水槽がないところを見ると、どうやら最後の展示を終えたらしい。先程と比べるまでもなくはっきりとした照明がついているエリアは、随分と賑わっていた。イルカの形をしたクッキーや、「東都水族館へ行ってきました」とパッケージにプリントされているお煎餅、ぬいぐるみまで豊富な種類が陳列されている。人々はそれらを手に取りながら、嬉しそうに悩んでいた。どうやらここは、お土産コーナーらしい。

「お土産、ご覧になりますか?」
「え? でも……」

 予想外の提案に彼を見上げたものの、もしかしたら気を遣われたかもしれない。確かに店内のあちこちが明るい雰囲気をかもし出していて、種類豊富な商品に興味がないと言ったら嘘になる。旅行先では観光よりもお土産探しの方が明らかに乗り気になる私にとって、ここはまるで宝探しのような場所なのだ。しかし今日は遊びに来たわけではなく、あくまで安室さんの付き添いでここにいる。それを忘れてはならない──あんなにはしゃいでおいて今更という気もするけれど──。だから、出来る限り“興味ありません”と言わんばかりの顔を張り付けて口を開いた。

「えっと、対象の方が行ってしまうかもしれないですし、私は大丈夫ですよ」
「でも、気になるんでしょう? さんて、気になるものがあるとじっと見る癖がありますよね」
「えっ!?」
「はは。素直な人だ」

 思わぬ指摘に声を裏返して反応してしまうと、安室さんはまるで「ほら図星だった」と言わんばかりに楽しそうに笑った。思わず頬が熱くなってしまう。今まで意識したことなかったけど、自分にそんな子供のような癖があったなんて。しかもしっかり気付かれていたなんて。

 しどろもどろになっていると、安室さんは「からかうようなことを言ってすみません。でもせっかくですし、少し見て回りましょうか」と声を掛ける。そして突然顔を近付けられ思わず目を下ろしてしまう私に、彼は距離を詰めたまま「……対象者も店内を見ているようですし」と耳元で小さく囁いた。そしてゆっくりと顔を離す気配を感じてそっと顔を上げてみると、安室さんは悪戯っ子のような笑みを見せていた。

「ね?」

 たった一文字という短い言葉で同意を求め、小首を傾げている彼に、喉の奥に何かが詰まったような感覚になってしまった。私はきっと、拒否する言葉を発することが出来ない呪いに掛けられてしまったに違いない。返事の代わりにひとつ頷いた。

「(……なんだか、落ち着かない)」

 展示エリアは薄暗かったものの、ここは照明がしっかりついて明るいから、周りに見られているような気がしてどうにもそわそわしてしまう。左手に感じる温度が妙にくすぐったくて、今自分はひどく大胆なことをしているような気がしてならないのだ。いや、そもそもこれは暗い中だからという条件下で発生したことなのだから、そもそも今は手を繋がなくていいのではないだろうか? そろそろ解放されてもいいような気がする。

 相手は安室さんだし、別に不快に思っていたという訳ではないけれど、やっぱりどうしたって左手が気になってしまう。でも自分から言うのもなあとちらちらと視線を落としていたら、安室さんはそれに気付いたようなタイミングで言った。

「長い間、すみません」

 そんな短い台詞を寄越してきたと思ったら、なんの躊躇なく指を離されてしまった。久しぶりに解放された左手はどうしたらいいのか分からず戸惑っている。もう少しためらってくれてもよかったように思うのだけれど、これは間違いなく私の自分勝手な我儘だ。

「い、いえ……」

 どんな顔を見せたらいいのか分からなくなって、それとなく視線を落とした。ただぼんやりと視界の端に、自由の身となってしまった左手を捉える。そもそも自分から気にしていたことだというのに、いざ本当に解かれたら急に寂しくなると言うか、振られてしまったような気分になるのは何故なのだろう。安室さんはそういうつもりで手を取った訳ではないと言うのに。

 それに、今までずっと繋がれていた手のお陰で真横に並んでいたけれど、いざそれがなくなると安室さんとの距離感が分からなくなってしまう。……どうしよう、遠すぎず近すぎず、かつ邪魔にならないほどよいところにいたいのだけれど、普通はどれくらいのパーソナルスペースを保てば不快に思われないのだろう。

 なんだか今日は、ずっと安室さんのことばかり考えているような気がする。

「──お土産、何か買われるんですか?」

 何気なく顔を覗きこんで来た安室さんに思わず変な声が出そうになってしまった。予期せぬ出来事に飛び跳ねた心臓が、「突然話しかけないでください」と切実に訴えている。おそらく黙り込んでしまった私に気を遣って、話掛けてくれたのだろう。

「な、何かかさばらないものがあったらほしい気もするかなあ、なあんて……」

 曖昧な返答で誤魔化すものの、安室さんは特に気にすることなく「そうですか」と頷いた。しかし私も、優先すべきものはなんなのか分かっている。掘り出し物はないかとお宝探しに夢中になることは出来ない。いつ調査対象者が移動するのか分からないのだから、ウィンドウショッピング程度の気持ちで見ていよう。基本的にカートに入れることもなく、目で見て楽しむ買い物方法だ。ぐるりと店内を見回した。

