それは奇妙な贈り物だった。
「はい!」
そう言って、やたら上機嫌な私の幼馴染が嬉しそうに紙袋を差し出してきたものだから、私の思考回路は停止してしまった。受け取る前にじっとその袋を凝視してみると、そこには彼がすきなインテリア雑貨を取り扱っているショップ名が印字されている。…フランフランなんて私には高くてなかなか手が出せないのに、ここは流石モデル様と言うべきなのだろうか。そういえば彼がいつも使っているマグカップもここの店のものだったなとぼんやりと思い出した。ふと視線を上げて涼くんを見つめてみると、彼は相変わらずにこやかに笑みを散らしている。
「(…涼くん、本気だったんだ…)」
この小さな袋の中身がなんなのか言われなくても事態を全て把握した私は頭の端でそんなことを考えながら、さてこれに一体何を詰め込めばと必死になって頭を回転させていた。そう、これは私宛のプレゼントであってそうではなく、涼くんの私物を一時的に私が預かって返すと言ったほうが表現的には正しい。…まさか私の気まぐれな発言が、こんなことに発展してしまうとは夢にも思わなかった。そして彼から先手を打つようにそれを手渡される日が来ようとは。しかも、わざわざ家を訪ねて。
事の発端である2日前のやりとりがもはや懐かしい。確かあれは、学校からの下校途中。最寄駅の改札を出たところで偶然鉢合わせたときのことだった。
セーラー服、いいっスね!
妙に目を輝かせた私の幼馴染は、開口一番にそう言った。この春から毎日袖を通し始めた真新しいこの制服のデザインがすきだと言っているのか、それとも似合っていると褒められているのかちっとも分からないけれど、とりあえず肯定されていることに違いないと解釈し、ぎこちなく「ありがとう」と呟いた。涼くんは相変わらず明るい顔のまま頷く。隣を歩く彼はいつになく機嫌が良い。
15回目の春を迎え別々の高校に進学した私達は当然身に纏う制服も異なってくるわけで、涼くんが着用している海常高校のブレザーとは異なった色合いのセーラー服に身を包む私を、涼くんはなぜか楽しそうに眺めていた。すると突然隣から「あっ!」と声が漏れて来たので何か途中で買い物するつもりだった用事でも思い出したのだろうかと彼を見上げると、涼くんは慌てたように私の顔を見て言った。
「別に、変な意味じゃないっスよ!」
変な意味、とは。背の高い涼くんを見上げながら、「は、はあ…」と力なく頷いてみるけれど、きっと今の私の周りには疑問符が大量に浮かべられているに違いない。妙に力説する幼馴染に圧倒されてしまう。…果たして今の会話のどこがそんなに引っかかってしまったのか。涼くんは疑うような目でじっと見つめていると思ったら、「ねっ!」と念を押してくる。いまいち展開についていけないながらも、ここは詳細を聞いちゃいけないような気がして再び首を縦に振ると、それに満足したらしい彼は急にスイッチを切り替えたように話題を変えた。
「そういえば高校、どうっスか?馴染めそう?友達できた?」
まるで久しぶりに会った親戚みたいな質問だ。ぼんやりとそんな印象を抱きながら頷いてみる。ついでに掻い摘んで新しい学校やクラスメイトの話を話してみると、自分から聞いてきたというのに涼くんはどこか不機嫌そうに口を尖らせた。
「えー。涼くんがいなくて淋しいって言ってくれないんスか」
「えっ!?そ、そん…っ!」
涼くんてばなんてことを!予想外の言葉に急に体温が上昇した私は相当慌ててしまっていたらしく、うまく舌が回らず少しどもって途中でつっかえてしまった。…は、恥ずかしい。こんなの動揺してますと言っているようなものだ。…涼くんは時々、私をからかうようにこんな冗談を言ってのける。言われるこっちの身にもなってほしい。火照った頬が随分重く思えて、誤魔化すように俯いた。
「…そ、そんなこと、言わないよ」
