いつの間にか降り始めていた雨に、2人揃って空を見上げた。…通り雨だろうか。

「…やっべ」

まるで雨が降るなんて聞いていないと愚痴をこぼすかのように小さく声を溢した宮地さんは、分かりやすく眉間に皺を寄せていた。どうやら彼は傘を持ち合わせていないらしい。どうすっかなと、困ったような、はたまたどこか苛立ったような声で独り言を漏らす彼の頭の中は、きっと時計の針で埋め尽くされているに違いない。中学生である私を気遣ってかいつも6時には家に着けるように送ってくれているから、雨宿りをしていたらとてもじゃないがその時間に間に合わないと焦っているのだろう、その証拠に彼は申し訳なさそうに謝ってきた。だから私は慌てて首を振る。今朝の天気予報の時点では降水確率は10%程度だったし、そもそも彼に非はないのだ。

「(…それに私、少しくらい遅くなっても大丈夫なんだけどな)」

もう少し、一緒にいたいんだけどな。そう心の声を伝えたくてそっと彼を見上げてみるけれど、宮地さんは目の前の雨を眺めるばかりで私の視線には気付かないようだ。目が合ったって口にする勇気はなかったけれど、それでもちょっと、さみしいかも。どこに吐き出すわけでもない小さな本音は胸の中心をぐるぐる回ってばかりいる。大事にしてくれているのか、一度手を握ってくれて以来触れていない彼の優しさに切なさを感じている。ガツガツしすぎているよりはいいのかもしれないけれど、なんだか自分に魅力がないように思えてならない。

「(…私が、子どもすぎるのが原因なのかな)」

精神的にも外見的にも。だからだろうか、今まで彼がすきになった人がどんな人だったのか気になってしまう。今まで彼女と呼ぶ人がいたのなら、どんなふうに笑って、どんなふうにその人に触れて、どんな声で名前を呼んでいたんだろう。そんなことばかりが気になって仕方がない。私はその人と同じ彼女、ちゃんとやれてますか。足りないところはないですか。比べられたくないのに気になってしまう。今は私が宮地さんの彼女のはずなのにどうしても自信が持てなくて。だけどこんなの、彼には口が裂けても言えるはずもない。だって、きっと子供っぽいと思われてしまうから。でもだからこそ、少しでも長く彼と一緒にいたかった。宮地さんと一緒に過ごせば過ごすほど、ちゃんと「彼女」になれる気がしたから。

「雨、止みそうにねえな」
「…そうですね」

きっと今の私達は、全く正反対のことを考えている。隣の彼は溜息をつきそうなほどなのに、私は必死に浮足立った心を押さえようと必死だ。彼には決して伝えてないけれど、実は私のこのトートバッグの中には、女物の小さな折り畳み傘がひとつ入っていたりする。朝たまたまテレビで見た星占いで、ラッキーアイテムとして紹介されていたものだった。…占いは良いことだけ信じるご都合主義だったはずなのにここ最近の私はそういったものに目が行きがちで、気が付けば部屋中を見渡してテレビでアドバイスされたものを探しているのだからおそろしい。でも確かに今傘は必要としている状況だから、占いのとおりだ。でも今鞄から傘を出してしまえば、きっと今日はもう宮地さんと一緒にいられない。でも存在を明かさなければ、きっと雨が降る限り一緒にいられる。

「(………………)」

隣で空を見上げる宮地さんをまたこっそり盗み見てから、また正面の降りしきる雨をぼんやりと眺める。そしてラッキーアイテムが眠る鞄の持ち手をぎゅっと握りしめて少し俯いた。

「(…宮地さん、ごめんなさい)」

きっと私、調子に乗ってしまっているんです。子どもだって笑われてもいいから、もう少し一緒にいたいんです。なんだったらお母さんに「いつまで遊んでるの」って怒られたっていいんです。…と言ったら間違いなく真面目な宮地さんは眉間に皺を寄せて「言い訳ねえだろ」と返してくるだろうから絶対に口が裂けても言えないけれど。

「…あ」

ふいに隣から、何かに気付いたような声が聞こえた。何気なく彼を見やると、何やら大通りをじっと見つめている。そのまま宮地さんの視線を追ってみると、なるほど見慣れた都営バスがバス停のひとつ手前の信号で止まっており、私がいつも乗っているバスと同じ行先を示している。なんてタイミングで姿を現したのだろう、ずるっと鞄が肩からずり落ちそうになってしまった。なんとなく嫌な予感がする。だってバス停はこの通りを右に行ってすぐだ、走れば間に合うかもしれない。そしてその予感は的中してしまったらしい。バスの姿を見逃さなかった宮地さんは慌てて声を掛けてきた。