 やはりお菓子とぬいぐるみがメインなのだろうか。とはいえお菓子は何かとかさばるし、この歳でぬいぐるみというのもどうも気が引ける。どうしたものかなあと考えていると、明らかに手触りが良さそうなぬいぐるみが視界に入り、じっと眺めた。

 ……そろそろぬいぐるみというのは、ちょっと。

 そう思えば思うほど、つぶらな瞳がさみしそうに見つめているような錯覚に陥ってしまう。しばらく睨めっこを続けていたものの、でも触るくらいならいいかなと甘い誘惑に誘われてそっと手を伸ばした。本来見本品はなくどれも商品なのだからやみくもに触れないのがマナーだというのに、つい先程見たペンギンの赤ちゃんが頭に残っていたのかもしれない。現に迷うことなく手に取ったのは、その姿を模したぬいぐるみだった。

 あの子もなんだかもふもふしてたなあとぼんやりと思い出しながら遠慮しがちに撫でてみる。この吸いつくような滑らかな肌触りはUFOキャッチャーの景品とは明らかに質が違っているし、中に入っている綿もふわふわと心地いい。実際のペンギンの赤ん坊もこんなにも肌触りがいいのかは分からないけれど、なんだかほんわかとした気分になった。

 そういえば並んでいるぬいぐるみはイルカ、ペンギン、アザラシ、ジンベエザメ、カメの5種類のみのようだ。イルカに関しては青とピンクの2種類も展開されていると言うのに、ラインナップに選ばれなかったラッコを思い、なんとも言えない気分になった。

「買われるんですか?」

 ひょっこり横から顔を出した安室さんに肩を震わせてしまった。思わず「え? いや、そんな!」と動揺丸出しの声で否定して、慌ててぬいぐるみを元の場所へと戻す。とっくに成人している社会人がぬいぐるみ、と思われてしまったかもしれない。

「こ、子供の頃を思い出して、つい。かわいいですよね、ぬいぐるみ」

 そう言ってへらっと笑ってみせたものの、果たしてうまく誤魔化せたかどうか怪しいところだ。そういえばぬいぐるみに触っていたとき、頬を緩ませてしまったような気がする。流石の私も、「ぬいぐるみに癒されていたんです」とは言えなかった。どうにかして話題を替えなくてはとおもむろに辺りを見回すと、幼い頃を彷彿とさせるものを発見した。

「──あっ、懐かしい!」

 白い網が立方体を作るように計4面設置された回転式の陳列什器に、隙間なくずらりと設置されていた商品を見つけ、逃げるように近寄った。そこには金色のスプーンが陳列されていたものの、持ち手の先につけられたプレートに名前が印字されている。大きさから言って、デザート用のスプーンだろう。什器の上には「東都水族館デザイン」とポップが掛かれているように、トレードマークであるイルカが名前の下に小さくプリントされていた。あ行からわ行まで、さまざまな名前が置いてある。どうやら男の子の名前は青、女の子はピンクの色のプレートになっているようだ。

「名前入りのスプーン、ですか?」

 私を追うようにやって来た安室さんが、物珍しそうに尋ねる。

「はい! 似たようなものを子供の頃使ってた記憶があって。……懐かしいなあ、私のあるかなあ」

 とりあえずぬいぐるみのくだりを誤魔化せればいいやと思っていたはずなのに、いつの間にかすっかり思い出に浸っている自分がいることに気が付いた。完全に目的がすり替わっている。

 しかしくるくると什器を回転させ自分の名前を探すも、五十音順に並んでいるはずなのになかなか目に入ってこない。左から右へ流れ、なかったら下の段、またなかったらと繰り返しているものの、ついに一番下の段までたどり着いてしまった。お陰でいつのまにか屈んでいる。もしかして隣の面にあるのだろうかと立ち上がった。

「──ちゃん」
「えっ?」

 唐突に安室さんが私の名前を呼んだ。それに思わず心臓を飛び跳ねさせてしまったのは、いつもと違う呼び方をされたことに気付いたからだった。今までさん付けだったからこそ、なんだか急に女の子扱いされた気になってどきどきしてしまう。安室さんの横顔を見つめていると、まるで気付いたようなタイミングでこちらを向いた。

「ありましたよ。ほら」

 そう言って爽やかな笑顔のまま差し出してきたそれは、私の名前がピンクの文字で可愛らしく印字されていた。ちゃん。間違いなくそう書いてある。つまり彼は私の名前のスプーンを発見し、何気なく書いてある名前を読んだだけだったのだ。……そっか、なんだ。ちゃん付けにされたのかと思って、つい動揺してしまった。

「……? さん?」

 どうされました? そう言わんばかりの不思議そうな目で私を呼ぶ安室さんの声に、はっと我に返る。「ああ本当だ、ありがとうございます」なんてありきたりな礼を言って受け取っては誤魔化してみるけれど、やっぱりさん付けなんだと残念がっていることは絶対に悟られてはならない。

