桜が満開で空も雲ひとつない今日、私は高校生になった。 初めて訪れた教室に、初めて座る自分の席。 身にまとう制服も新しくて慣れていないからか少し固くて、ちょっと動きにくい気がする。 こんな風に全てが綺麗に磨かれている新品状態なのは、なんだか少し照れ臭い。 しかも校舎からしても、うちのボロい中学とは大違い。 …流石は私立! しかし喜ぶのも束の間で、周りを見渡せばそこには知らない人ばかりだ。 知っている人なんて1人もいやしない。 がくりと肩を落とした。

何故ならここは私立海堂高校の体育科クラス。 なんでも中学の時に聞いた友人談によると、かなりの有名校らしい。 らしいというのはこの学校を選んだのは家に1番近かったからで、しかもずっとやってた陸上の推薦が貰えそうだったから。 なので詳しいことは全くもって知りません。 …真剣にやっている人に言ったら張った押されそうな動機だと自分でも思う。 それでもまた中学のときみたいに、沢山友達をつくりたい…つくれたらいいな。

その為にはまず、クラスメイト全員の名前を覚えなければ。 こういうのはちんたらやってたら絶対覚えきれないで1年終わっちゃうだろうなあ…。 よし、3日で覚えよう。 絶対無理ってことは分かってるけど、そういう心構えは大事だ。 よし、と気合い入れをして、つい先程校門前で貰ったクラス名簿を広げた。 するとやはり、知らない名前しか羅列されていない。 当然のことで分かりきっていたことの筈なのに、それでも急に中学が懐かしく思えてきて、少し淋しい気持ちになった。 それでも今まで知らなかった人達と同じ時を歩んで行くのだと思うと、なんだか不思議な感じがした。

皆さんこれからクラス替えまでの1年間、お世話になります。 欲あらば3年間、仲良くしてくれると嬉しいです。











「えー…皆さん、入学おめでとうございます。これからの活躍に我々は大いなる期待を──」

嗚呼、やっぱりどこの学校でも、決まって校長先生──あ、違う。私立だから理事長か──の話は長いのね。 入学式なんだから、今後話す機会なんてまだまだあるでしょう。 だから、もうちょっと省略してもいいんじゃないのかなあ。 しかも話が段々ずれて来ているし。 きっと理事長先生本人も気付いてないんじゃないかしら。 手元には分厚いノートを持っているというのに、何の意味も果たしてない…て、え、ちょっと待って。 もしかしてあれは台本? 今話している話が書かれているのね?言い忘れが無いように! あっ、ページめくった! …どうやら間違い無いらしい。 前もって話の内容をノートに書いてくるのは別に良いのだけれど、勝手にアドリブ入れないで欲しい。 これでは当分終わりそうに無い。

一体あと何分続くのか。 きょろきょろと周りの様子をうかがってみる。 あ。前方に、あくびしてる男子を発見。 その気持ち、分かる分かる。 というより、いっそのこと…。

「…寝たらまずいと思うか?」
「当たり前じゃないか、何を考えているんだ君は」

私の心の声を、代わりにぼそぼそだけれど言葉にしたのは先程の男子。 すぐに隣の男子に突っ込まれていたけれど、物凄く気が合いそうな予感がする! どうやらお2人共知り合いなご様子。 それとも短い間に仲良くなったのだろうか。 知り合い皆無の私にとって、羨ましい限りである。 暇なので、始業式前に小さく折り畳んでポケットに入れた名簿を取り出し、2人の名前を見てみることにした。 すると突っ込んだほうの男子の名前が判明。
そこには『佐藤寿也』と書いてあった。

…………………………。

えーっと…佐藤………さとう……ことぶ、きじゃない。 『寿』の後ろに『也』が付いている。 えーっと………………………………………………は? なんて読むの、これ?

