明日さ、一緒にテスト勉強でもしようか。2人で。
そう沖田先輩に言われた翌日の放課後、手を引かれてやって来たのは、彼がほぼ1日の大半を過ごしているであろう2年生の教室だった。ここは2階か3階にあるかという違いだけで、私達1年のクラスとほとんど変わらないように見える。けれど、確かに何かが違うのだ。例えば教室の後ろにある生徒のロッカーの上に漫画が大量に並べられていることとか、そんなロッカーのほとんどは、もう試験開始1週間を切ったところだというのに、未だに所狭しと言わんばかりに教科書が押し込まれているとことか、机の配置が揃ってなくてガタガタなとことか。同じようでどこか違うという奇妙な感覚が、なんだかくすぐったかった。
そんな「上級生の教室」という雰囲気に圧倒されながらも、しかし普段沖田先輩はここで授業を受けているのかと考えると、ちょっとわくわくした。まるでその空間に私も参加しているような、一員になれたような、そんな感覚になってしまうのだ。だから私は少しでも長くそんな気分でいたくて、教室内に足を踏み入れてた後も、相変わらずきょろきょろと落ち着きなく辺りを見回すことをやめない。…教室には彼のクラスメイトどころ人誰1人いなかったから、気兼ねなく探索出来たというのも大きな理由なのも知れないけれど。
更に言ってしまうと、この教室のどこかに沖田先輩の机があると考えただけで、なんだか宝探しでもしているような気分になった。だから今の私の目は、きっときらきらと輝いているに違いない。どうしよう、なんだか好奇心の旺盛な子どもみたい。心がうずいて落ち着かないもの。
「あの。沖田先輩の席は、どこなんですか?」
「ん?あそこだよ。窓側の一番後ろ」
窓側の、一番後ろ。なんとなく先輩らしいなと笑いつつそこを見てやると、またなんとも言えない好奇心が顔を出したのだろうか。気がついたら口が勝手に動いていたのだ。座ってみて良いですかと。
予想外な台詞に驚いたのは、誰より私自身だった。だってこんなこと、いつもなら絶対に言わない。私は普段、こんな行動的ではないから。しかし沖田先輩は何も不審がることなく、「どうぞ?」と笑っていた。むしろとても嬉しそうにしているから、少し拍子抜けしてしまう。…あれっ?もしかして余計な心配しちゃったかな。
しかし折角本人からの許可も貰ったことだしと開き直り、足早に窓側の席へと向かってみることにする。勿論他の席など目にもくれずに。そっと先輩の机に触ってみると、沖田先輩の席だと実感してちょっとどきどきした。そうしてゆっくり腰掛けてみたものの、やけに背筋をピンと立ててしまうのは何故だろう。緊張しているんだろうか。だけど今の私は、先輩と同じ目線なんだ。沖田先輩は普段、こういう景色の中で学校にいるんだ。今私が見てる風景が、先輩の日常なんだ。それがどうしようもなく嬉しい。差し込んだ夕日が床に反射して、少し眩しかった。
「…えへへ」
本当に、ただ椅子に座っているだけなのに、なぜこんなにも嬉しくなってしまうんだろう。「満足出来た?」そう優しく尋ねてきた先輩は、いつの間にか腰掛ける私の右隣に位置する席に腰掛けていた。本来ならば逆の位置になったはずだろうに、そんなこと彼はちっとも気にも留めていないらしい。肘を突いて、また楽しそうに私を眺めていたから。そんな先輩の質問に笑顔で答えた後、また教室の前方の方へ顔を向けた。…また口元が緩む。
「…先輩は、いつもここに座って授業を受けてるんですよね」
「うん。そうだよ」
「…えへへ」
「君、さっきから笑ってばっかりだね。そんなに楽しい?」
「楽しいと言うより、嬉しいです」
