目の前に向かい合って座っている彼は、なんでこんなに楽しそうに微笑んでいるのだろうか。まるで面白いことでも常時起こっているかのように口元に弧を描きにこにことしている私の幼馴染は、テーブルに頬杖をついてひたすら私の様子を観察するように見つめては満足そうに微笑んでいる。そんなに観察されちゃ変に緊張して手元が狂ってしまうというのに。ただでさえ苦手なパスタの巻き付けが更に手間取って、フォークを何度くるくる回転させても、目の前の彼のように綺麗に絡み取ることが出来ない。せめて見るなら見るで、相変わらず下手だねだとかもうなんでも良いから何か言ってほしいのに。
彼は自分が注文したパスタを(私とは大違いな綺麗で手慣れた手つきで)ぺろりとたいあげ暇を持て余しているのか、かれこれ五分ほど私の観察を続けている。その整った顔がどれだけ女子に効力のあるものなのか本人自身知っているはずなのに。遂に痺れを切らせた私は遠慮しがちに口を開き、彼に声を掛けた。
「あの…涼くん。な、なに…?」
もしかして、食べるのが遅いと言いたいのだろうか。なるほど確かに言われてみれば、鉄板でできた小さなフライパンのような器に盛られたパスタがテーブルに運ばれてきたときはあんなに熱そうにしていたというのに今ではそれが嘘のように冷えきっていて、湯気のひとつも立っていない。最初はカルボナーラスープがぐつぐつ煮たっていたくらいなのにおかしい。しかしそのお陰で、私のセレクトしたカルボナーラは最初こそ美味しかったけれど濃厚すぎたのかなんなのか、その熱によって水分が蒸発し、あっという間にパサパサになってしまった。フォークに巻き付きにくいったらない。ついでに濃厚なクリーム味ということを手伝って、私の食事スピードはお世辞にも早いとは言えなかった。五分かそこらでさらっと完食してしまった涼くんとのこの差である。
「いや、なんでもないっスよ」
そう言ってまた楽しそうに微笑まれても、なんでもないのにひたすらガン見される私の立場を考えてほしい。パスタはすきだけど綺麗に食べることの出来ない私には拷問でしかないのだから。
「で、パスタ。うまいっスか?」
彼は高校生になってもマイペースなのに変わりはないらしい。まるで自分の手料理を食されているかのように唐突に味の感想を尋ねてきた涼くんの姿に、そういえば今日のこのお店は彼が決めてくれたんだったと思い出す。テーブルには赤と白のチェックの可愛らしいクロスが敷かれ、壁にはケーキの写真が額に入れられて展示されているし、棚にはガラス瓶にカラフルな飴のようなものが入れられ飾られている。そういえば店前にはショートケーキやら林檎ならの形をした小さな椅子があったし、全体的に可愛らしい雰囲気を漂わせていると言うのに、彼は迷わずこの店に案内していた気がする。
店内を見渡せば月曜ということもあってかお客はまばらだけれど、基本的に女の人ばっかりだ。抵抗とかなかったのかな、なんて思いながら「よくこんな可愛いお店知ってたね、誰かと来たことあるの…?」と若干皮肉めいた声を掛けてはなんだか性格が悪い子のような気がして俯いた。涼くんは女の子にとても人気があるし、モデルしてるし、きっと彼女か何かと一緒に来たとかなんだろうな。だったらやだな、なんて考えながらフォークを回す。相変わらずパスタは綺麗に巻き付いてくれないどころか、時間が経ってパサついてしまったカルボナーラは麺と麺がまとまってなかなか離れてはくれなかった。
「あ、気に入ったっスか?よかったー」
一方の幼馴染はまた嬉しそうに目を輝かせ、安堵したように笑う。どうやら自分がセレクトした店を「可愛い」と称されたことを喜んでいるようだった。…私の嫉妬、見事にスルーされた。いや、私達は別に恋人とかそういうのじゃないから、ピンポイントに拾われても困るのだけれど。なんだか微妙な心境になっている中、幼馴染は相変わらず涼しい顔をしながら口を開いた。
「モデル仲間に聞いて、気になってたんスよ。きっとはこう店すきだと思って。ずっと連れて来たいなーって思ってたんス」
またそういうことをなんでもない顔でさらっと言っちゃうんだ。他の子にもそんなふうに優しくするのかな、なんて考えたらうまく表情を作れなくなって、私は急に引きつった顔をしているに違いない。そんな心情を悟られないようわざと怪訝そうに眉間に皺を寄せ口を開いた。「…涼くんちゃらい」。