『寿』って、『ことぶき』以外になんて読むんだっけ…。 いくら私だって、これを『ことぶきや』と読むわけじゃないということくらいは分かるから。 だってそれだとなんだか店の名前みたいだし。(しかも日本全国探せば何処か1軒くらいありそう!) えーっと…ああ、そうだ、『じゅ』だ、『寿』って『じゅ』って読んだ気がする。 ていうかそうだ!『寿命』とか言うもんね! じゃあこれは『じゅや』?…ん?何か変…『じゅうや』か? いや、何だか違う気がする。

何だろう、凄く気になる。 この中途半端に分からない感じが物凄く気になってしまう! なんて読むんだろう。 親御さん、もっと分かりやすい名前付けてくれ、頼むから。 突っ込まれた方の彼なんて、見てよ。 『茂野吾郎』だって。
なんて単純明快で分かりやすい名前なの! これくらいなら私にだって読めるわ、『しげの ごろう』でしょ! なーんて妙な優越感に浸ってもしょうがない。 これじゃあ『3日でクラス全員の名前を覚えるぜ計画』が台無しに…。

男子は後回しで良いやと思っていたけれど、これはそう言うわけには行かないわ! 好奇心がうずいて気になって仕方が無い。 そうだ、入学式の後にホームルームがあったな。 きっとそのときに自己紹介をするはずだ。 普通そういうときってフルネームで名乗るし、聞かずとも分かるかも!



──と思っていたのに入学式後、教室にて担任の先生が言った言葉は。

「──それから、自己紹介は各自でやっとくようにー」

…であって、しかもそれをさも当たり前かの様にサラリと言ってのけたもんだから驚いたものだ。 なんて奔放主義な担任なの、恐れ入ったわ海堂高校。 普通初めてのホームルームって言ったら自己紹介から始まるものなんじゃないの? そこからコミュニケーションが始まっていくものなんじゃないの? 小学校からずっとそうだったけど…。 それともこれは私の所だけで、普通はそんな時間は設けられないものなの? あーあ、佐藤くんだけじゃなくて、他のクラスメイト達の読みのチェックもしたかったのになあ。(間違って呼んだら失礼だろうし)

しょうがないので。

「ね、これ何て読むの?名前」
「え?」

偶然にも席が隣だった佐藤君本人に、思い切って話し掛けてみた。 それにこれも良いように考えれば、話す口実…と言うより話のネタが出来たと言うことだ。うん。 しかし突然何の前触れも無くクラスメイトとは言え見知らぬ女子に話し掛けられ、佐藤くんは少し戸惑っている様子。 警戒しなくても、別に取って食おうなんて思ってないってば。

「いや、名前。悪いんだけど、読めないんだ。佐藤『なに』也なの?」
そう言うと、ああ、と納得したようで、「読めないよね」と苦笑いして答えてくれた。

「としや。佐藤『としや』だよ。よろしくね」
「え、『とし』…?『寿』で『とし』って読むの?」
「うん、珍しい名前でしょ」
全くだ。

…しかし案外普通な名前だったなあと第二印象。(第一印象は「なんだこれ」だから。悲しいことに) 『としや』だったら俊哉とか、その他色々いっぱいあるじゃないか。 そんなことを思いつつ、始業式で広げた名簿をまた出して、忘れないようにと振り仮名をふる。 …多分そんなことしなくても、ここまでインパクトを与えられたのだ、忘れないだろうけど、念のため、ね。 そういえば、まだ私自身名乗っていない気がする。 これは失礼だ。 佐藤くんも顔は笑ってはいるが、内心では「あんた誰」と思っているも聞き辛く、私自ら名乗るのを待っているに違いない。

「…あ。私、 です。よろしく」

語頭に「申し遅れました」と付け足したほうが良いのだろうかと思いながらも、にへらと笑って自己紹介。 すると佐藤くんはまた、「よろしくね」と言ってにこやかに笑った。 なんだか爽やかなオーラが眩しくて、は直視できません。 …というのはまあ冗談にせよ、こういうタイプの人はなかなかいなかったからか、どうもくすぐったい。 何故かちゃんと目を見て話せないのだ。 けれど下を向くわけには行かないから、少し視線をずらして話していた。 どうしたのだろうか、私は。 初めて会うクラスメイトだし、緊張しているのだろうか。

いや、別に小学校も中学校も初対面の人にも男女関係無く普通に話し掛けていた。 うーん謎だと思いつつも深くは気にしないことにして、ペンケースから蛍光色のマーカーを取り出し、佐藤寿也の名前にラインを引いた。 すると不思議そうにその様子を眺めていた彼は、この行動に疑問を覚えたらしい。 「マーカー引いてるのは何を意味してるの?」と突っ込んで来た。 ああ、入学式のときと言い、やっぱり彼は突っ込み担当なのねと訳の分からない事を思いつつそれに答える。