「…走るぞ」
「え?あ、ちょっと…!」

動揺する私を尻目に有無を言わさず右手を掴んでくるものだから、一気に私の頭はパニック状態へと突入した。しかし心を落ち着かせる暇さえ与えずそのまま一気にスピードを上げて走り始めた宮地さんは、きっとバスのことで頭がいっぱいなのだろう。…必死になって足を動かしているのになかなか思うように走れないのは、宮地さんのように走り慣れていないからか、それとも触れられた手に動揺しているからなのか。でも。でも。

このまま触れていてほしいと思う反面、バスには乗り込みたくはない。だって、そうしたら宮地さんとバイバイしなくちゃいけない。上がる息を必死に抑えながら、後方の信号に捕まっているであろう都営バスの姿を思い浮かべた。…このまま行ったら、本当に乗れてしまうかもしれない。そんなことを考えたら急に冷静さを取り戻した頭は、気が付けば彼の名前を呼ぶように口に指令を出している。そして間髪入れずに次の台詞を口にした。

「ま、待って…!」

思いのほかどこか必死そうな響きを出していた私の声に、宮地さんは何事かと足を止め振り返る。いつ解かれるか分からないその左手を、この日初めて握り返した。それを緊張しているのか、急に立ち止まったせいなのかなんなのか、心拍数が上がって仕方がないのを誰かどうにかしてほしい。だけど今私が一番願うことは心臓を落ち着かせることではないから必死に口を動かそうとするものの、別に泣きたいわけではないのに喉の奥が締め付けられて、うまく言葉に出来そうにない。

「あ、あの。あのね。も、もうちょっと…その…」

俯いて、ぎゅっと目を瞑った。恥ずかしくて怖くて何が何だか分からないまま全身だけは熱くなり、口の中はすっかり乾ききってしまって声が掠れてしまっている。雨の中必死になってかき集めた冷たい空気を吐き出しながら、震える唇で小さく呟いた。

「い、一緒にいちゃ、だ、だめです、か」

全身から振り絞った小さな声の返答はやけに長く感じて、まるで拷問だ。必死に握りしめたこの右手を、どうか振り払わないでほしい。…彼はそんな私を呆れてしまっただろうか。でも子どもっぽいと思われてもなんでもいいから、少しでもあなたのそばにいたいのです。「あ、あの。30分!…や、10分でもいいですから…!」涙が滲み出そうな声が情けない。それくらい私は必死になっていた。彼女のあるべき姿とか大人になるために背伸びする方法もすごく知りたいけれど、それ以上に宮地さんのことが知りたいんだよ。私のことも知ってほしいんだよ。だからどうかこの手を握り返してほしい。


そんなことを願ったままついに黙り込んだ私に、宮地さんは何も言わないまま再び背を向けて手を引っ張ってはバス停へと向かってしまった。口にせずとも聞こえてきてしまった声無き答えに、涙腺はついに崩壊寸前だ。…やっぱり、わがままな子だって思われちゃったのかな。なんだこいつって思われちゃったかも。大きな背中が随分遠くにあるように思えてまた俯いていると、彼はまるで勘違いするなと言うかのように繋いだ手をぎゅっと握り返して言った。

「そういうことなら、余計急がなきゃだろ。…雨降ってるし」

多分、いや、確実に私の頭は展開について行っていない。同じ日本の、しかも全く同じ場所にいるのに時差が発生しているのかと思ってしまうほど完全に停止している。結局、私の意見はどう消化されたのだろうか。中途半端に「あの」とか「えっと」と明らかな疑問形を口から溢し落ち着きのないまま様子を伺う私は、間抜けな漫画なら間違いなくあちこちにクエスチョンマークが飛び交っているに違いない。そんな空気をなんとなく察したらしい宮地さんは、「だ、だから!」と少し強めの口調で切り出してきたものの、怒りはまったく滲ませていない声で言った。

「……そんなに降ってねえけど、このまま濡れてたら風邪引くし。とりあえずバス停で雨宿り、って。こと、で」

なんでこんなにたどたどしいんだろうか。言葉を塞いだときはすごい勢いだったのに。最後になるにつれて徐々にボリュームが下がっていったのは私の気のせいなのかな。先程までとはいかずとも早足には違いない彼を追いかけることに必死すぎて、よく聞こえなかっただけなのだろうか。でもとりあえず、今すぐ帰るということはしないという解釈でいいのかな。…だとしたら、思い切って言って良かった。それに、ちゃんと手は繋いでくれている。それをじっと見つめてこっそり笑った。