「えっ!なんでっスか!」
訳が分からないと言わんばかりに慌てて抗議してくる彼はどこか必死そうだ。「そんなこと言ったら流石の俺泣くっスよ!なんで!?なんで!?今のどこら辺が!?」と分かりやすくわたわたとしている。涼くんはモデルをしているから、イメージを大事にしているのかもしれない。(そんなものを気にするようには思えないけれど、この慌てた反応から見るにきっとそうなんだろう)やたら食いついてくる彼に、私はどう反応していいのか分からず、「…だって、その…」と語尾を濁す。まさかここまで引っ張られるとは思わなかった。口から出た誤魔化しなのに。…なんだか言いにくくて視線を右横に逸らす。すると真横の壁に掛けられていた大きな鏡の中に映る幼馴染の姿を発見したから慌てて俯いて手元のパスタを見やった。
「なんか、その…今の、女の子の扱い慣れてる感じする、から…」
実際「感じ」ではなく彼は十二分に女子の扱いに慣れているし、間違いなく「事実」なのだけれど。…でもだからこそ他の子にも似たようなことを言ったりするのかなって考えて、勝手に不安になって、勝手に嫉妬しちゃうんだよ。でもそんなこと知られたらきっと自分勝手な勘違い女だって思われちゃうから絶対に言わない。愛の告白なんてする度胸、私には持ち合わせていなかった。だからこんなふうに一緒にいれるポジションを、少しでも長くキープしておきたいんだよ。…なんてわがままなのは百も承知だけれど。…それにしても。パスタをじっと見ていたら…なんだか余計に…
「(お腹いっぱいになってきちゃった…)」
どうしよう、まだパスタ3分の1くらいあるというのに。確かに標準サイズとはいえもともと麺の量は多い方だった(ように思う)のだけれど、せっかく連れてきてくれた手前、残すのも忍びない。…カルボナーラなんて頼むんじゃなかった。今結構胃に来てる。私まだ高校一年生なのに、なんて考えながら何も言わず冷めきったパスタをじっと凝視する。もしかして選択を間違えたのかもしれない。「あつあつパスタ」を売りにしているらしいお店だからか鉄板のお皿に盛られていたせいでクリームが蒸発してパサついたのと、ちんたらと食べていたせいですっかり冷えてしまったのとダブルパンチに加え、今のこの胃袋状態。…食べられない。あ、そういえば食後にケーキ頼んだんだった。それは食べたい。でもその前にパスタだ。…どうしよう。
「あ。パスタ、もういいんスか?ごちそうさま?」
そんな優しい声が向かいの席から聞こえてふと顔をあげると、そこにはやっぱり嬉しそうに頬を綻ばせている幼馴染が頬杖をついたまま私を見つめていた。どうやら彼には全てお見通しらしい。正直に告白しようか少し迷って、結局こくんと素直に頷いた。涼くんに嘘をついてもすぐ見破られるのが目に見えていたから。それを見た彼は「そか」と小さな相槌のようなものを打った。
「じゃ、俺もーらい」
そう弾んだ声で言ったかと思ったら彼はパスタを自分のほうに移動させ、食べ終わった鉄板皿と位置を交換してしまった。お陰で私の目の前には、彼によって綺麗に完食された空の皿が置かれている。どうやら「貰う」と言ったその言葉どおり、涼くんがそのまま私のカルボナーラを受け継いで食べるつもりらしい。確かに彼は毎日バスケをして消費が激しいから、こんなに細いしモデルもやっているというのに予想外の大食漢だけれど。動揺のあまり「え、あのでも」とよく分からない声を漏らしていると、涼くんは「実は俺1個じゃ足りなかったんスよねー」とおちゃらけて笑いながらフォークを手に取った。慌てて声を掛ける。
「でもほら、もうパスタ冷めちゃって、あの、もうおいしくないと思うし」
「いいっスよ。俺猫舌だし。ちょうどいっス」
そういう問題じゃないんじゃないかな。猫だとか犬だとかそういう次元の冷めではないと思うし、やっぱりあったかいものはあったかいうちに食べたほうがおいしい。いや、私がこんなにも慌てているのはそもそもそこじゃなくて、彼がさも当たり前と言わんばかりに私の使ったフォークをそのまま使おうとしているところだよ!