そういえば私達は小さい頃からずっと同じマンションに住んでいるから、ついこの間、つまり中学校までずっと同じ学校に通っていた。帝光は校舎が広くて顔を合わせることなんて滅多になかったけれど、それでも何かと目立つ彼の噂は毎日のように耳に入って来ていたから、今みたいに完全に遮断された状態と言うのは初めてかもしれない。そういえば彼が海常から推薦を貰えることが決まった日、「も海常にしなよ」と勧めてくれていたけれど、あれは本心だったのかな。やっぱり冗談だったのかな。…違う学校になって淋しいと、少しでも彼も思っていてくれたりするのかな。いつも冗談交じりの口調で全く心を見透かすことが出来なかったけれど。…今だってそうだ。
「淋しくなったら、いつでも彼女になっていいんスよ。俺はいつでも大歓迎だから」
そんなことを相変わらずの口調でさらりと言ってのけるのは毎度のことだった。でもそれを、なんでもないようなフリをしながら流すのはとても難しい。「またそんなこと言ってる」と口にはしてみたものの、ちゃんと呆れ口調で返せたか不安になる。私にとって彼の冗談は冗談ではない。少しでも気を抜けばいつだって本気と捉えてしまう単純な恋心から、この手のからかいは内心とても困っていた。冗談じゃないのにと笑う彼にもやもやした感情が広がってしまう。…人の気も知らないで。もし私が涼くんの彼女になりたいと打ち明けたなら、きっと困った顔をしてしまうくせに。でもそんな冗談、私以外の子にはぜったい言わないでね。言っちゃやだからね。そんなこと思うだけで口には絶対出来ない臆病な私は、ただじっと彼を見つめることしか出来ない。
「…?なに?」
私の視線に気がついた涼くんは、不思議そうに首を傾げた。なんでもないと笑う私はどうやらうまく誤魔化せたらしい。深く追求はしてこない涼くんに安堵しつつ、ちょっとさみしかった。…少しでも聞いてくれたら、言えたかもしれないのに。いや、きっとそうなっていたとしても、恥ずかしがって言えなかっただろうな。どうしたら積極性が身に付くのかと考え込みながら赤信号の交差点へ辿り着く。行き交う自動車の姿もろくにないけれど迷うことなく足を止めたのは、きっともうすぐ家に着いてしまうからだ。だって今の私には、たった30秒ですら惜しい。だけど、少しでも一緒にいたいんだよなんてありがちな台詞は口が裂けても言えなかった。
「…あ、そうだ。ねえねえ。時に相談なんスけど」
ぼんやりと信号を見つめていた彼が何かを思い出したように唐突に声を掛けて来た。思わず身構える。だって涼くんが「ねえねえ」と甘えた口調で言ってくる相談事は、経験上ろくなものがない。明らかに反応を示してしまった私に気付いた彼は「そんな固くならなくても良いっスよー」と笑い飛ばすものの、どうも信用することは出来ない。だって、涼くんは時々私の予想を遥かに上回ることを平然と言ってのける。…今度は、一体何が。どきどきしながら待っていると、彼は相変わらず赤いままの信号機を確認してから私の目を見て言った。
「実は再来週に、練習試合があるんスよ。…あ、勿論バスケの」
…あれっ、本当に普通の話だった。思わず拍子抜けしてしまいそうになる。いや、いいことなのだけれど。話を聞けば、どうやら彼は入学して間もないとはいえもうレギュラー入りを果たしているらしく、ユニフォームも貰っているらしかった。そういえば涼くんは昔から運動神経が抜群だったっけ。中学のときはキセキの世代と呼ばれてとても有名だったとはいえ、1年生の春から主力メンバーに入るなんてそうそうあることじゃない。これには、疑っててごめんなさいと心の中で謝るしかない。…それに。じっと涼くんを見つめてみる。何気なく彼が口にした「勿論」という言葉がなんだか嬉しくて、ふいに頬が緩んだ。夢中になれるものがないと嘆いていたあの頃が嘘みたいだ。
「そうなんだ。頑張ってね」
「うん。…ね、応援してくれるっスか?」
「え?う、うん…」
なんだろう、この確認は。不審に思いつつ、しかし応援しない理由もないので頷くと、涼くんはぱあっと明るい花を撒き散らして「じゃあじゃあ」と言って更に話を繋げようとする。まるで尻尾を振って主人に甘える犬みたいだなとぼんやりと頭の隅で考えてみるものの、しかし涼くんはそんなに従順ではなかったことを思い出す。実は犬と言うより自由気ままな猫タイプな彼は、時より思いつきを振ってくることが多々あり、そしてやはり今回もそうだった。
「お弁当作ってくれるっスか?」
おべんとう?