だって、私と沖田先輩は1学年も違う。だから机を並べて同じ授業を受けたことはないし、きっとこれから先もないだろう。だからこんなふうに隣に沖田先輩がいると、まるで一緒に授業を受けているような錯覚にとらわれるのだ。同じクラスで、同じ日常を、同じように過ごしているみたい。そんなことを考えては嬉しがってしまうから、緩みっぱなしの口元を隠すことは出来なかった。
「嬉しいって、どうして?」
…あっ、しまった!私!つい口を滑らせて…!やってしまったと言わんばかりに口を手で塞ぐも、時既に遅し。言ってしまった言葉は帰る術を知らないのだ。楽しそうに笑う先輩に、慌てて「あ、いえ。その、大したことじゃないので…!」とどもりながら誤魔化してみたものの、どうやら更に彼の興味を引いてしまったらしい。「なあに?気になるなあ。大したことじゃないなら言ってごらん」と返されてしまった。…どうやら弁解の仕方を間違えてしまったようだ。…更に言うなれば、もはや私には観念するしか方法は残されていないらしかった。
「あ、えっと…あの、本当に些細なこと、なんですけど…その…」
「うん」
「な、なんだか、同級生になれたみたいだなあって思って…そ、それだけ、です」
…やはり予想外の回答だったのだろうか、先輩はきょとんとした。が、すぐに「そうだね」と嬉しそうに笑ってくれたから、私は胸を撫で下ろす。…が、そう思ったのも束の間で、(それで話が終われば良いのに)先輩は少し考えた後、名案だと言わんばかりの顔をした。
「じゃあ、同級生なら、先輩って呼ぶのは変だよね?」
「え?」
「 変 だ よ ね ? 」
…なんだろう、この有無を言わせない雰囲気は。そもそも私は沖田先輩のことを「先輩」以外で呼んだことはなかったし、考えたこともなかった。私の中での沖田先輩は、最初から沖田先輩だったのだ。…うまく言えないけれど。だからいきなりそんなこと言われても、戸惑うだけなんだけどな、私としては。しかし先輩は「ほらほら」と急かすから、私は観念して、お望みどおり彼の名を呼ぶことにした。
「ええと、じゃあ…沖田、さん?」
「…やだなあ。『さん』とか、そんな他人行儀な同級生」
「でも、この間2年生の先輩がそう呼んで…」
「山崎くんはそういう人なの」
はあ、そうなんですか。しかし、ではどうすれば。同級生みたいというだけで、実際私達は同学年ではない。だから戸惑いの色が広がる。どうやら私はそういうところだけは体育会系みたいだ。…いや、別に私は運動部に所属したことはないし、特別スポーツが得意な訳ではないけれど。
「ほら、早く」
そんな私を知ってか知らずか、やっぱり沖田先輩は急かしてばかりだ。しかし表情は先程と変わらず飄々としていて、いつもと違う呼び方で呼ぶのにこんなにも緊張しているのは私だけなのだろうかと考えた。それに、小心者なのかな、心臓がとても五月蝿い。しかし、先輩はやれと言ったらとことんやらせる人だ。決めたことに対して、決して妥協などしない。そして私もそれを知っているから、今度こそ意を決して呼ぶしかないのだ。彼の名を。
「………お……沖田、……くん…………」
「うん。とりあえず、沖田から離れようか」
な、なんと。勇気を振り絞ったというのに、NGを食らってしまうとは!「さん付け」に引き続き「沖田」も駄目となると、どうすれば良いんですか。「そんなの簡単でしょ、下の名前で呼べば良いじゃない」え、ええ!?…どうやら動揺が顔にまで出てしまったらしい。沖田先輩は明らかな溜息をついた。
「…あのねちゃん。名前は何のためにあるのか、知ってる?」
「よ、呼ぶため、です…」
「じゃあ呼んでよ。僕の名前、知ってるでしょ?」
知ってます。知っていますよ。漢字だって知ってます。ケータイに先輩からメールが受信されるたび、フルネームが表示されているし。だから1日何回も見てる。…一度もそれで呼んだことは無いけれど。けれど斎藤先輩は藤堂先輩が「総司」って下の名前で、しかも呼び捨てにしているのを聞くたびに、憧れていたと言うのは確かだ。…決して誰にも言ったことはないけれど。………。