「あの、その、りょ、涼くん…!」
フォークこっち!あなたのフォークはこっち!お皿交換してそのまんま置き去りにしてたから、あなたのフォークはそれじゃなくてこれ!これなの!慌てて涼くんがさっきまで使っていたフォークを手に取って渡そうとしたというのに、彼はそんなの知らないと言わんばかりに器用にパスタを取って口に運んでしまった。勿論私のフォークを使って。途端にガチンと凍りついてしまった私を尻目に、彼は相変わらずマイペースに冷めきったカルボナーラを頬張り続けている。時より「これも結構うまいっスねー」なんて挟みながら。しかし私の耳には聞こえているようで聞こえていない。体温が一気に上昇している私とは天と地の差だ。どんな顔をしたらいいのか分からなくなる私の心臓は、和太鼓のように大きな鼓動を立てていた。私もう死ぬ。死んでしまう。
…ど、どど、どうしよう。間接キスしちゃった。
涼くんとは長い付き合いだし、それこそ小さい頃は同じコップで飲み物を飲んだこともあるけれど、でも今と昔じゃ大違いだ。何もかもが違う。だからどうにも照れ臭くて、恥ずかしくて、私は彼をまともに直視出来なくなってしまった。なぜだか背中が熱い。…どうしよう。でも変に過剰反応するのも…。どうしたらいいのか分からなくなって次第にひょろひょろと下降していく視線は、テーブルに貼られていたケーキの種類紹介の記事をじっと眺めるしかない。涼くんはなんでもないと言わんばかりの顔だったから、こんなにも意識しているのは私だけだというのに。それがどうしようもなく恥ずかしくて、悲しい。
「(りょ、涼くんのばかあ…っ!)」
そう向かいに座る幼馴染に心の内で叫んでみるけれど、当然ながらそんな電波彼に伝わるはずがない。背を丸め、テーブル下でぎゅううっと自分の手を握りしめてみる。だけど顔はどんどん熱くなっていく一方で、ちっとも冷めてはくれない。慌ててコップに手を掛けて水を流し込んだ。そのままじっとコップを両手で包み込みながらおそるおそる涼くんを盗み見ると彼はまたじっと私を観察していたようで、嬉しそうに微笑んでいた。びっくりして慌てて目を逸らしてしまう私に、涼くんはやっぱり楽しそうに笑う。…なんだか恥ずかしい。もしかして慌ててる一部始終見られてたのかな、なんて考えたら爆発しそうになった。もしそうだったらいっそ逃げ出したい。
「てか今日、どうもっス」
「え?」
何が?いまいち文脈の意味を正確に汲み取ることが出来ずにきょとんとしていると、涼くんはそれに気付いて「こうして放課後の貴重な時間俺に割いて付き合ってくれて。月曜で、しかも急だったのに。だから嬉しかったっス、ってこと」とにこやかな笑顔で綴ってきたものだから、私はきゅうっと胸を鷲掴みにされるような感覚になる。何も言えなくなって俯いたまま、ふるふると首を振った。顔が熱い。
明日の放課後、飯食いに行かないっスか!
そう可愛らしい絵文字付きでメールをくれたのは確か昨日の午後7時くらいだったような気がする。受信に気付いたときはチェンメかなと軽い気持ちで思っていたのに、メールを確認したらまさかの涼くんからのお誘いだったものだから本気で度肝を抜かれてしまい、そのままにやついたままベッドの上でのた打ち回っていたのを今でも覚えている。つまり私はそれくらい嬉しくて、喜んで、だからむしろ今日は声を掛けてくれてありがとうというのはこちらのほうだと言うのに。…どうしよう、思い出したらまたにやつきそうになってしまう。慌てて頬を引き締めた。
「あの、でも……よ、良かったの…?」
「何が?」
自信なさげな小さな声だったのにも関わらず、涼くんはきちんと拾い上げてくれたらしい。カルボナーラを頬張りながら不思議そうに首を傾げている。私はごにょごにょと口籠りながら呟いた。
「その…だって今日涼くんの誕生日なのに、私と過ごしちゃってよかったのかな、とか、色々…」
「えっ!」
大袈裟なまでに反応を見せた涼くんにびくりと肩を震わせた私より、彼は私の発言の方が心底驚いたらしい。「覚えててくれてたんスか!」と珍しく大きな声を出した涼くんに、他のお客さんからの視線が集中する。入口から一番奥の席とはいえ、ただでさえ彼の外見から目を引かれる存在だっていうのに…!