「(多分ちゃんと、彼氏彼女だ)」

さっきの緊張が嘘のようにほにゃっと緩んでしまう口元は、どう頑張っても戻せそうにない。雨の中歩いていると言うのに鼻歌でも歌いそうなほどご機嫌になってしまった私はひどく分かりやすいほどしあわせを感じている。と、いうのは流石に言い過ぎだろうか。

「それと」
「は、はい!」

このタイミングで話し掛けられるとは思ってもみなかった私は、どうも彼の背中にも目があるようにしか思えない。もしかして間抜けな顔見られたかもなんて、一度も振り返らなかった宮地さんに絶対分かるはずもないことに動揺して明らかに声を裏返らせ全身を凍らせていると、彼はまるで独り言のように小さな声で言った。

「さっきみたいなこと急に言うな。…照れる」

その声にふと見上げると、レモンティー色の髪に隠すことが出来なかった耳が照れている。彼の不器用な癖に気付いたからか、急にむず痒く全身を駆け巡る何かに耐えきれなくて私も慌てて俯いた。しかし間髪入れずに再び駆け出してしまった彼も、まるで自分の照れに耐えきれなくなったように思える。手を引っ張られて辿り着いた屋根の付いた小さなバス停は、バス待機用の白いベンチが並んでいたものの、どうやら風はさほどないお陰でさほど濡れてはいないようだった。大きく息を吐いてすっかり高鳴ってしまった心臓を落ち着かせてみる。そこへ信号に捕まっていた都営バスがやって来たものだから、タイミングでも伺っていたのかと疑わずにはいられない。

しかし私達の姿を見つけて開いた乗車口も、私達以外がバス停にいなかったこともあり、宮地さんが小さく手を左右に振るとあっさりと閉まって青信号のうちにすばやく発車してしまった。私が何も言わなかったら間違いなく乗ることになっていたであろうバスの後姿をぼんやりとした視線で見送っていると、「…で、良かったんだよな?」と確認するかのように話を振ってきた宮地さんに慌てて頷く。無駄に2回も首を縦に動かしてしまったのはご愛嬌ということにして頂きたい。

…どうしよう、急に緊張してきた。

一緒にいたいと伝えてみたは良いものの、別にこれと言って話したいことがあったわけじゃない。どうしよう、ほんとにもう少し一緒にいたかっただけなんだけど。

「(…それに)」

解くタイミングを見送ってしまったのか、私の右手は捕えられたままだった。こんなに長く手を繋ぐのは初めてで緊張しているのか、手の平に汗を掻いてしまう。どうしよう、汗っかきだと思われていなければいいんだけど。出来ることなら拭ってしまいたいのだけれど、なんとなくこちらから手を離すのも、ちょっと。それにもしかしたら嫌がっていると思われてしまうかもしれない。ああ、どうすれば。

とりあえずずっと立っているのもという流れから並んでベンチに腰掛けたものの、どうしたものか、にやついてしまう。下唇をほんの少し噛んで誤魔化しては無意味に視線を泳がせて何か話題を探してみるけれど、なかなか浮かんできてはくれないようだ。どうしようかと何気なく右隣に腰掛ける宮地さんを横目で盗み見ると、彼は繋がれた手をじっと見つめていた。どことなく嬉しそうに見えるのは私が勝手にフィルターを掛けてしまっているのだろうか。でも少なくとも私にはそんなふうに映ってしまったものだからぶわあっと全身が熱くなってしまう。うっかり右手に一瞬力を入れてしまうと、これまではなかったその反応に宮地さんは不思議に思ったのか何気なくこちらを見やり、そこで初めて私に見られていることに気付いたらしい。照れ臭くなったのか、急に耳を赤くして手を放してしまった。

「あっ」

突然失われた温もりに、思わず声が漏れてしまった。つい先程まで触れてくれていたはずの彼の左手から視線が外せない。なんだか淋しくなって俯いた。私が変に反応しなかったら、きっとまだ繋いでくれてたのに。…成り行きとはいえ、嬉しかったんだけどな。久しぶりに触れた手を、初めて自分から握り返せたのにな。あまりに私がしょぼくれているからか、宮地さんはバツが悪そうに空を見上げ「悪ぃ」と呟いた。

…また手を繋いだら、許してあげます。

本当はそう返したかったのに言葉を発することなく首を左右に振ることしか出来なかった私を、誰か小心者と罵ってほしい。雨は相変わらず降り続けているものの、勢いはさほど強くはないようだから、きっと通り雨のようにすぐ止み終りそうだ。そんなことをぼんやりと考えていたら急に体が冷えてきて、まるで自分の体に言い聞かせるようにくしゃみが出て来てしまった。