制服を身に纏う私達には随分聞き慣れた単語ではあるものの、それが出てきたタイミングがおかしい。今私達は練習試合が行われるということについて話していたはずなのに、どうしてそこへお弁当という単語が捻じ込まれてきたのだろう。処理が間に合わない脳がタイムロスを生じている間、涼くんはその隙を逃さないと言わんばかりに熱弁した。
「いつも言ってるじゃないスか。外食で片付けすぎとか、栄養偏ってるとか」
「え?ああ…。う、うん…」
確かにそれは言い覚えのある言葉達ばかりだ。だって涼くんは、いつも食事を適当に済ませてしまいすぎる。というのも、おじさんもおばさんもフルタイム勤めの共働きで忙しいのに加え、2人共料理はさほど得意ではない。だから基本的に涼くんは自分で作るか買うかの2択となってしまうのだけれど、背が高い彼にとって、標準サイズのマンションのキッチンは少し使いづらい…らしい。そういえば包丁を使おうにも背を丸めていたら、ふと気を抜いてしまったらしく頭上の収納スペースに頭をぶつけてしまった姿を何度か目撃したことがある。そもそも部活にモデル業と忙しい涼くんに、帰宅してから料理をという余裕はないらしい。手軽にコンビニでお惣菜を買ってくるのが常だった。
「だからお弁当!作って!」
ね!と。そんな満面の笑みで言われても、どうしよう、彼の言う「だから」の意味が分からない。なぜそこで順接が使われるのか。そして、なぜそれを私に言うのか。反応に困っていると、涼くんはやっぱりその隙も逃さず熱く語り始める。そろそろ信号も青に変わる頃だろうに、そんなことお構いなしと言わんばかりだった。
「弁当作ってくれたら、俺超頑張れるから!バンバンダンク決めちゃうから!ね!」
そう言って、なんならおにぎりだけでもいいからとか、いっそおかずなしで白米だけ詰めてもいいからと宣言する涼くんに、それなら自分で作ればいいんじゃないだろうかと心の住人が呟いたけれど、こんなに必死そうな彼を目の前にしてはそんなこと言えるはずもない。口を挟む暇なくひたすら頼み込む幼馴染に圧倒されながら、ふと思った。
「(……もしかして、誰かが作ったお弁当が食べたいのかな)」
幼馴染をじっと見つめながらそんなことを考えてみる。そういえば涼くんがおばさんのお弁当を最後に食べていたのはいつだったっけ。記憶を遡ってみたけれど、どうもうやむやで鮮明な映像が再生されない脳のビデオレコーダーは、「記憶にありません」と主張していた。…おふくろの味っていうのが、懐かしくなっちゃったのかな。きっとファンの子に頼めば喜んで作ってくれるだろうにわざわざ私に言ってきたということは、身内の誰かが作ったお弁当がほしいのかな。少し俯いて考え込んだのち、頷いた。
「分かった!じゃあお母さんに頼んでおいてあげるね」
「え?おばさん?……ちょ、違う!」
急に慌てたように否定する涼くんにきょとんとしていると、彼は「そうじゃなくて」と先程より格段にボリュームを上げた声を出す。…一体、何が違うんだろう。ハテナマークをあちこちに散らしていると信号の青色が目に入って停止していた足を一歩踏み出して渡り始める。そしてワンテンポ遅れて涼くんが少し慌てたように隣に並んだところで、彼は「なんで分からないの」と言わんばかりに口を開いたものだから、私はきょとんとするしかなかった。
「なんで上げて下げるんスか!」
「えっ?あ、上げ…下げ…?」
「違うっしょ、俺はおばさんじゃなくて、の作った弁当が欲しいって言ってるんスよ!なんで分かんないんスか!」
「えっ」
予想外の言葉に耳を疑っていると、涼くんはむしゃくしゃしているのか「そんなボケ挟まなくていいっスから!」と言い放ち、ちょうど横断歩道を渡りきったところで正面から両肩を掴んできた。一瞬にして体温が上昇して反射的に顔を上げてしまう私を覗き込むように大きな瞳を近付けてくる。
「えっ、えっ」
色々展開についていけなくて、馬鹿みたいにそんな声を繰り返し漏らしてしまう。頭の中は色々な感情がぐるぐる駆け巡ってぐちゃぐちゃになっていた。例えばお母さんにお弁当頼んでおいてっていう意味じゃなくて私に言ってたのかとか、だとしたらちょっと嬉しいとか、でも舌の肥えた涼くんの口に合う料理を作る自信なんてないから出来ることなら遠慮したいけど作ってみたいとか、ちょっと顔が近すぎやしないか、とか。更に正面から肩を抱く涼くんは急に真面目な顔をしたものだから、落ち着いていたはずの頬がまた熱くなってしまう。
「中学のときも、なんだかんだで作ってくれなかったじゃないっスか」
「え?あ、あれ、本気だったの」
「俺はに嘘は言わないっス。いつも言ってるっしょ」