「りょ、涼くん…っ!静かにしなきゃだめだよ…!」
あわあわとして動揺丸出しの私に注意され初めて我に返ったらしい彼は、そこで周りのお客さんからの注目にようやく気付き、彼女達に向かって申し訳なさそうな顔をして小さく会釈した。一部女子特有の黄色い歓声が聞こえてきたものだから、まるで漫画みたいみたいだなんて捻くれたことを考えつつ、もやもやしている心の内がどうしたら晴れるんだろうと考えた。告白する勇気もないくせに何やってるんだろう、私。だけどそんな私に気付かない涼くんは「やっちゃったっスねー」と小さく笑う。まるで悪戯が親にばれた子供のようだった。ついでに涼くんに熱い視線を送っていた店員さんを見つけ、「すみません、食後のケーキお願いしてもいいっスか」とちゃっかり依頼していた。涼くんはひたすらマイペースな人だ。
「…で、話を戻すと。まあ確かに俺女の子にはモテるし、正直そういうお誘いもいっぱい貰ってたんスけど」
「…………………」
なんかもう、反応が出来ない。しかも事実って認めちゃった。いやもはや涼くんレベルまで行くと逆に肯定しないで謙遜するほうがあれなんだけど。…でもやっぱり色々、女の子から言われてたんだ。…自分で聞いておいてなんだけど、なんだかやっぱりショックかもしれない。どう反応したらいいのか分からなくて、ぎこちなく「そうなんだ」と相槌を打つ。ぎゅっとコップを包む込む力を強めた。
「けど俺、と一緒にいるのが一番楽しいんで」
何気ないふうにそんな台詞が聞こえてきてふと顔を上げると、パスタの最後の一口を頬張る幼馴染を発見した。何を考えるでもなくじっと彼を見ていると、それに気付いた涼くんは「…あ。でもそんな風に言ったらまたちゃらいって言われるんスかね」と思い出したように言う。本当に涼くんのことをそんなふうに思ったことなどないというのに。けれどそんなこと口にするのはどうしても恥ずかしいから、私はきっとずっと口にすることはない。私は変なところで意地っ張りだ。だからこくんとひとつ頷くと、案の定涼くんは「えー」と冗談交じりに不満げな声を上げる。ついでに「手厳しいー」なんて言ってくるものだから、思わず笑みが零れてしまった。
「…あ。でも誕生日なのに私何もあげてなくて!あの、急だったから用意する時間もなかったっていうか、良いのが思いつかなかったっていうか…!えっと、ご、ごめ、」
「──いっスよ」
私の言葉を塞いで重ねたまっすぐな彼の声に一瞬きょとんとしながら涼くんを見やる。すると彼ははにかんだ笑みを見せながら言った。
「が隣にいてくれれば、俺は十分っス」
なあんて、と悪戯をした子どものように笑う涼くんに私は、ありきたりな表現になるけれど、胸がいっぱいすぎて何も言うことが出来なかった。…私がいれば十分、だって。なんだかくすぐったい響きに思わず口元がにやけてしまいそうになるのを隠すようにコップに手を掛ける。そのまま一口水を飲んで、またテーブルに置いた。でもそれだけで平常心になれるほど私は切り替えが早いわけではないから、とにかく涼くん以外のことを考えようと必死になる。だけどそうしようと思えば思うほど目の前にいる彼のことが気になってついつい視線を向けてしまいそうになるものだから、一体どうしたらいいんだろう。こんなにすきにさせておいて、勘違いなこと言わないでほしいのに。でも私は単純だから、涼くんが冗談で言ったことも全部本気で捕えてしまうんだよ。だから今だってこんなに喜んじゃうの。
「…あーあ。俺のこと振るのはくらいっスよー。ほんと俺、のことなら他の奴らより知ってる自信あるのに」