「す、すみません」

別に謝るようなことではないのだけれど、なんとなくそれっぽい空気を再構築しようとする雰囲気を見事に粉砕させてしまったような気がして口から零れてしまった。…可愛いくしゃみをする女の子になれたらよかったんだけどな。実際は、生まれ変わってもなれる自信はないけれど。…幻滅されてないといいな、なんて考えてそわそわしていると、右隣に腰掛けていた宮地さんはおもむろに大きなショルダーバッグを漁り始めた。高校時代を共に過ごしたという黒とオレンジのビビットカラーのそれは随分使い慣れたものらしい。手慣れた手つきで薄いブルーのタオルを出してきたかと思ったら、何も言わず優しく頭に掛けて来た。まるで柔軟剤のコマーシャルのワンシーンのような出来事にきょとんとしてしまう。

「えっと、み、みや、」
「…いーから」

おそらくこの「いいから」は「じっとしとけ」という意味合いなのだろうけれど、すっかり水分の含んだ髪を拭いてくれているその手はまるで暴れん坊の犬を扱うように乱暴だ。慌てて彼の名を呼んでみるも、宮地さんは聞く耳持たずと言わんばかりに手を止めようとしない。でも至近距離に慣れていない私には刺激が強すぎる。抗議しようと顔を上げた矢先彼の口元が目に入って慌てて俯いた。

「み、宮地さん、これくらい自分で出来ますから…!」
「いーから大人しくしてろ。この方が絶対早い」
「で、でも、宮地さんこそ拭かなきゃですよ…っ」
「俺はいい」
「どんな理屈なんですか…!」

こんなの長くは耐えられない恥ずかしいあと髪がボサボサになる!ひいい、と情けない声を上げる心の中の私は今にも爆発してしまいそうだった。でもタオル越しとはいえこんなに宮地さんに触って貰えて嬉しいのは確かだから、私は少し俯いて目を瞑ったまま受け入れるしかない。

「(べ、別に触ってもらえて嬉しいと言うのはその、決して変な意味ではなく…!)」

自分に言い聞かせ平常心を保とうとするものの、どうも緩んでしまう口元はどうしたものか。こんなの宮地さんに見つかったらそれこそ間抜け面と呆れられてしまうに違いない。このときばかりはタオルの存在に感謝するしかない。聞けば、どうやらこのタオルは長年の部活の癖で無意識に入れてしまったものらしい。引退した今もどうもその癖が抜けなくて、時々必要ないのに鞄に突っ込んでしまうらしかった。だから、別に洗ってないとかそういうことはないから心配すんなと、相変わらず荒っぽく髪を拭いてくる彼が言った。

「…風邪引くなよ」

反抗することを諦めたからか随分柔らかくなった彼の声に、頷いた。…そのタオル越しの手に、どこか柔らかい声に、胸の奥がどきどきしてる。顔が重く感じるのは急に上昇した熱のせいなのだろうか。俯きながら、ぎゅっとスカートの裾を握りしめてみる。恥ずかしくて仕方ないのに、いっそこの場から逃げたしたいくらい落ち着かないのに、それでもこの瞬間がずっと続けばいいのになんて考えてしまっている。愛と恋の明確な違いはまだむつかしくてよく分からないけれど、もしかしたら愛しいっていうのはこういうことをいうのかもしれない。

「…あ、あのね。宮地さん。…さっき」
「ん?」
「成り行きでも手を繋いでくれて、うれしかった、です」

しあわせに満ちた気分はほわほわして、現実と夢の世界を反復横跳びしているようにその境界を曖昧にさせる。だからだろうか、普段なら絶対に恥ずかしがって口にしないであろう台詞が無意識に零れてしまったのは。分かりやすいほどに手が止まった宮地さんのお陰で我に返ったものの、まるで自分だけ時が飛んだかのように状況が呑み込めない。

…私、今とても変なことを言ってしまったような気がする。

なんだっけ、何を言ったんだっけ。考えるより先にぽろっと零れてしまった、いわゆる無意識の言葉というやつだからいまいち思い出せない。でも我に返った瞬間は一瞬心臓が停止したような気分になってしまったから、間違いなく変なことを言ってしまったに違いない。もし、もし夢の記憶ではなければ、うっすらと浮かぶ心当たりが正しいのならば、手を繋いでくれて嬉しい、などと口走ってしまった気が。