心外だと言わんばかりに少し眉間に皺を寄せた涼くんに、なんだか気まずく悪くなって目を逸らしてしまった。150センチ台の私に目線を合わせて前に屈んでいるせいできっと体勢的には楽ではないはずなのに、決して手をどけようとはしない。あとそこの角を曲がれば家に着くと言うのに、私達はどうして立ち止まったままこんなことになっているのだろう。信号も渡ったばかりだというのに。
「あ、あの、その」
「──」
「は、はい!」
何を言えば良いのか分からなくなってしまってついつい目が泳いでしまっていた私に、涼くんは妙に真面目な声で名前を呼んできたものだから、条件反射で顔を上げてしまった。ふいにぶつかる視線に思わず右肩に掛けていたスクールバッグの持ち手をぎゅっと握りしめる。そんな私に目を逸らさずじっと見つめる涼くんは、どこか寂しそうに見えた。
「ね…?」
黄瀬涼太という人物は、自分をどう見せればいいのか知り尽くしている人だと私は思っている。だから、こういうときはこんなふうに言えばいいだとか、そういうことをちゃんと分かっている人なのだ。幼馴染の私が言うのもなんだけど、こんな15歳嫌だ。可愛くないうんぬんより色々な意味で恐ろしい。とはいえ子犬のようにしょぼくれているとかそういう外見的な要素は私には全く効果を成さないのだけれど、すきな人から頼まれては断るに断りきれないから結果的には同じなのかもしれない。涼くんを甘やかしちゃいけない。そう分かっているはずなのに、気が付けば彼の思い通りに事が進んでしまうから私は全く学習しない。
「──わ、分かった!分かったから…!」
そしてそれは今回も例外ではなかった。耐えきれなくなって目を逸らしながらそう答えた瞬間、またやっちゃったと心底後悔したものの、時すでに遅しと言うやつだ。お互いの間に壁を作るように両手を顔の前にやっては必死に作ると答えてみたものの、涼くんは弾んだ声で「えっ、ほんと?」と聞き返してくるものだから、慌てて首を縦に振る。そこでようやく納得したらしい涼くんは「絶対の絶対っスよ!約束!」と念を押してくるものだから、私は馬鹿の一つ覚えのようにこくこくと頷いた。はにかんだ笑顔を見せた彼はそこでようやく両肩を解放しながら、じゃあお弁当箱買って来なきゃと楽しそうに言っていた──のだけれど。
「(本当に買ってくるとは思わなかった。しかもこんなに早く)」
受け取った紙袋の中を覗いてみると、なるほどシンプルなデザインの黒いお弁当箱が予想通り存在した。どうやら2段重ねのタイプらしい。…無論、彼の言うように本当に2つとも白米だけを詰め込むわけにはいかない。ああそうだ、練習試合のときに食べるとなれば、すぐエネルギーになるものを入れたほうがいいのかもしれない。ええと、お肉類でいいのかな。となると、ハンバーグとか…?…どうしよう、何やらメニュー決めだけでも大変な作業になりそうだ。突然プレッシャーが重くのしかかってきて、思わず考え込んでしまった。それを見かねたのか何かを察したのか、まるで彼は待ってましたと言わんばかりに口を開いた。
「なんなら愛妻弁当っぽく、ご飯にラブとかすきって書いてもいいんスよ!」
「し、しません!」
「えー」
すかさず否定をした私に、涼くんは不満げな声を上げる。彼なりのジョークなのかもしれないけれど、内容が内容なだけに私は動揺することしか出来なかった。涼くんが帰ったら、すぐお弁当のおかずを検索掛けよう。あと本屋にも行こう。そう心に誓い、紙袋を胸の前でぎゅっと抱え込んだ。
「あ、あの。涼くんは…」
聞いていいかな。聞いていいかな。お世辞でも社交礼儀でもなんでもいいから答えてほしい。今までずっと気になってたこと。恥ずかしくて、きっとまたうまく言えないかもしれないけれど。だってどうしても俯いてしまう。聞いていいかな。聞いていいかな。呆れられちゃうかな。随分と騒がしい心臓に手を焼きながら、意を決して口を開いた。
「私がお弁当作ったら、嬉しい…?」
一瞬開いた間が怖くて自信なさげに俯いた。やっぱり調子に乗りすぎちゃったのかな。なんでもないって冗談交じりに誤魔化した方が良いのかな。しょぼくれそうになっていると突然両肩を掴まれ、驚いて顔を上げた。
「めっちゃ嬉しいっス!」
やけに大きなトーンで言った涼くんがどこか必死そうに映ってしまったのは、何かのフィルターが作動してしまったからなのだろうか。格好つけていない自然体の彼が垣間見れた気がして、間抜けに開いていた口元がみるみるうちに緩んでしまった。…じゃあ、がんばる。そう静かに紡いだ言葉はきっと自己満足で、自分に言い聞かせただけのものだった。けれどそれを聞いた彼がどこか幼いはにかんだ笑顔を見せたから、きっと10分後の私は本屋に駆け込んで、大量に料理本を買い込んでしまうのでしょう。例え彼の気まぐれの提案でも私の自己満足でも、なんでもいいから喜んでほしくて、私。
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