涼くんはこういう思わせぶりなことをさらっと言ってのけてしまう。でも本気にしちゃだめなんだ。だって彼なりの冗談なのだから。それを知っているから私は頷かない。頷いちゃいけない。どんなに嬉しくてはしゃぎたいくらい喜んでいたとしても、それを表面に出しちゃいけないの。出せないの。だって私、思いを告げるような度胸、きっとない。だから代わりに「またそういうこと言う」と咎めるお姉さんのような振る舞いを見せたけれど、今日の涼くんはどうも食いついてくる。
どうしたらいいんだろう、なんて考えているとタイミング良く店員のお姉さんが「お待たせしました」と声を掛け輪の中に入ってきた。私が食後にと注文したケーキをひとつテーブルに置き、空になった2枚のパスタ皿も回収してすぐに去って行ったけれど、どうも彼女の視線が涼くんに向けられているような気がしないでもない。このお姉さんも涼くんのファンなんだろうか、なんてなにやら複雑な気分で考えながらテーブルを去る彼女を見送った。そして厨房の前に戻ったところで案の定他のスタッフと若干トーンの高い声で盛り上がり始めたから、おそらく私の仮説は正しい。しかし涼くんはそんなものに興味はないと言わんばかりに話を掘り返した。
「で。ねえ、なんで俺じゃだめんスか?俺にしとけば高校生活青春の薔薇色生活まっしぐらっスよー」
口を尖らせながらそう駄々をこねる涼くんに、「だからからかわないでってば」と返してみるけれど、彼は一向に引こうとはしない。なんでこんなに食いついてくるのか。遂に困り果て、私はもう「なんでって…あの…」と口籠るしか出来ない。本当はだめなんかじゃなくて涼くんがよくて、出来ることならばその青春とやらを一緒にスタートさせたいのだけれど、そもそもこんな冗談を言うかのような口調での台詞、本気に出来るはずがない。ケーキの周りをぐるりと一周している透明なプラスチックシートを外しながら、慌てて口を開いた。
「えと。わ、私。勉強教えてもられるような人がいいから」
「えっ、何それひどーっ!」
てかそれじゃ俺全然だめじゃないっスかー!とうなだれている。どこまで本気なのかが分からないから、私は小さく笑うふりをしてそれを見守るしかない。それでも反応してどきどきしちゃうのはもうしょうがないのかな。でも、でも。思うところがあってじっと涼くんを見つめてみると、彼は「つれないっスー」と相変わらず愚痴を溢している。でもそんな涼くんがせっかくの誕生日に、彼に黄色い歓声を上げている女の子でも、友達でも、はたまた部活仲間でもない私を選んでくれたと言う事実は変わらないわけで。だからやっぱり口元が緩んでしまうのは仕方がないというわけなのです。
でもいい加減どうにかしてポーカーフェイスを身につけなきゃだめだよなあなんて考えつつ、デザートフォークを手に取り、ケーキの上に乗っていたいちごと生クリームをすくって頬張ってみた。おいしい。もうすっかり満腹だと思っていけれど、甘いものは別腹らしい。
「ケーキ、うまいっスか?」
嬉しそうにそんなことを尋ねてくる涼くんに、「うんおいしい」と無駄ににこにこしながら頷いてみる。多分今の私、すっごくしあわせそうな顔してそうだ。甘いものというのは自然と笑みを溢してしまう効果があるらしい。涼くんはそれを見て、「それなら良かったっス」と満足そうに頷いた。そうしてまた頬杖をついて私をぼんやりと眺めている。決して逸らそうとはいない彼からの視線にくすぐったくなった。
「(ま、またすごい見られてる……)」
なんだか気恥ずかしくなって俯く私は、ひたすらタルト生地と格闘する作業に没頭するしかない。…なんだかとっても今更だけれど、普通のショートケーキとかチーズケーキにしておいたほうが良かったような気がする。だってこのいちごタルト、おいしいけどフォークで生地を切りにくくて綺麗に食べれない。しかもただのいちごタルトじゃなくていちごミルフィーユタルトだし。クッキー、カスタード、パイ生地、生クリーム、そしていちごと綺麗な段になっているケーキはなかなかの難関と見た。お陰でフォークの腹の横じゃなくて普通に先端を使って上から突き刺すようにしないとちっとも切れてくれない。なんだかもうお皿の上が大変なことになっている。しかもその間にもじっと注がれ続けている幼馴染からの視線に耐え抜きながらってなんて拷問。罰ゲームか何かとしか思えないのだけれど。
