昨日、私・は失恋しました。 その日はクリスマス前日だったと言うのに、なんということでしょう。 とは言っても別にその人とは恋人関係にあったとかそういうんじゃなくて、こっちからの一方通行だったけど、さ。 そして加えて言うならその人のことを「すきだ」って確信を持って、自信を持って言えるような気持ちじゃなくて、「格好良いなあ」とか「気になるなあ」だとか、そんなぼんやりした程度だった。 これを「恋だ」と言う人もいれば「そんなの恋じゃない」と言う人もいるかもしれないし、そもそも私自身がどちらだったのか分からないのだから、どうしようもない。 だけど心の何処か、小さな喪失感を覚えるのは何故だろう。
「(…幸せそうだった、な)」
ことの発端は親友から告げられた、たったの一言だった。
思い出そうとしなくとも自然と回送してしまう私の頭。
それは、昨日からずっとリピートされ続けている会話だった。
『ねえ、聞いて。私、彼氏出来ちゃった!』
『本当に!?うわあ、おめでとう!で、誰?私の知ってる人?』
『うん。ほら、この前練習試合で行った三船西高で、男子ソフト部のキャプテンやってた人、覚えてる?』
うん、覚えてるよ、当然じゃない。 私もね、ちょっとだけ気になってた人だから。 でも普段男の子の情報には疎(うと)くて興味の無い私だったから、「その人覚えてるよ」って言ったら変かな、って、思って、誰それと言わんばかりの顔をして首を横に振った。 いや、ちゃんとそう振舞えた、と思う。 そうしたら彼女は予想通りだわと苦笑して、手帳から一枚の紙を取り出し、私の前に差し出した。 そこには仲良さ気で幸せそうに笑って写っている彼女と、そして彼が2人。 プリクラというやつか。 「初デート」と書かれているところから見て、その途中に撮った物らしかった。 どうしてだろう、あまり見たく、ない。 だから私は「ああ、この人ね」と、このとき初めて分かったと言わんばかりの台詞を吐いてすぐに返した。
やっぱり恋だったの、だろうか。 いや、しかしその場で泣き崩れる程ショックは受けなかった。 じゃあ恋じゃなかったのだろうか。 でも親友に恋人が出来たという本来ならば祝福すべき報告を、心から喜ぶことは出来なかった。 …ああ、自分がよく分からなくなってきた。 だから気を紛らわそうと、店長にお願いして急に入れて貰った今日のバイト。 しかし今頃2人はデートでもしているのかしらと考えていただけで、仕事に身が入らなかった。 こんなの私、らしくない。
「さん?どうかしたんすか」
隣を歩いていた、とても可愛らしい少年が不思議そうに尋ねた。 ああ、そうか。 一緒に帰ろうって、私が誘ったんだっけ。 なのにぼうっとしてて、ごめんねたいちゃん。 だから「なんでもないよ」って言ったのに、どうも彼はしかめっ面で簡単には騙されてくれない。 「さん」 はい、なんでしょう。 そう笑って返すけど、本当は仮面を被った笑顔の奥にあるものを、見つけられそうで怖かった。
「何か、あったんすか」
ほら、やっぱり。 どうしてこの子はそんなことばかり勘付いてしまうんだろう。 そういえば、私が密かに落ち込んでいるとき、いつも気付いてくれるのはたいちゃんだわ。 でもね、私は気付かれたくないの。 だからどうかこのことは、そっとしておいて。 「ううん、大したことじゃないよ。クリスマスはバイトで終わっちゃったなあって、ただそれだけだから」 本当に、それだけだから。 親友に恋人が出来て、そしてその人も私の顔見知りの人ってだけだから。 だからとても嬉しいはずだから。
「嘘でしょ」
心を見透かしたような言葉にびくりとして、思わずたいちゃんを見た。 誤魔化さないでよ、って言ってる。 顔にそう書いてある。
「絶対さん、何かあった」
「だから、そんなことないってば」
「じゃあどうしてそんな顔してるんすか。バイト中も、今も」
そんな顔って、どんな顔? 私、そんなに分かりやすい顔してた? 幸せそうだった彼女にだって、家族にだって、バイト先の店長にだって、全然気付かれなかったのに。 昨日今日とで会った人全員、みんな普段通りに接してて、そんなこと言った人1人もいなかったよ、たいちゃん。 君を除いて。
「…俺じゃ頼りないすか」
「そ、そんなことないよ。ただ本当に、何も心当たりがないだけで」
「さん」