「えと、安室さんのもあるんでしょうか?」
「どうでしょう……。ところでさん、僕の下の名前、知ってます?」
「し、知ってますよ! 事務処理するときいつもフルネームで見てましたし。……と、透さん、ですよね?」
「ふふ。正解です」

 いつも苗字を呼んでいるからか、下の名前を口にするのは妙に緊張してしまう。本人はそんなこと微塵にも思ってなさそうだけど、笑った顔が妙に眩しくてこちらとしては落ち着かない。どうも彼を見ているのはくすぐったくなって、安室さんの名前を探す名目で視線を逸らし、陳列台を回してみては「とおる」の文字を探してみる。すると捜索開始した段から3つ降りたところであっけなく発見した。

「……あっ。安室さんのもありましたよ」
「え? どこです?」

 違う面を探していたらしい安室さんは、突然の報告に困惑していた。発見した場所へ大まかに視線を送ってみたものの、安室さんの位置からは、ちょうど上の段の商品の死角となってかその姿を捕えられないようだった。

「ほら、ここです。“透くん”って。青色の……」

 上から3段目の、左から5つ目に引っ掛けられていたスプーンを指差したところで、真横に移動し、私と同じ視線の高さになるように腰を折る。そこでようやく彼は「ああ」と納得した声を出した。

「ほんとですね。……ふふ。なんだか自分の名前があると、少し嬉しいものですね」
「そうです、ね──」

 話を振ってきたと同時に何気なく私に顔を向けられた瞬間、その距離に心臓が驚いた。いつもならもっと遠くにいるはずの彼の顔が目の前にある。私の体温を上げるのは十分だったようで、エスカレーターでの出来事を思い出した私の体は分かりやすく固まってしまった。

 照れているなんて気付かれたくなくて慌てて反対側へ顔を逸らしたものの、それで黙り込むのはあまりに気まずくなることくらい分かっている。何かこの場を離れるための口実欲しさに、右手に握りしめたままのスプーンの存在を思い出し、妙に早口に言った。

「あっ。えっと、私、これ買ってきますね。すぐ戻ります!」

 彼の顔をもう一度見ることもないまま、早足でレジへと逃亡した。少し、いや、かなりわざとらしかっただろうか。流石にこれはやってしまったかもしれない。安室さんは、なんとも思ってないのかな。そういえばエスコートもなんだか慣れてるみたいだし、なんだか先程から私だけが意識してしまって恥かしい。なんだか少しむなしいような、悲しいような。レジ待ちの列を発見し、最後尾に並びながら右手に握りしめたものへと視線を落とし、溜息をついた。

「(……別に、そういうつもりで来たわけじゃないけど)」

 安室さんみたいな人と水族館なんてラッキーかもと、冗談のような浮ついたことを考えていた気もするけれど、別に本気で思っていたわけじゃない。だけどこんな子どもみたいに反応してむくれてしまっては、まるで本当に安室さんのことがすきみたいだ。服装のことと言い、あまりに女として見られていないのが悔しいのかな。だからムキになるのだろうか。でもさっき「女性に対して取る距離じゃなかった」と言っていたから、一応女扱いはしてくれてるのかな。……いや、安室さんにそんなものを求めてどうするんだ。

「──僕も買うことにしました」
「ひっ!?」

 突然背後から聞き慣れた声で耳元で話しかけられ、思わず肩を震わせてしまった。予想だにしていなかった展開に心底動揺したらしい心臓は今、まるで和太鼓のように大音量で鳴り響いている。振り返ると、どこか楽しそうに微笑んでいる安室さんが立っていた。なんというか、神出鬼没すぎる。

「……あ、安室さん。どうされたんですか?」

 せわしなく動き続ける心臓に落ち着けと言わんばかりに胸を押させるものの、一方の安室さんは相変わらず涼しい顔をしている。なんだかうらめしい。なんだか先程から私ばかりが動揺している気がして悔しいのだ。そんな私に、彼はどこ吹く風とばかりに言う。

「せっかくだし、僕も買おうかと思いまして」

 そう言って差し出すように見せたのは、私がこの手に握っているものと色違いのスプーンだった。持ち手の先に、“とおるくん”と青い文字で書いてある。顔を見上げると、彼は童心に帰ったかのようにどこか無邪気な顔を見せた。

「お揃い、良いですか?」

 ここで聞くことになるとは夢にも思わなかった単語に、心臓が返事をする。間違いなく断られることを想定していないであろう彼に頷くと、タイミングよくレジが空いた。

「次の方、どうぞ──」

 店員の女性が手を上げて、レジ前に来てくれと合図を送る。いつの間にか自分が先頭になっていることに気が付いて、慌てて駆け寄った。

「(……そっか、お揃いになるんだ)」

 鞄から財布を取り出しながら、安室さんの言葉を思い出す。書いてある名前は違うけれど、シリーズが同じだからこれはお揃いに分類されるのだろう。……そっか、そうなんだ。バーコードを読み込まれ、価格がレジ画面に表示される。ちょうど小銭はあっただろうかと財布の中を覗きこみながら、どこかくすぐったい気分になった。


20181109