放課後の図書室は閑散としていた。冷たい風が頬をかすめるようになってきたこの季節、俺はというと何故か部活にも行かず(正確に言うと行きたくても行けず)図書室のカウンターで黙々と本を読んでいる。 (因みに太宰治の「人間失格」だ)背中越しにある小窓が風にゆらされてかキーキーと音を立てているのを聞くのと同時に、グラウンドから聞こえる野球部のものだろう掛け声も耳に届く。ため息。 だ、い、た、い。なんで俺がこんなことを。それもこれも同じクラスで後ろの席のチビことミジンコ…じゃない、チビこと宮代昴のせいなわけで。つまりあいつが勝手に俺を図書委員なんて面倒な仕事に推薦しなけりゃ今頃俺はグラウンド行って 普通に練習に参加してるってわけだ。あームカツク。俺が起きた時の昴の顔といえばそれはもう腹立つ以外の何物でもなく。「颯ちゃん颯ちゃん、黒板見てみろよ」 そう言ってにやにや笑うチビの旋風めがけて拳骨一発食らわせてやったくらいだ。まああれは昴の自業自得だな。俺の睡眠妨害したのと、勝手に推薦したあいつが悪い。確実に悪い。 だいったい俺が図書委員とか本当似合わねえだろあいつばっかじゃねーの、って、馬鹿なのは知ってるけど。絶対嫌がらせだとしか思えない。 実際に姉貴に言ったら爆笑された。あの姉貴にすらだ。(どうせなら俺も体育委員に…って、姉貴と同じ委員会は勘弁したいけど)

つまりそう言う経緯で無理矢理、嫌々、図書委員を押し付けられてしまったわけで決して俺自らの意思でこんなところにいるわけではない。そして図書委員ならではの仕事というか今日は月一で回ってくる 放課後図書当番とかいう面倒な仕事をやらされているのだ。というか放課後だから誰もこねえだろ俺帰りたいんだけど。部活行きたいんだけど。 と。本来なら、5時までのはずの当番の仕事を15分ほど早く切り上げて部活へと行ってしまうのだが、残念ながら今日は「5時まで使わせてねふーちゃん」と しっかり釘を刺してここからは見えない奥の机を使用している人間がいるためにそれは叶わなかった。4時58分。あと2分、か。ここに来てから 数十ページ程進んだ文庫本にそこらへんにあった適当な紙をはさんで立ちあがった。さ、そろそろ閉める準備でもしますか。 初めは後ろにある小窓を閉めて、そのあと鍵を持って指定の本棚の鍵をかける。これが終わればあとは残っている人を追い出して 図書室の鍵しめて、職員室に鍵返しにいってはい俺の仕事終了少しだけだけど部活できるだろー、って、いう、流れなんだけど。

な、んで。

こんなところで寝てるんだこの人は。視線の先にはノートを枕にして幸せそうに寝ている先輩の姿。恐らく…というか確実に、勉強してたら睡魔に負けて寝てしまったとかいうオチだろう。 先輩がここにきたのが三時半すぎだから、ちょうど一時間半か。それくらいで集中力切らせるような人には見えないけど、…そういえば次の生徒会への任命式とかで忙しいって、誰かに聞いたような。 聞いてないような。(姉貴だっけ?…いや、昴だっけか?)まあそんなことはどうでもよくて、とりあえず机にうつ伏せになっている先輩の背中をゆするようにして起こすが 変化なし。「先輩。図書室閉めるんで起きてください、先輩……」って、だめだな。起きる気配のかけらもねえ。時計に目をやると5時を数分過ぎた時間だった。あー…部活。 行きたい、けど、この人放置して帰るわけにもいかないし。どうすっかなー…。


「……はあ。」


先輩の隣の席に腰を下ろしてため息をついた。何やってんだろ俺。別に、無理矢理にでもたたき起してさっさと部活行けばいいだけなのに。もう少しだけこの寝顔を見ていたいとか 思って………いや、思ってない、断じて思ってない。ただ単に放置して帰って先輩に怒られるのとか、無理矢理叩き起して機嫌損ねるのが嫌なだけだ。「(…それだけ)」 腕に頭をのせるように机につっぷして、先輩と同じ目線に顔を持っていった。うわー、…本当に爆睡してるよこの人。やっぱ疲れてんのかな。…そういえば、先輩達が引退してもう何ヶ月経っただろうか。 たまに廊下とかで会えば挨拶は交わしていたけど、こうやって長い時間先輩を見るのは久りぶりだ。少しだけ図書委員でよかったと思う。本当少しだけだけど。先輩が抜けた穴は同じクラスの… えーと、鈴木が補ってるけど、やっぱり、それでも、俺は何か物足りないというか。何だろう。鈴木だって働きすぎなくらいよく働く方だし、先輩となんら変わりないはずなのに、だ。