強く名を呼ばれては、声とおんなじ強い瞳で私を圧倒させる。 …駄目だ。誤魔化せない。 彼はきっと誤魔化しても、納得などしてくれないでしょう。 どうして君は、こうも頑固なの? ほら、息が白いし、きっと寒いでしょう。 なのにさっきからいっこうに動かない2人の足。 これじゃ決して前に進まない。 まるで今の私と同じね。 つまんない話だよ?たいちゃん。 それでも聞きたいの? 私はあんまり言いたくないんだけど、なあ。
「…自分でもよく分かんないんだけど、ね…?」
意を決して口を開いて。 でもすぐに要点を続けて話すことは出来ない。 きゅっと唇を噛み締める。 段々、俯いていく。 目に入るのはコンクリートで舗装された道と自分の足くらいだ。 もう、たいちゃんの顔すらまともに見れない。 一体彼は、どんな顔をして聞いているのだろう。
「………もしかしたら、私、ね。失恋しちゃったのかも、しれないん、だ」
言葉にしたら、急に胸がずきずきしてくるから不思議だ。 しかも今更になって目頭がじわっと熱くなってくるものだから、困ったものだ。 ねえたいちゃん、私ね。 ずっとこの気持ちが恋なのかそうじゃないのか分からなかったけれど、今はっきり分かったよ。 私、やっぱりあの人のことがすきだったみたい。 でも気付くの、遅すぎるって、ば。 …ああ、私は本当に、失恋、したんだ。 「失恋しちゃったかもしれない」んじゃない、「失恋した」んだ。 こらえきれなかったものが遂に涙となって、私の頬を静かに流れた。
ほらたいちゃん、やっぱりつまらない話だったでしょう。 でもたいちゃんは、何も言わない。 呆れているのか、それとも言葉が見つからないのかは私には分からないけれど。 「そうだったん、すか」…ああ、切なそうに呟いた言葉が小さく聞こえたわ。 でも、なんでたいちゃんがそんな悲しそうな声するの。
「さん」
右手にひたりと触れられた少年の手は、長く冬空の下にいたことを語っていた。 まるで氷のように冷え切ったたいちゃんの手は、お世辞にも大きいとは言えなくて。 大きな手だったあの人とは全然違う。 私はそれに触れることは決して叶えることは出来なかったけれど、彼女は今どこかで、当たり前のようにそれを実現しているんでしょう。 ああ、なんて悲しい世界なの。 震えながら、ぎゅ、とたいちゃんの手を握り返す。 ごめんね、爪が食い込んで、痛いかな。 だけどそんな素振りをひとつも見せずに、ただじっと励ますように手を繋いでくれているたいちゃんは、きっと私より大人だね。
「明日、雪が降るそうですよ」
「…うん」
「結構積もるかもしれないって、言ってました」
「…うん」
「そしたら雪合戦でも、しませんか」
「……っ、 う ん…」
ごめんねごめんね、ごめんねたいちゃん。 私の方が年上なのに、気を遣う言葉まで掛けて貰っちゃって。 そうだよね。 明日遊ぶなら、今日のうちに元気にならなくちゃだもんね。
「………たいちゃ ん、」
細い細い声はいつになく震えてて、涙ももう止めることは出来なかった。 そしてたいちゃんは、ぐすりとしゃくる私を、相変わらずただ冷たい手で繋ぎとめているだけで。 ああ。この街のどこかで、あの人はあの子に愛しそうに微笑み掛けているのでしょうか。 彼女も嬉しそうにあの人の大きな手を握り締めているのでしょうか。 2人はとても幸せなのに、どうして私は今、泣いているのでしょうか。 泣きたいわけじゃない。笑いたいのに。
「……ごめんね」
恋をひとつ失うと、例えそのときは恋だと認識していなくても、いずれは傷がつくものだ。 でも私はその傷を誰にも気付かれたくなくて、いつも以上に明るく振舞い続けていた。 そうしなきゃ、いけない気がしてた。 ねえ、たいちゃん。 それが、いけなかったのかな。 私、ずっと我慢してたみたい。 もう当分止まりそうにないこの涙は、だいすきなあの人を消し去らなければならないと教えている。 だから断ち切らなきゃいけないの。 そう分かっているのに、涙は簡単には止まってはくれない。
ねえたいちゃん、たいちゃん…ごめんね。 少しで良いの。 だからもうしばらくは、こうして静かに泣かせてね。 明日貴方に会うときは、きっと笑ってみせるから。
言葉にしたら、
(何故でしょう、急に実感が沸いてくるの。ねえたいちゃん。私がまた歩き出せる日はやって来ると思う?)
080124