「……そ…、…………………っ!」
ちらっとさり気なく先輩を見てみると、にこにことしているながらも感じる期待の視線が痛い。どうしよう。意を決してみたは良いものの、先輩と目が合った瞬間に、その覚悟は力なくひょろひょろと小さくしぼんでいってしまった。お陰で絡み合っていた視線も、恥ずかしくなって明後日の方に向いてしまう。最終的には羞恥が勝り、黙り込む作戦に出てみるも、やっぱり突っ込まれてしまったからどうしようもない。
「なんで目を逸らすのさ。ほら、ちゃんと僕を見て言ってよ。僕はいつだって君のこと、ちゃんと目を見て呼んでるよ?ちゃん」
う、うう。そ、それはそうですけど、それと今の私の状況とはまた違うじゃないですか!…と、言ってやりたいけど言い返せない。いや、言って「うんそうだね」とすんなり肯定されないことは目に見えているというのもあるけれど、それ以上に私は、先輩に甘かった。ちょっと見つめられて言われたことは、ころっと聞いてしまうほどに。そしてそれを知ってる上でやっている先輩も、相当悪質だと思うけれど。つまりは私もいつものように、覚悟を決めなくてはいけないのです。和太鼓のように鳴りっ放しの心臓を落ち着かせようと、気付かれないように深呼吸する。……よし、いち・にの・さん・はい、で言うぞ…!……い、いち・にの・さん…!
「………そ…っそ、うじ、くん…!」
「聞こえないなあー」
「…………っ!そっ、総司!くん!」
「…うん、よく出来ました。…褒めてあげる」
そうして沖田先輩は、まるで小さな子どもにするかのように私の頭を撫でる。なんだかとても嬉しそうに笑うから。私は髪を優しく梳かすように撫でる手がとてもとても愛おしい。だからかな。きっと今の私は甘えん坊だ。きっとすごく調子に乗っているに違いない。実は密かに憧れていたことを、そのまま先輩に頼もうとしているのだから。
「…あの、あのね。先輩」
「……………………………」
「……。そ、総司くん、あのね」
「うん。なあに?」
うわあ、あからさますぎる…!先輩って聞こえていたはずなのに、急につーんと不機嫌そうにそっぽ向いちゃって、名前で呼んだときとの笑顔の差と言ったら。思わず笑ってしまいそうになるのを押さえながら、「隣の席に座るクラスメイト」としてやってみたいことをゆっくり口にした。
「ちょ、ちょっとやってみたい事があるんですけど…わ、笑わないでくださいね」
「うん、笑わないよ。言ってごらん」
「じゃあ、あの…。机をこう…くっ付けてね、」
「うん」
「て、手を、繋ぎたいかなあ…って…」
そう口にした瞬間、かあっと全身が熱くなる。うわあ、言っちゃった!そもそも先輩は「笑わない」と言ってはくれたけれど、「何それ」と思われてたらどうしよう!内心どきどきしながらちらりとせんぱ……総司くんを見てみると、意外や意外。きょとんとしてる。あれ?もしかして子どもっぽすぎて呆れてるのかなと心配していると、彼は「そこは、『キスしたい』って言って欲しかったなあ」と笑って、机をくっつけるより先に、自分の左手と私の右手を絡ませた。
★おまけ(多分5分くらい後の出来事)
「じゃ、そろそろテスト勉強始めよっか。ちゃん数学苦手でしょ?教えてあげる」
「……あ、あの…」
「?どうしたのちゃん。あ、他の教科のほうが良い?」
「じゃなくて、その…………ど、どきどきしちゃって、勉強に集中出来ま、せん…」
…その数秒後、腹を抱える勢いで笑われた。
20100620(書きながら、とっととテスト勉強しろしこのバカップルと思った件。SSLな沖田先輩夢は問答無用でバカップルシリーズになるんですね分かります←)