「クラスメイト、3日で覚えようと思って。覚えた人の所にマーカーしてるの。分かりやすいでしょ」
目指せ3日でクラスメイト暗記目指してるんだよと笑って付け足すと、佐藤くんは感心した表情をした。

「3日?さんて、記憶力良いんだね」
いえ、それは誤解です。
「や、全然良くないよ。だから必死だよ。本当」
「じゃあ、なんでそこまでして…」

「なんで」?そんなに意外な事なのだろうか。 でもその理由は、すごく単純な答えだよ。

「だって1年間同じクラスなんだよ?どうせなら早く仲良くなりたいし…そのほうが絶対楽しいでしょ? で、あわよくば海堂校生全員と顔見知りにしたいんだよね、私」

だから早く覚えちゃわないといけないの!と冗談の様に言ったけれど、私は結構本気だった。 でも佐藤くんはやっぱり、そんなの無理に決まってるじゃんと思っただろうか。 笑われるかなと予想していたのに、佐藤くんの反応はそういう意味を含まない笑みで言ったのだ。 …内容的には「どっち」にとれるか微妙な所だったが。

「なんだかさんって面白い人だね。楽しい高校生活になりそうだよ」

……面白い…?

「…それってさあ…褒めてるの?それともさり気なくけなしてるの?」
「褒めてるんだよ?」

この佐藤くんの言葉と表情から見て、どうやら良い意味で言ってくれたらしい。 だから、ありがとうとか返したほうが良いに決まってるのに、私の口から出て来たのは、それとは正反対の可愛くない言葉だった。 それに、やっぱり何故か、彼と目を合わせられない。

頬杖をついて、とりあえず目をそらそうと、また机に広げられたクラス名簿を眺める。 そこで真っ先に目に入って来たのは、ひとつだけマーカーの引かれた名。 今しがた話していた、隣の席の彼の名だ。 ちろりと本人を見てみると、それに気付いた佐藤くんはにこりと笑う。 そうしたら、本当に何故だろう。 体中がとても熱くなって、思わずぷいっと顔を背けた。 …自分から話しかけた相手に、しかも今も自分から見て来たくせに、なんて失礼極まりないのだろう。 でも佐藤くんに見られていると、何だかとてもとても恥ずかしいと思ってくる。

今日の私はどこかおかしい。 きっと今日だけだから、今回は許して欲しい。 お願いだから、気を悪くしないでね。

「おーい寿也。今日のミーティング、いつからだっけか?」

ふいに入学式で見たあくびくん(あれおかしいな、名前忘れちゃったよ。イチロウくんだっけ、ジロウくんだっけ?まあ確かそんな感じの名前だ)に呼ばれた佐藤くんは、「もう忘れたの」と呆れ顔で返している。 やっぱりふたり、仲が良かったんだな。 そして未だ続いている会話から察するに、佐藤くんは野球部らしい。(…あ!これは決して盗み聞きとかそういう類いのものじゃないから!隣だから、自然に聞こえて来ちゃうの!本当不可抗力ってそれだけだから!) ああ、そういえば誰かからか、海堂高校は野球の名門校で、甲子園の常連だと聞いた事がある。

…佐藤くん、ポジションはどこだろう? とは言っても、私は野球に関してはちっとも詳しくないから、きっと答えられたところで分からない率の方が高い。 けれど、それでも気になるのはどうしてだろう。

いつから野球やってるのかな。 どこの中学出身なのかな。 次から次へと浮かび上がってくる問いの数々。 それらが出て来る度に知りたいと思う。 また隣の彼を見てみる。 すると佐藤くんはあくびくんと相変わらず会話を続けていて。 だから今度は先程のように、私からの視線には気付いていないようだ。

「(…………佐藤としや、くん)」

クラスで1番に覚えた名前が何故か頭にこびりついて、なかなか離れませんでした。



それはきっとのチカラ
(どうしよう、今日の私は何か変)



070423/加筆修正080104