「……ふーちゃん。」


ゆっくりと薄く目を開けた先輩と目が合った。はにかむように笑った先輩にそう呼ばれる。あ、れ?起きた?と思いきや次の瞬間にはまた先輩は爆睡モードに逆戻りで、俺が図書室閉めるんで 片付けてくださいとか口開く前には完全に目を瞑ってすやすやとこれまた幸せそうな顔して眠っていた。…おい、あんた起きたんじゃなかったのかよ。席を立ちかけてたのを座りなおしたけど、 今度は先輩の方に目を向けることはしなくて…というかできなくてそのまま腕で顔隠すようにした。これ、だ。鈴木じゃなくて、先輩の方がいいわけ。…つーか比べるような問題じゃないような気もするけど。 やっぱり、だめじゃん、俺。今更気づくとか。ずっと不思議に思ってたこと。心の奥につっかえるようにして邪魔してたもの、が。野球がつまらないわけじゃなくて。部活もつまらないわけでも全然ない。 ただグラウンドで先輩の笑顔が見えなくなったことが、自分の中で結構な大問題にまで発展していたなんて。

先輩が小さく身じろぎをして、耳にかかっていた髪の毛が落ちてきて少しだけ顔を隠した。あ。ちょっとおい髪の毛。手が顔にかかっていた髪に向かったのは無意識で、耳にかけなおした 瞬間に先輩が小さな声をあげたところでようやく我に返った。正直心臓口から飛び出るんじゃないかと思ったくらい驚いた、てか、自分の行動の方に驚いたんだけど。行き場をなくした手は 力なく俺のひざの上におかれ、これはいよいよ本当に先輩の顔見づらいことこの上ない。心臓ばくばくいいすぎだろ。ほんっとう、さっきから何回も思ってるけど、俺何やってんの?ばっかじゃねーのまじで。 これじゃチビのこと馬鹿って言えねえ。そういうこと言う前に俺がバカだ。心臓に悪いことくらいわかってんだから、やらなきゃいーのに。(という思いとはうらはらに勝手に手が動くんだからしょうがない)


「(…………や、ば)」


よく考えたら隣の席とかすげー至近距離だし。(絶対20センチくらいしかない)それにこんな近くで寝顔、とか、見て、……だめだ俺変態っぽい。放置して帰るわけにもいかないという以前に 自分と先輩を二人きりにしておくわけにはいかないというのになぜもっと早く気付かなかったんだ俺。ポケットに入れていた鍵を取り出して先輩の筆箱の上に置いた。これで、よし。 あとは置き手紙のひとつでも書いとけば先輩ならあとやっといてくれるだろう。たぶん「何で起こしてくれなかったのふーちゃん!」とか怒られそうだけどこのままじゃ俺がおかしくなる、……ってか早く部活行きたいんだ、そう、部活。 結局あと30分もできねーじゃん。30分なら行かないでここに居ればいいのに、と心のどこかで思っている自分がいて慌てて忘れた。ばかなこと考えてないでさっさと部活行け。

カウンターに置いてあるメモ用紙に要点だけ書いて、鍵の下に置いておいた。……さ、帰るか。じゃああとはよろしく頼みますよ先輩。窓から外を見ると空は茜色に染まっていた。 あ、これは本当に最後の挨拶だけの参加になる可能性の方が高いかも。キャプテンへの言い訳は「図書委員の仕事が長引いたからです。」で、いいとして。「(さ、行くか)」図書室のドアに手をかけたけど 、ひとつ、やることを忘れていたのを思い出して先輩が寝ている机に戻る。で、学ランの上着を脱いで先輩の肩にかけた。……お、ちない、…よな。それだけ確認して、そのまま図書室をあとにする。「(…俺のせいで風邪ひいたとか言われるのは勘弁だしな)」

この後、やっぱり部員達にはいつもは委員の日でも5時前には顔を出すのにどうしたどうしたと質問攻めを受けることになるわけだが、どうしたもなにも俺が遅れた理由と言えばひとつしかないわけで。


「委員の仕事が長引いただけですよ。」


うそつけ!と即否定されたのは言うまでもない。



そして世界が覚醒する

(ところで、君は何の夢を見ていたのだろう)



080415