「(し、しぬ!)」

頭からタオルがずり落ちそうなまま様子を伺うべく慌てて顔を上げようとすると、宮地さんはそうはさせんと言わんばかりに再びタオルを頭にゴシゴシと効果音が付きそうなほど頭に押し付けられてしまってそれも叶わない。小さく悲鳴を漏らすもその効果はまるで皆無だった。

「だから、そういうこと言うなっつってんの!」
「わっ!わっ!」

訳の分からない展開に、私は「ちょ、ちょっと!」と慌てた声で制止を呼びかけるしかない。しかし明らかに先程より強い力でタオルを押し付けてくるから、間違いなく彼は私の話を聞く気はない。

「この際だから言っとくけど!俺は出来た大人じゃねえんだよ!」
「宮地さんちょっと、お、落ち着い…!い、痛いですって…!」
「手繋ぐだけじゃ満足しねえけどこれ以上踏み込んだら終わるから手出さねえようにこちとら色々妄想するだけに留めて必死に自制掛けて触れないようにしてたのにお前は!」
「(えっ)」

なんだかすごい台詞が聞こえてきた気がして途端に体温を上昇させてしまった私は、いつの間にか抗議の声を上げることすら忘れてしまった。すっかり黙り込む私に、髪の水分を拭いていたタオルから手を放した彼の、「…黙るなよ」と心底気まずそうな声が降ってくる。

「す、すみません…」
「いや…うん…まあ、俺もだけど…」

どう反応をしたらいいのかお互い分からず黙り込む2人の間を埋めるように奏でられた雨音は、時間の間隔を麻痺させてしまうようで、無言の時間が随分短く感じてしまう。だからかどうも彼の反応が気になってこっそり顔を上げてみると、照れ臭さからか誤魔化すように無意味に道路を見つめる横顔を発見した。視線に気付かれていないことを良いことに、じっと彼を見つめてみる。

「(目、おっきいなあ)」

いいなあ、女の子みたい。でも、意志の強い真っ直ぐな目がすきだなあ。目が合うと恥ずかしくなってついつい目を逸らしてしまうけれど。…こっち見ないかな。でもやっぱり見ないでほしいな。矛盾しか感じないことを考えて、ふと彼の髪も濡れていることに気がついた。そういえば真っ先に私にタオルを掛けて来たから、宮地さんは拭くことが出来なかったんだ。

「(…………………)」

相変わらず私に掛かったままのタオルの裾を、左手でそっと触れてみる。宮地さんはタオルの真ん中のあたりを使ってきたからか、端は全くと言って良いほど濡れてはいなかった。

「…あの日も言ったけど、俺はお前を大事にしたいんだよ」

だから、知らねえぞ。そう小さく付け足した宮地さんは、膝の上にいた私の右手を拾い上げぎこちなく握りしめる。分かりやすく姿勢を正し反応を示してしまう私に宮地さんは小さく笑うけれど、彼の耳も分かりやすく照れていた。そんな可愛いところを発見してしまったものだから思わず緩んでしまった口元に、彼も気付いたらしい。

「…何笑ってんだ」

どこか腑に落ちないと言わんばかりの声に首を横に振って誤魔化すけれど、どうも納得しないらしい彼は更に追求しようとする。どうやら宮地さんは少し子供じみたところがあるらしい。でも本当に、なんでもないんです。ただ私とは明らかに違う骨ばった大きな手に包まれて、しあわせ感じただけなんです。だけど私は欲張りだから、きっともっとしあわせ求めてしまう。だめかな。嫌われちゃうかな。わがままな子はお嫌いですか?いつの間にか随分熱くなった顔のままぎゅっと手を握り返したら、どこからか勇気をもらった気がした。

本当はずっともっと手を繋ぎたかったし頭も撫でられてみたいし、「」じゃなくて「」って名前で呼ばれたい。もっといろんな所に行っていろんな話をして、いろんな宮地さんを知りたいと思ってる。真面目な顔も、実は意外と甘党なところも、すぐ赤くなる耳も、照れるとすぐ目を逸らす不器用な癖も、もっと見せてほしいから、もっともっと近い距離にいたいのです。限られた時間や雨を口実に、いつもより少し近い距離に入りたいのです。だめかな。近くにいればいるほど、触れれば触れるほど、どんどん欲張りになってしまう私を、どうか嫌いにならないでほしい。

「……み、宮地、さん」

降りしきる雨の中小さく呟いた声と共に、肩に掛かったままタオルの裾を彼の濡れた頬に伸ばした。私の姿を捕えた彼の瞳は驚いたように大きく見開く。だけどすっかり熱くなってしまった頬には、どうか気付かないで。



雨の支配領域




20140113