。頭が真っ白になって泣きそうになりながら、一丁前に顔だけは熱くなる。そのお陰で子どもの頃はすきだった男の子から逃げ回ってばかりいた気がするけれど、まさか今でもそれが健在とは思わなかった。
だけどもう、“ウブでかわいい”と称される年齢ではない。とっくに成人した女なのだから。安室さんに恋愛感情を抱きたくないと思っていたのは、こうなることを薄々気づいていたからなのかもしれない。
「(そういえば私と安室さんって、どういう関係なんだろう?)」
事務員とお客さんは、こんな風に一緒に出掛けたりしない。依頼人と探偵も同様だ。じゃあ、友達? いや、なんだか安室さんに対して馴れ馴れしいし、そんな気軽な立ち位置でもない気がする。じゃあ、知り合い? それも距離を感じるし、そっけない他人みたい。
自分が納得出来る名前が分からないのは、まるで「いつでも繋がりが消える不安定な関係である」と認めているようでいやだった。だから自己満足でもなんでもいいから、私達の関係に名前を付けて安心したい。現に、今次の約束を取り付けなければきっともう彼と会うことはないということは薄々気づいていた。
私は安室さんとどうなりたいんだろう? 気兼ねなく会える友人になりたいのか、それとも。
「──さん。もし、よかったらなんですけど」
久しぶりに聞いた安室さんの声は相変わらず心地よくて、しかしラジオやエンジン音に掻き消されることなくキャッチする。おそるおそる右へ顔を向けるものの、彼はハンドルを軽く握るだけでこちらには一切視線を向けようとしない。だから、まるで幻聴でも聞いたかのような気分になって静かに顔を伏せた。信号に捕まったらしい車はスピードを落とし停車する。
「……また、会っていただけますか?」
聞き間違いか何かだと思ってしまった。だけど確かに安室さんの声が聞こえた気がしてゆっくりと見上げると、いつの間にか彼もまた私を見つめていた。視線がぶつかった瞬間喉の奥が熱くなって、口の中がカラカラに乾く。頭が真っ白になる私に、まるでもう一度言い聞かせるかのように彼は少し力強い口調で言った。
「探偵の依頼としてでなくても、映画のチケットがなくても、僕に会っていただけますか?」
いつもまっすぐに見つめてくれていた瞳が揺れていた。こんな安室さんを見るのは初めてで、ぎゅっと胸の奥が締め付けられる。なんだか目を逸らしてはいけない気がして安室さんを見つめるほど、上昇していく体温と心拍数はもう隠すことは出来なかった。
「は、はい……」
泣きそうになるのをこらえるだけで精一杯で、彼に贈る声は震えて情けないくらい頼りない。
「わ、私もあの、お話したくて。あの、転職活動やってるって友達も知らないし、安室さんにしか話せないこと、いっぱいあって。だから……」
私も会いたいです。そう最後まで口にするのは勇気が足りなくて、熱くなりすぎて重く感じる顔を隠すように俯いた。こんなんじゃだめだと分かってはいるのに、どうしても最後の一歩が足りない。
「……本当に?」
安室さんはおそるおそる確かめるように、ぎこちなく尋ねた。その声に小さく頷いてみたものの、きっともう私は声を出すことは出来ない。何故ならあと一言この喉から言葉を発したら、きっと私は泣き崩れてしまう。しかしこのまま顔を伏せたままはどうにも愛想がない。それにどうしてだろう、今無性に安室さんの顔が見たくなってしまった。
暫くは「我慢しよう」と自分に言い聞かせていたものの、それが少しずつ蓄積されてしまえばついに衝動も抑えきれない。胸を高鳴らせたままゆっくりと視線を上げ、そして息を飲んだ。
「……よかった」
そう震える声でぎこちなくはにかんだ彼に、心を鷲掴みにされてしまったのだ。
──どうしよう、どうしたらいい? だって少年のようなあどけない笑顔を見て、私はこの人の側にいたいと心から願ってしまった。
20181207