「…涼くん」
「ん?なんスか?」
にこにこと嬉しそうに返事をする涼くんに「そんなに手元を見ないで」と言いたいけれど、どうにも彼は私の右手に視線を集中させていないような気がする。手というより、なんだか顔を見られているように思うのは私の気のせいなのだろうか。おそるおそるケーキの乗ったお皿を涼くんに差し出した。
「その…一口食べる…?」
「えっ」
今までにこにことしていたのが嘘のように一瞬にして凍りついた涼くんに、私はやっぱり言うんじゃなかったと心の底から後悔した。「や、やっぱりなんでもない…っ!」と慌ててケーキを引っ込めようとする私に「いやいやいや違うんスそうじゃないんス!」と待ったを掛けてきた涼くんの声は、やたら必死そうに聞こえた。
「食べる!食べるっス!食わしてください!」
「な、なにもそこまで言わなくても…!」
まさか「食べさせてください」なんて言われるとは思わなかった。そういえば涼くん甘いものすきだった気がする。もしかして私がパスタ食べきれないと予想してたからデザートは頼まなかったのかな、なんて考えてながら「ど、どうぞ」と改めてケーキを差し出すと、涼くんは「あ、うん」とぎこちなく頷いた。さっきのパスタのときとは全然違うその反応に心臓が騒がしくなる。
「(ど、どうしよう……)」
さり気なく使ったフォーク、なんだけど。どうやら私はあれほど死ぬかもしれないと思っていた間接キスをあわよくば再び出来ないものかと企んでいるらしい。私腹黒いのかな。計算高いのかな。そんな子、涼くんきらいなのかな。でも、でも。膝の上で自分の手を握り、少し爪を立ててみる。痛い。でもこうでもしないとそわそわとせわしない自分を制御出来そうになかった。
しかしどうしたことだろう。涼くんはじっとケーキを眺めたまま、フォークに手を付けようとはしない。も、もしかして、同じフォークじゃ嫌だったのかな…!ガーンとショックを受けながら、「あ、あああ、あの、ふぉ、ふぉーく、た、たのもっか…!て、てんいんさんに…っ!」と半泣きになりながら声を掛けると、はっとした涼くんが「いやいらないっス!」と慌てて否定した。
「い、いただきます」
「う、うん…っ」
どきどきしながら幼馴染を見守っていると、涼くんがフォークに手を取った。ど、どうしよう本当緊張する。「あ、あの、そこの切っといたやつ、た、食べて、あの、い、いい、から…っ」しまった動揺丸出しの声に!しかし世の中巻き戻し機能なんてついていないから、私はひたすら羞恥の炎に燃えるしかない。やってしまった。…もういやだ。誰か私に緊張なんて無縁の体に改造してほしい。
ふと、彼の手元を見やる。フォークにタルトを突き刺しているところだった。え。え。もしかして食べちゃうの。食べちゃうの。私の使ったフォーク本当に使って食べちゃうの。そんな今更なことを考えていたら直視なんか出来なくて、慌てて俯き視線を逸らした。「あ、ケーキもうまいっスね」なんて感想が聞こえてきたところから見て、おそらく、いや、間違いなく涼くんはタルトを食べたのだろう。私のフォークを使って。
「(う、うーわー…っ!)」
恥ずかしい!すごい恥ずかしい…っ!わ、私一体何やってるんだろうと爆発寸前の熱い顔を見つからないように必死に俯いたまま、「よ、よかった…っ!」と必死になって返答することで精一杯だった。そうしてすぐに「ケーキどもっス」というお礼とともに返されたケーキを見てみるとやっぱり先程お皿の上にあったはずのタルトの一口サイズが消え失せていて、ますます私の体温を上昇させた。自分から言ったことなのに。
「…そだ。誕生日プレゼントの代わりにちょっとお願いがあるんスけど」
おねがい?なんとも可愛らしい響きに私はゆっくりと顔を上げた。しかもプレゼントの代わりと称されれば私に断るという選択肢は存在しない。「うん。な、なに?」と食いついてみると、涼くんは少し嬉しそうに笑った。…どうしよう、さっきのくだりのせいでいつも以上に笑顔が眩しく見えると言うか、直視出来ないのだけれど。耐えきれずふらふらと泳いでしまう目を必死に固定した。
「俺伊達眼鏡欲しいんスよね。選ぶの付き合ってくれないっスか?」
「眼鏡?」
きょとんとしながら幼馴染を見つめてみると、「そう眼鏡。さっき猛烈に欲しくなったんス」と頷かれた。眼鏡。めがね。そういえば彼はモデルだったし、おしゃれな意味でもファンの子に見つからないようにするという意味でも必要なのかもしれない。
「う、うん。良いよ」
「ほんとっスか!あ、そうだ。せっかくだしに選んでもらおーっと」
「え…?ええ!?」
そんなばかなどうしてそんな展開に!涼くんセンス良いんだから自分で選んだ方が良いに決まってるのに!なのになんで私…!?ひいい、と怯えるように震えていると、彼は小さく噴き出しておかしそうに笑い始め、「めっちゃ期待してるっスよー」とエールなのかおちょくっているのかよく分からない台詞を寄越してきた。お世辞にもセンスが群を抜いていい訳ではない私が、モデルでもある黄瀬涼太の私物を選べと言うのはあまりにもハードルが高すぎる。思わず泣きそうになっていると、それを見かねた涼くんが微笑んでくしゃっと私の頭を撫でて言った。
「そんな深く考えなくても、なんでもいっスよ。が選んだものなら」
ね、と小首を傾げて言い聞かせる涼くんは相変わらず私の髪を梳かすように撫でている。お陰で急激に上がる体温も、気恥ずかしくて俯いてしまう私の瞳も、にやついてしまうのを必死に抑えるべく軽く噛んでしまう唇も、きっともう誤魔化せない。だけどまだそれを口に出来ない私は、代わりに今日しか言えない台詞を口にした。
涼くん。お誕生日、おめでとう。
★翌日
「黄瀬。なんだそれ」
怪訝そうな顔をした笠松先輩は、朝練が終わり制服に着替え終わった俺の顔を見て明らかに「何やってんだこいつ」と言わんばかりの声でそう言った。おそらく昨日までなかったはずのアイテムを身に着けている不思議に思っているのだろう。そして俺はよくぞ気付いてくれましたと意気揚々に「あ、これっスか!」と反応する。黒縁眼鏡をキラリと光らせた。
「実はが頭いい奴がすきって言うから、伊達眼鏡掛けてみたんス!これが選んでくれたんスよ!どっすか!頭良さそうに見えるっスか!」
「そうだな、お前は典型的なあほだということだけは分かった」
えっ何それひどい俺本気なのに!慌てて笠松先輩に「なんでっスかー!」と食いつくと、うるせえと怒鳴られ鳩尾に一発食らわされてしまったものだから思わず床にうずくまった。ひどい。形から入ることのなにがいけないのか俺には不思議に思えて仕方がない。それともそこが先輩いわくあほだと言うのだろうか。眼鏡が似合いすぎて嫉妬したのだろうかと考えていると、笠松先輩は面倒臭そうに溜め息をひとつついて口を開いた。
「大体その…えーっと、なんだっけ。お前の幼馴染」
「っス!」
「…て、学校違うんだろ。なら今掛けても意味ねえじゃねえか。これから授業だろ」
…………あ。
20120618 「でも選んでくれたのが嬉しいからいいんスよーっ!」と反論するきせくんは「頭良い=眼鏡」発想という、形から入っちゃう愛すべきおばかかもしれない(←)。そしてお誕生日おめでとう!きせくんは幼馴染ちゃんが隣にいて当たり前って感じで、だから何度も「付き合おう」って類いのこと言ってるんだけど口調が口調なだけに冗談としてしか取られず撃沈してればいい^q^